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1985年8月12日午後6時25分。伊豆半島東付近の相模湾上空を飛行中のJAL123便に対して、核兵器が炸裂した。
この核兵器炸裂は湘南海岸地上からは、何かがJAL123便に当たり、オレンジ色もしくは赤い色の「閃光」として、また伊豆半島南部方面からは「光った」として目撃され、広島、長崎に次ぐ第三の核兵器がJAL123便乗客・乗員に対して炸裂したのだった。
ところでこの核兵器炸裂策略者たちは、一つだけミスをした。それは高度3千500〜4千500メートルで炸裂させた核兵器の炸裂時閃光とキノコ雲を、あらかじめ伊豆大島付近上空に発生させておいた人工積乱雲で隠蔽しようとしたのだが、結果的にはその隠蔽はうまくいかず、地上からは核兵器炸裂時の閃光とキノコ雲が、湘南海岸や伊豆半島等から目撃され、唯一の失敗となり、その他は計画通り遂行された。
気象兵器からの人工積乱雲は発生しはしたのだが、JAL123便クルーは、その人工積乱雲を機敏に避けて飛行した。だがその他の点では完璧といえるくらいに、核兵器炸裂は陰謀側の思惑通り成功した。
残る疑問はなぜ相模湾上空で核兵器により、JAL123便を撃墜しなかったのか。理由は二つある。一つは、最終撃墜予定地点である御巣鷹の尾根上空で、当時世界最先端超小型核兵器を人体実験目的で炸裂させる必要があった。
二つ目は、相模湾上空で炸裂させた核兵器はJAL123便の乗客・乗員や機体を蒸発させずに、放射線を乗客・乗員に浴びせ掛ける目的の人体実験だったから、相模湾上空で撃墜しては却ってまずかった。
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