http://www.asyura2.com/10/lunchbreak43/msg/519.html
Tweet |
★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK98 > 273.html
次へ 前へ
「衆愚の時代」を考える 検察審査会は信用できない?(永田町ディープスロート)
http://www.asyura2.com/10/senkyo98/msg/273.html
投稿者 pochi 日時 2010 年 10 月 27 日 09:23:50: gS5.4Dk4S0rxA
「衆愚の時代」を考える 検察審査会は信用できない?
「私は小沢氏の事件に対する検察審査会の議決文を読みましたが、『なるほど』と納得できる文章ではない。非常に感情的で、論理の飛躍が目立つ一方で、はっきりとした根拠は何もありませんでした。
検察審査会は、市民という名の素人集団。ステレオタイプのマスコミ報道に、悪い影響を受けてしまっているんです」
こう語るのは、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏だ。
鳥越氏はいま、朝日新聞と激しい論戦を繰り広げている。
発端は、先月6日に鳥越氏が毎日新聞「ニュースの匠」に寄稿した文章だった。
小沢一郎氏の「政治とカネ」問題をめぐって、〈検察審査会は"市民目線"と新聞では持ち上げられてはいますが、しょせん素人の集団〉とバッサリ。
プロである東京地検特捜部が不起訴と判断した以上、事件は〈虚構〉だとする意見を表明した。
これに対して、朝日新聞は鳥越氏の発言を引き合いに出しながら、〈市民の力を信じる〉という趣旨の社説を掲載(同月19日付)。元俳優・押尾学被告の裁判員裁判で有罪判決が出されたことを受けて、〈責任感をもって事件に向き合った裁判員が、この日の判決を導き出した〉と市民の力を賞賛した。
応じるように鳥越氏は今月4日に毎日新聞に再び寄稿。朝日新聞の記事に対して、メディア関係者とはいえ民間人の自分の名前を実名で出されたことに驚いたとした上で、〈私は市民の力を信じてはいない〉と改めて主張したのだ。
一連の応酬について、鳥越氏はこう語る。
「朝日新聞の論調は『市民=正義』。これはとんでもない考え方ですよ。犯罪者だって市民、市民にはいい市民もいれば悪い市民もいる、これが現実なんです。
それに日本という国はもともと、一つの方向に国民全体が流れやすい。言語は一つ、読んでいる新聞・雑誌、観てるテレビはほとんど同じだから、誰かが一方向へスイッチを押すとそっちへ一斉に流れちゃう。
小沢氏を特捜部が狙っているとなれば、マスコミが一斉に小沢批判を始める。それが拡声器のようになり、市民全体は『小沢=悪いやつ』だと思ってしまうんです。これが検審の判断では、モロに出てしまったということでしょう」
■絶賛か、袋叩きか
小沢氏の「政治とカネ」をめぐる事件を担当したのは、東京第五検察審査会。今年4月に一度目の「起訴相当」を議決、特捜部はこれを受けて改めて小沢氏を不起訴としたが、10月には再び小沢氏を強制起訴すべきだとする「起訴議決」を公表した。
その間、9月に行われた民主党代表選時に小沢氏は、「一般の素人の人がいいとか悪いとかいう仕組みが果たしていいのかという議論は出てくる」と検審を批判。これを契機に、メディアでは「市民は正しいのか」「市民は信用できるのか」という議論が噴出し始めたのだ。
評論家の佐高信氏が言う。
「はっきり言って小沢を起訴した検察審査会の市民感覚っていうのは、死んでる民の『死民感覚』ですよ。メディアの言いなりになって、『小沢袋叩き』に乗っかってるわけでしょ。
いまメディアと国民は、こういう『スクラム』に慣れきっている。次々と政治をひっくり返して、総理大臣をコロコロ変えてしまうことからもそれは明らかでしょう。これはおかしいぞ、と思いますね。
そもそも私は世論って言葉を聞くと、とたんに身構えてしまうんです。小泉純一郎が総理で支持率が8割を超えたとき、小泉批判をしたらめっぽう叩かれましてね。
メディアが世論を盛り上げて、その世論に乗ってメディアがさらに過熱報道して、世論がまた叫ぶ。だからいまは、絶賛か、袋叩きかしかないんです。
それでいて絶賛していた小泉・竹中路線が間違っていたとわかっても、袋叩きしていた小沢一郎を特捜が不起訴にしても、私たちが間違えていましたという『決算書』を作らない。言いっぱなしで誰も責任をとらないんだから、なんと始末が悪いことか」
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。