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1985年8月12日、御巣鷹の尾根に墜落したJAL123便乗客のうち4人が、翌8月13日に救出されたが、その4人以外に乗客と思われる生存者がいた可能性がある。
「8月13日、現場で救助活動をして12時頃スゲノ沢を300メートル下って行った時、地元の人ではない知らない人たちに行き会った。
1人は子供で小学校4年か5年の男の子で、リュックは背負っていなく黒い服ではなかった。もう一人は30歳近くでその男の子の母親とおぼしきリュックを背負った女性。もう1人は30歳前後のリュックを背負った170センチくらい中肉の男性の合計3人連れで、顔も綺麗で汚れてはいなく、靴も履いていた。
女性は男の子の肩に手を掛けていた。慌てて呆然とした様子で、顔が真っ青だったが泣いてはいなかった。乗客だったら、あんなにしっかり立って歩けない。
『乗客としたらあんなに元気じゃないぞ』と思ったくらい3人とも平気で歩いていたし、怪我はまったくしていなく服も破れてはいなく、行き会った所から長野県側に抜ける窪から、三国峠の方へと男性が先に立ち、その後を男の子と女性が付いていく形で登って行き、見えなくなったので家族の感じだった。
大人の男性は杖を持っていなく、木に取っ掴まりながら登って行ったので山に慣れていないようだった。
前の日の12日晩、長野県川上村梓山から大滝へ抜ける三国峠のちょっとこちら群馬側に平らな場所があるので、そこでキャンプをしていて携帯ラジオと音とですぐそこで飛行機が墜落したと、12日夜中にならないうちか翌13日明け方半信半疑で、現場に来たと思われる。
ただ俺たちより早く現場に来ていたのなら、後から行った俺たちの救助応援をしてもよさそうだがそれはなかった。
『助けてくれ』とも言わなかったので、咄嗟におかしいとは思った。ただその3人連れのことは今でも気になっている。他の村民の話を聞いても、上野村にはそのような3人連れは降りて来てはいない」。
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