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1985年8月12日に起きたJAL123便墜落事故に関し、事故調査委員会が約2年後に出した『報告書』の飛行経路図からして虚偽であることが、同機を目撃した住民証言から裏付けられる。
『報告書』では、羽田〜相模湾〜伊豆半島を横断〜静岡県焼津市〜山梨県〜神奈川県北部〜東京都北西部〜埼玉県西端〜長野県〜群馬県となっているが、JAL123便は米軍厚木基地と更に、米軍横田基地に着陸しようと試みた経路が意図的に改竄され、JAL123便は厚木基地か、横田基地に着陸できる態勢にあったことを隠蔽するために、虚偽の飛行経路記載が為された。
相模原市上空。「晴れた夕方のこの日8月12日、親や近所の人達がいきなりベランダに出て一斉に騒ぎ出しました。旅客機が煙を出して凄い勢いで迷走している、余りにも凄まじいエンジンの爆音だったのでまた米軍戦闘機かと思いきや、その時ばかりはなんとJALでした。それからでした、御巣鷹山にJAL機が墜落したと言うニュースを知ったのは。
翌日、TVでその惨状が中継され、あまりの凄まじさに子供心に震え上がったのを憶えています。ですが、問題はその後です。飛行経路は相模湾から沼津、そのあと栃木県へと入ってきました。少なくとも、NETニュースにはそう載っています。ですが、もしそれが正しいとしたら、親や近所の人達が悲鳴と一緒に騒いでいた『飛行機が煙を出して飛んでいる、事故だ!』というのは何だったのでしょう。高度が明らかに米軍のそれではありませんでした(『天空の星たちへ』公式サイト)。
JAL123便は、相模原市上空で凄まじいエンジン爆音を轟かせ、煙を出しながらも、米軍厚木基地着陸を試みたのか。
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