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8月12日というのはモリソン号砲撃事件のジンクスが。祖国から「受け取り拒否」という仕打ちを受けたのは、このモリソン号事件だけである。
古代より8月12日と言うのは(旧暦返還も考慮しても)
・日本がアメリカに砲撃する日
・ソ連が攻めて来る日
・ソ連が水爆実験をする日
というジンクスがあるのだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%8812%E6%97%A5
1837年8月12日(旧暦 天保8年7月12日)- 鹿児島湾、浦賀沖に現れたアメリカの商船「モリソン号(Morrison)」に対し薩摩藩及び浦賀奉行は異国船打払令に基づき砲撃を行った。(江戸湾で砲撃を命ぜられたのは小田原藩と川越藩)
しかし、このモリソン号にはマカオで保護されていた日本人漂流漁民の音吉ら7人が乗っており、モリソン号はこの日本人漂流民の送還と通商・布教のために来航していた事が1年後に分かり、異国船打払令に対する批判が強まった。
漂流民送還が目的であることを薩摩藩当局の役人に伝えたにもかかわらず、8月12日(七月十二日)、モリソン号は再び砲撃を受け、ほうほうの体で鹿児島から逃げ出すことになる。この期におよんでキングは長崎への入港を考えるが、祖国からの思わぬ攻撃におびえきった漂流民たちが反対したため、結局、マカオへと引き返すことになった。
この船は、非武装で、日本人漂流民7名を伴い、漂流民送還と通商
交渉のため来航したことがわかったため、幕府の対外強硬策に対し、批判が
高まりました。
長英は『夢物語』を執筆し、いたずらな打ち払いはかえって国防上の危機を招くことになる、として幕府の政策批判を始めた。だが、このことは、かねてから洋学を嫌い、崋山らに敵意をいだいていた目付の鳥居耀蔵(1796-1874)によって、彼らを陥れるための材料にされてしまう。
天保10年(1839)、崋山・長英らは鳥居の陰謀により、無人島(小笠原群島)渡航を計画した容疑で摘発される。これは全くの濡れ衣であることがすぐに判明するが、その捜査の過程で崋山・長英らの幕政批判が問題となり、彼らは処罰されることになった。いわゆる「蛮社の獄」である。
・1945年 - 第二次世界大戦・ソ連対日参戦: 麻山事件。満州国鶏寧県麻生区で避難中の日本人開拓団がソ連軍に襲撃され、421名自決。
・1953年 - ソビエト連邦が「初の」水爆実験(RDS-6)を実施。
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