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1985年8月12日。524人の乗客・乗員が搭乗していたJAL123便が遠隔操縦により、謀略の「罠」が仕掛けられた御巣鷹の尾根上空に差し掛かる直前、超低空で長野県川上村上空をあたかも風に流されたようにゆっくりと飛行し、その際窓際の乗客の姿が地上から目撃された。
「機体左側の窓のシェードは、ほとんど開いていて窓の明かりが見え乗客の頭の形、人影がはっきりと見えた。
その時点でこれは旅客機だと理解したと同時に、この旅客機はもう駄目だなと思い大変な事故になると直感した。高度はホンの100メートル位で、機内の人影の様子から、下を見ていた乗客の首の動きの姿がチラホラ見えた。
機内で前方を見て座席に座っている人もたくさんいたが、地上のこちらの方を首を動かして見ている人もいた。顔は見えなく髪しか見えない乗客の頭が並んでいる中で、前を見ている人もいたり、下を見ている人もいた。
ある程度もう最後だと分かって、機内で遺書を書いている人もいたでしょう。機内の状況はもう諦めていたというか、もう墜ちるかも知れないと乗客みなさん覚悟していたように思う。
だから乗客が手を振ったり、立ち上がったりパニックになっている様子とかそういうことは全然なかった。これだけの低空なのに降りられないということで乗客は、遅かれ早かれ墜落必至と覚悟していた絶望的段階を迎えていたと思う。
今になって思えばあの時、あのゆっくりとした低空飛行状態だったら着陸滑走に何キロも必要な状態ではなかったから、たとえ二次災害が出ても廻り込んで近くのレタス畑に不時着できなかったかと気の毒に思う。山に激突するよりも、ここら辺りに不時着すれば、乗客の半分は助かったかも知れない」。
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