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「kabusiki、山本五十六」(菅五十六、仙谷五十六、前原五十六、枝野五十六・・・と置き換えると、イメージが湧きます)
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak43/msg/800.html
投稿者 小沢内閣待望論 日時 2010 年 11 月 08 日 20:20:33: 4sIKljvd9SgGs
 

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山本五十六とは、決して戦場には出撃しない、現場指揮はとらない、安全圏にいて自分の命を惜しむ、史上最低の高級軍人だった。
http://www.asyura2.com/08/reki01/msg/398.html
投稿者 TORA 日時 2008 年 12 月 13 日 15:56:29: CP1Vgnax47n1s

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu181.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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山本五十六とは、決して戦場には出撃しない、現場指揮はとらない、
安全圏にいて自分の命を惜しむ、史上最低の高級軍人だった。

2008年12月13日 土曜日

◆『連合艦隊司令長官 山本五十六の大罪』 中川八洋:著
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4896678036_1.html

◆第二節 怯儒に生きた"世界一の臆病提督"山本五十六

山本五十六とは、決して戦場には出撃しない、現場指揮はとらない、安全圏にいて自分の命を惜しむ、"卑怯"の二文字を絵に描いた、史上最低の高級軍人だった。連合艦隊司令長官でありながら、空母六隻を出撃させながら、パール・ハーバー奇襲の指揮を執らず、部下の南雲忠一・中将にそれをさせて、自分は瀬戸内海に浮かぶ「戦艦ホテル」で優雅な日々を過ごしていた。

一九〇五年五月の日本海海戦で、東郷平八郎が旗艦「三笠」の艦上ではなく、佐世保(長崎県)港に浮ぶ軍艦の一つで読書しながら、ただ吉報だけを待っていたなど、想像できようか。あるいは、一八〇五年のトラファルガル海戦で、「隻腕の大提督」ネルソンがロンドンから指揮を執っていたなど、歴史の旺としても考え付くものはいまい。。

しかも、バール.ハーバー奇襲は、山本五十六本人の発案である。自分が陣頭指揮を執るからと、海軍全体の了解を得たものである。ところがいざ出陣になると、山本は、「公約」を破り捨て、"率先垂範の指揮"という海軍伝統をも無視し、カード三昧の日々であった。

◆山本五十六は死刑 海軍刑法第四四条

一九四二年六月の、ミッドウェー海戦の場合はもっとひどく、山本五十六の指揮官としての臆病ぶりは、日本の戦史にも世界の戦史にも、こんな武将は前例がない。山本は、世界史上、〃最悪・最低の狂将"だった。織田信長や豊臣秀吉はむろん、徳川家康や黒田如水ですら、即座に切腹を命じただろう。山本五十六を「スーバー臆病」と断定してよい理由は、以下の通り。

第一は、ミッドウェー島攻略戦の発案者で最高指揮官でありながら、しかも戦艦「大和」に坐乗、、しているのにもかかわらず、空母四隻の前方二qにいるべき山本の「大和」が、あろうことか、この空母四隻よりはるか後方五四〇qに「逃亡=職場放棄」していた事実。

第二の理由は、四隻の空母の、三隻(赤城、加賀、蒼龍)が轟沈していくとき、山本五十六は、「遊び人」らしく将棋を差していた事実。前代未聞の「職務放棄」。この「職場放棄」と「職務放棄」は、海軍刑法第四四条、もしくは第三八条の定めに従って、山本五十六の罪は死刑である。

「第四四條指揮官その艦船軍隊を率ゐ 故なく守所もしくは配置の場所に就かずまたはその場所を離れたるときは左の区別に従て処断す
一、敵前なるときは死刑に処す
二、略
三、略」
「第三八条指揮官その尽くすべきところを尽くさずして敵に降りまたはその艦船もしくは守所を敵に委ねしたるときは死刑に処す」

空母一隻につき、海戦の場合、必ず、戦艦二隻を空母護衛のため、その前方と後方に張りつけなければならない。両脇は、巡洋艦と駆逐艦とが囲んでいなくてはならない。空母とは、最強の〃長槍の戦士"だが、鎧を着ていない。だから、鎧を着た重厚な戦士たちが、その前後左右にいて、"長槍の戦士"を護る「鎧代行」をする。また、当時の空母は、受信能力が低く、戦艦による「受信代行」も不可欠であった。

空母は、団子のように固めてはならず、原則一隻ずつで陣形を組む(図1)。バラバラが基本である。仮に複数空母をまとめるとしても、敵の航空攻撃の射程圏内に入るときは、決して二空母以上はしてならず、この場合、二空母を進行方向に縦列にする。ところが、ハワイに出撃した南雲の六空母陣形は、平時の観艦式のつもりなのか、あってはならない最も危険な陣形であった(図2)。たまたま、敵の空母部隊の攻撃がなかったのが幸運であった。

ミッドウェー海戦における南雲の四空母の機動部隊もまた、この艦観式ダイプの二列の団子形であり、戦場の現実がわからない、素人の陣形である。空母機動部隊の戦闘陣形も知らない山本五十六の、その"空母主義"など、現実から遊離した観念のレベルであった。山本にとって空母は、"豚に真珠"であった。空母を十全に働かせるには、戦艦「大和」こそ、これら空母の先頭にいて防空と通信の二大任務を果たしていなくてはならない。

実際にもミッドウェー海戦で、山本五十六が率いる直率の部隊には戦艦が三隻もあった。空母四隻のはるか後方でブラプラしていた役割不明の「警戒部隊(高須四郎中将の指揮)」には戦艦が四隻もあった。これだけでも七隻である。南雲・機動部隊(空母四隻、戦艦二隻)にこれを加えれば、戦艦はすべてで九隻も現場にいたのである。空母四隻を守る戦艦は、ちゃんと出撃していた。

閑話休題。女と博突の生涯であった山本五十六の正体は、頭が極度に劣化した無能人間で、高いIQを必要とする大海軍の指揮官の適性がなかった。それを示すエピソードを挙げておこう。う米内光政/山本五十六/井上成美/大西瀧治郎/豊田貞次郎の五人が、揃いも揃って、常軌を逸した"バカ・アホ・間抜け"であることを示した「水ガソリン事件」である。米内や山本らは、H20(水)にはC(炭素)が含まれていると信じた。彼らは、小学校四年生の水準すらなく、その頭は異常であった。

一九三八年、海軍次官の山本五十六(中将)と航空本部教育課長だった大西瀧治郎く大佐)は、「水からガソリンが採れる」と.いう、マジシャンの詐偽話を信じた。そして、山本五十六が海軍次官として命令を出し、海軍航空本部の地下室でこの詐欺師に三日問に及ぶ公式実験をさせた。このとき、これに協力した航空本部長は、一九四一年七月、外務大臣になれたうれしさで、近衛文麿首相を支持して「南進」を決定する、あの豊田貞次郎(海軍中将)であった。

かくも痴呆的な頭に奇行常習と遊び優先、これが山本五十六の真像であった。この実験中、山本五十六は、大福餅などを差し入れしていたという。海軍大臣であった米内光政も、たぶんに、この「水ガソリン」を信じたのだろう、最初、大臣室での実験を勧めたと言う。

なお、このとき、「馬鹿げている」と直言して、この実験に反対する部下に対して、井上成美が、「上司に逆らうな」と叱責している(以上は、注1)。井上成美もまた、自由な討議をいっさい禁止した、息が詰まる帝国海軍の末期症状に加担していた一人だった。

もう一つの事例は、ミッドウェー海戦にも通ずるもので、米内/山本/大西ら、当時の海軍の出世街道を走る連中は、「兵器におげる、攻撃と防御の不可分性」が理解できない、度外れの欠陥軍人だった問題である。米内光政の渡洋爆撃や大西瀧治郎の重慶爆撃の時、いずれにも、護衛(掩護)戦闘機がなく、れらの爆撃機の被害は基大であった。ミッドウェー海戦で、空母四隻のそれぞれに二隻づつ、計八隻の護衛戦艦をつけなかった山本とは、このような爆撃機に戦闘機をつけない米内らと同じ、「防御不要(鎧不要)」という、非軍人的発想をしていたからである。

ちなみに、一九三七年八月十五日の、米内が主導した渡洋爆撃も同じだった。長崎県大村から出撃した、海軍の新しい爆撃機「九六式陸上攻撃機(中攻)」二十機は、掩護戦闘機なしであった。だから、東シナ海を渡洋して南京を爆撃したが、四機が撃墜され、六機が被弾した。その戦果はゴミのレベルだった。さらに翌日、このうち九機が済州鳥から蘇州を再爆撃したが、一機が不時着して大破し、結局、二日で半減した(注2)。

.戦場の現実をまったく想定できず、「鎧なしで戦え」と、鎧を着けさせずに平気に部下を戦場に出撃させる〃狂気の提督"、それが米内/山本/大西らであった。彼らは、敵はいつも反撃能力がゼロだと考えていたのである。大西瀧治郎の〃掩護戦闘機無用論"の無謀さについては、生出寿の『特攻長官大西瀧治郎』が簡便でわかり易い(注3)。

戦後、「大艦巨砲主義」が悪玉に仕立て上げられたため、山本五十六や大西瀧治郎の「航空主兵主義」が何か時代の先駆け的な、優れた軍備への切り替えをしたように誤解されている。だが、山本五十六は、一度も操縦樟を触ったこともない、航空のズブの素人だった。山本の「航空主兵」は、正しくは〃戦闘機不要論"と一緒になった、"爆撃機万能論"のことで、歪なものだった。だから、制空権は取れず、敵への損害がほとんどない、負け戦しかなりえなかった。

B29のように、敵の戦闘機が迎撃できない高度一万メートルを飛行して爆撃するならいざ知らず、敵が死に物狂いで制空権を失うまいとしている低高度の空域においては、掩護戦闘機のない爆撃機など、無暗に撃墜されるばかりである。だが山本は、九六式陸上攻撃機や一式陸上攻撃機があれば、勝ちまくれるという、マニア程度の発想から成長することはなかった。大西もまた、山本とそっくり同じ考えだった。

戦闘機の量的不足と軽視が、味方爆撃機の極度な損耗となった。一式陸攻の生産総数は二四一六機、終戦時残存は一六二機であった事実は、掩護の欠如ぶりのひどさを物語っている。"爆撃機万能論"は、「大艦巨砲主義」より、はるかに始末に悪く、帝国海軍自減の主因の一つであった。

◆二 命惜しさの無線封じー世界の戦史上類を見ない"超臆病軍人。山本五十六

ミッドウェー海戦の敗因は、山本五十六を庇うために奥宮正武らが考案した、弁解用の創り話「魔の五分問」(注4)などでは、もちろんない。最大の主因は、軍人にあるまじきレベルの、"山本五十六の怯儒。(臆病)にある。第二の原因は、偵察機の情報をインテリジェンスして、敵空母の位置を正確に推算する能力に欠けていたからである。第三の原因は、空母の運用が稚拙で実戦から乖離した素人のそれでありすぎたことだろう。

"山本五十六の怯儒"とは、山本が自分の命を惜しんで、戦艦「大和」の通信傍受隊が敵空母の位置を一日以上も前にキャッチしているのに、それを南雲提督が率いる空母機動部隊に知らせなかった事件である。"無線封止"を解けば、自分が乗艦している「大和」の位置を敵に知られて攻撃される可能性があると、山本は、自分の命大事と戦々恐々として、それを避けたのである。

佐々木彰・航空参謀は、次のように、回想している。これは他の証言と合わせると、おおむね正確のようだ。山本五十六こそが、知らせなくて良いと最終決定したのである。

「四日夜〈大和〉にあった敵信(敵通信傍受)班は、ミッドウェーの北方海面に敵空母らしい呼び出し符号を傍受した報告してきた。(すぐに南雲司令官のいる空母〈赤城〉に知らせるべきかどうかについては、最終的に)この電報は(山本)長官に申し上げて(打電しなくてよいと指示されたので)打電しないこととした」(注5、カツコ内中川)。

次に、山本五十六は、味方空母を敵の艦爆隊攻撃から護衛する(自分が座乗する)戦艦「大和」などの戦艦部隊を南雲空母機動部隊の前方に展開しなかった。東郷平八郎が敵艦隊の前面にでて艦橋に自ら立ったのとはまるで異なっていた。山本は、自分の命を惜しんだ。しかも、空母機動部隊より、はるか後方、なんと約五四〇qも離れた、絶対安全圏に「大和」を位置させ、その司令長官室で将棋を指していた。

何のために、山本五十六は、ミッドウェー海戦に出撃したのか。その必要はまったくなかった。むしろ、山本五十六という疫病神が出かけて、指揮を混乱させたから、四隻の空母喪失という大敗北になったと、戦闘記録は無言で行間に語っている。

山本の臆病は、ガダルカナル島作戦における、米海軍の提督たちと比較するともっとはっきりする。山本は、将兵激励のため、ガ島に一度も足を運んでいない。一方、米国側は、ニミッツ提督が一九四二年十月に、ハルゼー提督が同十一月に、ノックス海軍長官すら一九四三年一月に、現地部隊の将兵の激励に訪れている。そもそも、山本の人格には、"死闘の激戦"が繰り広げられている「戦場の将兵激励」という発想がない(注6)。

臆病の問題以上に、もっとトンデモない、もっと本質的な問題が山本にはある。ガ島での、日本の陸軍部隊の損害は死者二万人を越え、この二万人のうち餓死が一万五千人以上だったが、これらの陸軍の将兵の死を聞いた山本が、手を合わせたとか、涙ぐんだとかの、そのような記録も回想も皆無である。山本は唯物論的な無神論者だったという指摘は多いし、これは事実であった。三千名を越えるミッドウェー海戦の部下の死に対しても、山本は葬儀はおろか弔意も表していない。

山本にとって、戦死であれ、餓死であれ、大量死亡こそは、嬉々として楽しむ〃快楽"であったろう。自分の手を血で汚さない〃快楽殺人鬼"、これこそが山本五十六という人問の真像であろう。

ミッドウェー海戦における山本の問題はもう一つある。四隻の空母を撃沈されたとき、戦闘はまだ終了したわけではなかった。日本側には、アリューシャン列島に展開している小型空母が二隻あり(搭載航空機二七機の「隼鷹」、三十六機の「龍蟻」)、これをミッドウェー海域に呼び戻し、まだミッドウェー海域にある改装空母二隻(計三十九機)と戦艦十一隻をこの護衛につけて再編成し、「大和」を旗艦として山本五十六が指揮すれば、米海軍に最後に残る手負いの空母二隻(エンタープライズ、ホーネット)を撃沈することなど容易だった。

なぜ山本五十六は、「退却」の名目で、慌てふためき「敵前逃亡」したのか。それは「職務放棄」ではないか。山本は、恐怖に震えていた上に、指揮する自信がなかった。空母機動部隊の発案はしたが、実戦のできない〃口舌の徒"にすぎない自分の真像がばれるのが怖かった。

山本は、その後しばらくして、戦艦「大和」をっれて、トラック島に逃げ込んだ。ミッドウェー海戦大敗北のほとぼりが冷めるのを待つことにしたのである。山本の頭と行動には、「自己保身」以外、何もなかった。


◆◎日本軍の中枢が米国派(ユダヤ・フリーメーソン)だった太平洋戦争◎2002 年 10 月 18 日 阿修羅BBS
http://www.asyura.com/2002/dispute3/msg/413.html


(私のコメント)
腐敗堕落したエリートが国家や社会を破壊する事を書いてきましたが、一番分かりやすい例が大東亜戦争であり、山本五十六批判は以前から書いてきました。しかし日本では大東亜戦争の反省はほとんど行われず、問題点の追及は行なわれていない。わずかにネット上では山本五十六批判がありましたが、映画や小説によって作り上げられた山本五十六は事実を隠蔽するために作られたものだ。

日中戦争を拡大したのが米内正光なら、アメリカを対日戦争に引きずり込んだ責任は山本五十六にある。真珠湾攻撃は成功の見込みが無く、たとえ成功しても真珠湾は水深が浅くて軍艦は引き上げられて修理されて戦争に復帰している。空母を全滅させなければ真珠湾奇襲の意味はない。

しかし戦争中においても戦後においても真珠湾攻撃は大成功と宣伝されているが、本当は大失敗であった。大失敗だったからこそミッドウェー海戦で大敗北したのですが、戦時中はミッドウェー海戦も大勝利と宣伝されていた。大本営発表は開戦当初から行なわれて事実は隠蔽されてきた。生き残った海軍将兵は本土に上がれず戦地に送られて事実は永久に葬り去られた。

戦後になっても阿川広之といった小説家や海軍出身の作家たちが事実を隠蔽したり歪曲した事実をかいて、山本五十六は小説や映画によって名将として描かれるようになった。本来ならば山本五十六は連合艦隊司令長官なのだから連合艦隊を率いて真珠湾やミッドウェーで戦うべきところを、500キロ後方で将棋をさしていた。

真珠湾攻撃自体が山本元帥の発案であり、海軍軍令部も口出しが出来ず、すべて山本連合艦隊司令長官に一任されてしまった。本来の日本海軍の作戦は後退邀撃でありハワイやガダルカナルまで出かけて戦争をする補給力は無く、絶対国防圏を守る事が戦略だったはずだ。しかしマリアナ諸島を始めとして要塞化は間際までなされなかった。

この事はアメリカにとっては願ったりかなったりの作戦であり、だから私は山本五十六はアメリカのスパイであったのではないかと書いてきました。ミッドウェー海戦も日本海軍が戦力は圧倒的に優勢であり、空母を分散して十分な戦艦による護衛をつけていれば全滅する可能性は全く無かった。空母を密集させて護衛をつけなかったことはわざと全滅するように仕向けたとも考えられる。

ハワイ攻撃においてもイチかバチかの大博打であり、にもかかわらず山本司令長官が空母機動部隊を直接指揮しなかったことは批判されてしかるべきだ。南雲長官がハワイ攻撃を一回攻撃しただけで帰ってきた事も批判されるべきですが、連合艦隊の最高責任者がいなかったからこそ第二回攻撃の決断がつかなかったのだろう。

ミッドウェーの開戦においても旗艦大和では敵空母の存在を掴んでいたが、山本司令官の判断で空母機動部隊に通達される事はなかった。自分の命を惜しんだというよりもわざと負けるように仕組んだと見るべきだろう。連合艦隊の司令官という戦闘部隊の司令官でありながらハワイ攻撃やミッドウェー海戦でも直接指揮を取る事はなかった。まさに腐敗した海軍エリートそのものでありだから戦争に負けたのだ。

ミッドウェー海戦の大敗北でさすがに山本長官への批判が強まって、トラック島に逃げ込んで、戦艦大和は本土とトラック島を往復するばかりで戦闘に加わることは無かった。いったい何の為に戦艦大和を作ったのかわかりませんが、不沈戦艦ならハワイやミッドウェー島の傍まで行って艦砲射撃をしなかったのだろうか?

山本司令長官はラバウルまで行って「い」号作戦を指揮しましたが、最後までガダルカナルを激励に行った事はなかった。そしてアメリカとの消耗戦で航空戦力や艦船を失うばかりでこの作戦も失敗に終わった。山本長官はブーゲンビル島で搭乗機が撃墜されて戦死しましたが、作戦失敗の責任を取った自殺とも言えるだろう。

まさに当時の海軍にも人材は払底して官僚的海軍が出来上がっていた。軍艦を作る事には一生懸命で、現在の天下り団体を作る事に一生懸命な官僚と同じである。しかし軍艦をいくら作っても石油が無ければ軍艦は動かないのであり、巨大になりすぎた海軍は張子の虎になってしまった。

当時の状況からすれば南進政策は無謀であり、海軍が画策して北進から南進に切り替えられましたが、だからアメリカと衝突する事になった。日本には石油が無いのだから防御的な作戦しか海軍は取りえないのであり、インドネシアの石油を確保しても日本に持ってくるまでにタンカーはみんな沈められてしまった。アメリカの潜水艦部隊の戦力を過小評価していたのだ。

このような海軍の南方進出は、満州にある陸軍部隊の引き抜きになり、陸軍部隊は南方に送られて輸送船ごと潜水艦に沈められて消滅して、満州の防衛も空洞化して終戦間際にソ連軍の侵攻で満州の日本軍は消滅した。これもコミンテルンの工作活動が陸海軍部内に行なわれたからだろう。その立役者が瀬島龍三だ。しかし瀬島龍三も小説ではソ連のスパイでもあるにもかかわらず愛国者として描かれた。

瀬島龍三も典型的なエリート官僚であり、95歳の天寿を全うしましたが、証拠は無いがソ連のスパイだったのだろう。このように山本五十六や瀬島龍三のようなスパイがうようよいた軍隊では戦争に勝てるはずも無い。本人にはスパイの自覚は無かったかもしれないが利用されていればスパイなのだ。現代の日本にも自覚なきスパイが沢山いるのであり、そのような彼らを英雄のように小説に書くこともスパイ工作なのだ。

 

 

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