http://www.asyura2.com/10/lunchbreak44/msg/202.html
Tweet |
次へ 前へ
なぜ日本人は、民主主義国家では日常茶飯事の 「デモ」 に消極的なのか (週刊・上杉隆) [ダイヤモンド・オンライン]
http://www.asyura2.com/10/senkyo99/msg/778.html
投稿者 純一 日時 2010 年 11 月 19 日 10:59:32: MazZZFZM0AbbM
http://diamond.jp/articles/-/10122
【マスメディアが国内のデモをほとんど報じないのは、政府や霞ヶ関の機嫌を損ねることになりかねないというメディア「記者クラブ」の自主規制によるものである。
しかし、いま世界は新しい形式のデモが広がっている。ツイッターなどと連動した形でのデモが政府を脅かすほどまでになってきた。いま日本においても同様のかたちのデモ:「検察・マスコミを糾弾するデモ」が全国的に拡がりつつある。 純一】
2010.11.18
毎週水曜の夜、東京FMの「タイムライン」に生出演している。
きょう(11月17日)の放送では「デモ」について取り上げた。先週末、横浜で開かれたAPEC、その会場周辺で行われたデモを受けての特集である。
番組ではデモ参加者の声も拾っている。そこで驚いたのは、デモに対する日本人の消極的な態度である。
「趣旨には賛同できるけど、お巡りさんを見ると怖い。法律的には問題ないけど威圧感がある」
管理統制社会・日本に住んでいればこうした感覚に陥るのも仕方あるまい。情報の鎖国状態から脱却するのはまだ相当先の話なのだろう。本来、積極的なデモ参加者ですらこうである。そうでない多くの日本人の考え方は言うに及ばずだ。
日本国憲法21条では、集会、結社、表現の自由が保障されている。もちろんデモも国民の権利として保障され、単に警察へ申請すれば何人であろうと行うことは可能だ。
だが、先の参加者の声にもあるように、日本社会全体がそうした当然の権利行使に対して理解があるとは言いがたい。デモ参加者は奇異な目で見られ、お上に逆らう、不埒な人物というレッテルを貼られがちだ。
■なぜ日本では国内のデモが大きく報じられないのか?
世界の民主主義の国ではデモは普通に行われている。番組に出演した作家の雨宮処凛氏もこう語っている。
「ベルリンでは一日平均8つのデモがあると言われている。フランスでは100万人規模のデモが起こることもある。その背景には自分たちの権利を徹底的に教えられる教育システムがある」
日本では逆だ。むしろ個人の権利を主張することは「社会の敵」というレッテルを貼られることを意味する。
国内で起きた4000人規模の「反中デモ」、APEC反対を掲げた横浜でのデモも大きく報じられることはなかった。それはお行儀のよい記者クラブ制度に起因する。
官僚組織と同根のマスコミからすれば、デモ参加者とは「お上」に逆らう好ましからぬ人物の集まりだということになる。そうした官僚的な共通認識がマスコミ界に蔓延し、デモ参加者を白眼視する傾向が続いているのではないか。
これまでAPECやサミットの度にデモは発生していた。カナダやドイツでの激しいデモは日本のマスコミでも再三取り上げられた。ところが、それが国内で同じデモが起きた途端、あたかもそれは一切発生していないかのような報道になってしまう。
■ダブルスタンダードの背後にはやはり“官報複合体”の影が
そうした報道のダブルスタンダードを説明するのは、毎回言及するようで申し訳ないが、やはり記者クラブ制度の存在が大きい。
中国での「反日デモ」が大きく取り上げられている。じつは今回の「反日デモ」は、北京や上海などの大都市部では一切発生しておらず、地方都市だけのものである。さらには、それらのデモがいかにも暴力に偏っているように扱われている。
実際はどうなのか。月刊誌「G2」の対談で中国人ジャーナリストの安寧氏に聞くと次のような回答があった。
「反日を訴えてデモを起こしている者も確かにいます。だが、いま共産党政府が最も恐れていることは、そうしたデモの目的が、反日から反共産党に変わることです。実際に都市部のデモはまったく認められていないのは、反政府デモに変わる要素があることを当局が察知しているからです」
日本のマスコミがそうしたデモを積極的に報じるのは、それが日本政府にとってマイナス要因にならないと確信しているからだ。
その一方で国内のデモをほとんど報じないのは、政府や霞ヶ関の機嫌を損ねることになりかねないという自主規制によるものだ。
■マイクロメディア連動型のデモが、国際政治の新たな風景に
いま世界では新しい形式のデモが広がっている。それはツイッターやフェイスブックなどのマイクロメディアを使って、直接的に施政者に働きかける新しいスタイルのデモだ。
イラン、モルドバ、タイなどではすでにツイッターと連動した形でのデモが行われている。これまでの通常のデモを鎮圧された後、再びツイッター上の呼びかけに応じて、デモが復活、政府を脅かすほどまでになったのだ。
同時に、ツイッター上で政治家や有名人のアカウントにRT攻撃を仕掛ける。そこで政策の変更を求めるといった具合だ。
こうしたネットメディアを融合させた新しい形のデモと権利の主張は、国際政治において当然の現象になりはじめている。
じつは日本でも今年初め、検察の捜査に対して不満を持つネットユーザーによって同種のデモが行われた。また、ハイチ支援に遅々とする鳩山官邸(当時)に対しても同種のツイッターデモがなされた。これらはともに本コラムで触れている(第111回、第112回)。
だが、あいもかわらず、日本のマスコミはこうした表現の自由と国民の権利主張に対して鈍感だ。憲法21条を読み直すべきなのは、デモを嫌う為政者や官僚ではなく、その恩恵に与っているはずの記者クラブの記者たちなのではないだろうか。
(投稿者 : 注) 日本国憲法/第3章 国民の権利及び義務
第21条〔表現の自由〕
1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
拍手はせず、拍手一覧を見る
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。