http://www.asyura2.com/10/lunchbreak42/msg/831.html
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小沢一郎の言葉を借りれば「単細胞」なアメリカである。
日本人満載の日航ジャンボ123便を必死で支援したのはアメリカだけであった。
<参考>飛行中の123便に必死に呼びかけるアメリカ。
http://neko-usa.s22.xrea.com/jal123/wav/c123-08yokota.zip
(日本の自衛隊が邪魔をして横田着陸を阻止した。)
御巣鷹に、すぐに救助に来たのはアメリカだけであった。
<参考>カリフォルニア州サクラメント市で発行している「サクラメント・ビー」紙に書いた「1985年の航空機事故の救出はまずかった・・・元空軍兵士語る」アントヌッチ証言である。
http://ayarin841.blog100.fc2.com/blog-entry-134.html
(日本政府が断り、自衛隊が200名程度の生存者を虐殺した。)
当たり前の人道的な支援を、当たり前に行う「単細胞」なアメリカである。
<参考>ハイジャック横田着陸要求事件。「単細胞」なアメリカは、瞬時に、全日空61便が着陸可能な体勢を整えた。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/imaginenosekai/yokota-haijack.html
1999年7月23日、羽田発の全日空のボーイング747型機がハイジャックされ、犯人が横田基地への飛行を要求する事件が発生した。このとき、横田基地ではどんな対応をしたのか。
羽田空港を離陸後ハイジャックされた全日空機は、横須賀、大島上空を回った後、犯人に横田基地へ行くことを要求された。午前11時50分、東京RAPCONは、「ハイジャッカーは、横田着陸を要求している」と伝えてきた。横田へ向かう途中、長島直之機長は首などを刺され死亡。犯人は操縦かんを握り横田直前で対地高度200b以下まで機体を降下させていた。
コックピットから出された副パイロットや乗客が異常に気づき、横田の直前でコックピットに踏み込み犯人を取り押さえた。副パイロットが操縦を交代して墜落など最悪の惨事は回避された。ハイジャック機は、八王子方向から多摩川を越え昭島上空で右旋回し羽田空港に戻った。
このとき、横田基地ではハイジャック機が着陸する可能性があるとして、緊急事態対応チームが行動した。同基地の管制塔はハイジャック機の着陸を人道上の理由から許可した。ハイジャッカーが横田基地着陸を要求してから捕らえられるまでの8分間、横田RAPCONはハイジャック機周辺の空域を空け他の航空機を排除した。
基地管理部隊である第374空輸航空団の支援群司令官により臨時指揮統制センターが設置され、憲兵隊は福生警察署と連絡をとった。ハイジャック機着陸に備え、緊急事態対応チーム、武力防御を担うチームのほか、8台の航空機救助消防車、2台の指揮統制車、医療群各中隊を出動させ、安全部、広報部などの担当者を緊急に召集した。飛行機を基地内の隔離された場所に誘導するための緊急対応トラックと武装保安部隊が、滑走路を包囲。ベースタワーとベースオペレーションズは、基地各機関に状況を報告した。
緊急行動が動きだした直後、「犯人が取り押さえられハイジャック機は羽田に向かった」との情報が入り、20分程で緊急行動は解除された。第374支援群のシェリ・ザドロ大佐は「緊急事態対応クルーは準備できていた。たとえ、このハイジャック行動が何を引き起こしたとしても、私達は対応できる用意ができていたことを確信ました」と当時、話している。
また、ベースタワーの首席管制官エドウィン・ジャビス上級曹長は「緊急事態は、我々にとって目新しい事ではない」「週に1回は扱っている事だ。誰かが滑走路から4、5マイルの所を飛んでいて、緊急事態を告げる事はしばしばある。誰もが素早く対処する。例えば、消防隊は緊急電話から30秒程で車を発進できる。今回はハイジャックなので通常とは違う」「この機が何処へ行こうとしているか解らなかったので、空路を空けた。彼が左右でも上昇、下降でもできる状況にした。少しの間その機は、基地への着陸コースにいた。ベースタワーはグリーン信号(着陸許可)を送り、非常周波数で全日空61便の着陸に障害がないと送信した」と語った。
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