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1985年8月12日に、群馬県御巣鷹の尾根に墜落したJAL123便乗客・乗員524人のうち、翌13日に女性の4人の生存者が救出された。
だが現場で取材にあたっていた朝日新聞社の記者が、救助された4人の生存者以外に、3人の生存者がいたことを報道している。
「問い合わせの無線に出たのは、最初の生存者発見現場ではなくて、そこから約200メートル急斜面を登った激突の現場にいる記者だった。
『いま、確かに登ってきている。3人いる』。記者はそう叫んだ。
『1人の女の子は、担架に乗らないほど元気で、救助隊員に抱かれている。他の2人は、毛布をかぶされているため、男女の別やけがの程度ははっきりしない』。
こうして夕刊最終版4版の紙面は『生存者7人または8人』に傾いていった」(『朝日新聞』1985年10月15日)。
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