http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/721.html
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扇形に光が広がった<以下引用> 10
ところで二度の衝撃音と公表されている速度と距離が合いません。どうしてなのか分かりますか。??? 最後の瞬間の記録も改竄されてしまっているのでしょうか。???
この事故はホントに謎が多すぎます。 他の事故では考えられないことばかりです。
なぜなのでしょう?
そうあの日の記憶をたどっているうち思い出した。
あの123便の後を追うように超低空を低速でパスしていったF4ファントムの存在だ。
濃いグレーのその機体にあったマークはどっちだったか。ひのまるか!それとも米軍機の星マークか!まだ思い出せない。
それにしてもあの低速であの山並みを縫うように飛ぶというのはよほどの手練れに違いない。考えてみたら命がけの飛行である。単なる訓練ではあり得ないであろう。
主翼のマークが見にくかった理由。それは単純にミサイルがじゃまで見えなかったから。そうだったんだね。実戦装備の機体だった。
それにしてもあの時の窓を両手で打ちたたき助けてと叫んでいたあの人はだれだったのか。
何もしてやれなかったことが心に引っかかっていまだに拭えない。
ただただ彼女の安らかな眠りを願うしかない。
隔壁破壊の嘘さえなければあの写真がすぐに123便だったことに気づいたはずなのに。
残念でならない。もう少し早くわかっていれば、、、、。
政府の嘘も自衛隊の悪行もみな裁けたのに。彼らの脅しがなければ中曽根さんも一生こんなことを背負い続けなくて良かったのに。お気の毒です。
2010-08-26 05:51 : 123 URL : 編集
扇形に光が広がった<以下引用> 9
人の記憶とは不思議なもので、あれこれ話し合っているうちに芋蔓式にいろいろ思いだしてくるもので。あの二度の衝撃音をなぜみんな雷だと思ったのかの話の中で、注目すべき事実が明らかになってきた。
最初の音がした寸前に下から上におおぎ型にぱっと光ったと一人が言い出し、もう一人は光りのリングのようなものがその時広がりすぐ消えたといいだした。そうなのだ、その光りと音のため落雷だと思ったのだ。
普通は空全体が光る感じが落雷だが...局地的な落雷は部分的に光るのだろうと思っていた。でもね〜そんな落雷あり得ないと気象の専門家はいう。
2010-08-26 05:43 : 123 URL : 編集
扇形に光が広がった<以下引用> 8
私たちは家族で123便を墜落数分前に目撃したものです。ただし墜落当時はその目撃した機体が123便だと思っていませんでした。理由はその当時マスコミでいわれていた状況と目撃した状況が違いすぎたからです。
正常な機体と垂直尾翼が綺麗な二等辺三角形で小さい以外は何の異常も見えなかったのです。圧力隔壁が破裂したという事故報告ですがその後ろのテールコーンも正常で壊れておらず飛行姿勢もひどいダッチロールはなく正常に飛行しているようにしか見えない状況だったのです。速度はまるで着陸しようとしているような比較的低速で、着陸ギヤを出し、フラップを下げているのを見ています。
高度も低く窓がはっきり確認でき、大部分の窓に日よけのブラインドのようなものがおろされていて開いている窓から女性が一人両手を頭の上で交差させて振る仕草が見えるほどだったと記憶しています。
この事を覚えていた最大の理由が異常なエンジンコントロールの音だったのです。頻繁にエンジンの回転速度を変化させるジェットエンジンの使い方においてタブーとされる使い方をしていたことでした。壊れた垂直尾翼もあまりにも綺麗にナイフで切ったような真っ直ぐな切れ口で元々そう言う形をしていたかのように思ったのです。
その123便が尾根の向こうに姿を消し音もほとんど聞こえなくなった数分後、最初の直近に落ちた落雷のような鋭い音があり、その時閃光が下から上に向かっておおぎを広げたように空にまるく広がるのを見たという話なんです。その3秒ほど後に今度は閃光はなく雷鳴が遠くで響き渡るような、厚木で輸送機が墜落したときに似たような音が響き渡ったのを家族で聞いたのです。
今考えればジェット音が聞こえなくなるほど離れたのに直近の落雷の音のようなバシッという鋭い音がしたのはおかしいのですが、閃光もあり落雷に似た音だったので20年もその音があの123便の墜落音だと気が付かないまま来てしまったのです。そのことを書いたわけです。
私が気が付いた理由は最近出版されたDVD付きの123便墜落事故に関する詳細な記録本を本屋で立ち読みしたことがきっかけでした。
そこには事故当時のTV報道とは全く違う事実がいくつも書いてあったのです。その事実が私の記憶を呼び覚ましたのです。あの当時の報道がいかに事実と異なっていたかの証明のようなものでした。
2010-08-26 05:41 : 123 URL : 編集
扇形に光が広がった<以下引用> 7
本年も皆様方にとって良いお年でありますように。
この事件も20年を越え、いよいよ人々の記憶から風化して消え去る状況です。しかし事故に遭われた方々のご家族はもちろんのこと、原因とされた隔壁損傷の尻餅事故の当事者であった機長並びに機関士のご家族。この方々にとって決して単なる過去の事故ではあり得ないのです。
事の重大さの故、原因とされたしりもち事故の機長も機関士も共に自殺を余儀なくされておられます。
三太郎さんたちへ聞きたい。あなた方は追求のガス抜きのように隔壁破壊はなかったとおっしゃる。その事実を知ったしりもち事故のご家族はどう思われるのでしょうか。
あなた方の遺族のために口をつぐめという主張はもっともらしいが欺瞞に満ちている。
次に載せる写真の答えを知りたい。この写真の翼の外板はすぐ傍の立木をなぎ倒さず。さらに一本の立木はその外板を貫いた状態で立っている。どのような落方をすればこのような状態になるのか?
かなりの高度から垂直に落ちなければこうはならないと思うが他の考えがあるか?あなた方のお答えを松。 <http://pine.zero.ad.jp/~zad25714/123.jpg>
2010-08-26 05:37 : 123 URL : 編集
扇形に光が広がった<以下引用> 6
実は妙なことを今頃思い出したのです。それは最近日航機事故を検証した分厚い本を本屋の新刊書の中から見つけて立ち読みしたことによります。(DVD付き)20年後の今頃その本のおかげで私の見たものが123便だったことを知ることになりました。
私たち家族は恒例の北軽井沢キャンプから未割り当て区域であった福島のある村に向かう途中でした。もう何処の山間であったかは記憶にありません。しかし今思えば旅客機があんな低空で飛ぶような場所ではありませんでした。
私はその機体をわずか数十秒間見たに過ぎません。それは123便が最初頭上に来たとき異常に低い高度であったことと山の谷間にいたため視界が限られていたことによるのです。しかし、今思い出せば上空を私が見上げてその機体の姿を見たいと思ったその動機となる現象があったのです。
それは異常なエンジン音だったのです。フオー、フューン、ゴオー、としょっちゅうエンジン音が変化していたのです。ジェット機のエンジンは普通車のエンジンのように回転を上げたり下げたりを短時間で繰り返すような使い方ができないものなのです。そうした使い方をすれば異常燃焼を起こして生ガスが思わぬところで爆発することだってあり得るでしょう。
パイロットはそうした極限状態を試しているように思えたのです。私たちの頭上を飛び越えていくその機体は異常なエンジン音を除けば若干機首を上に向けすぎているようではあったが報道で言われているようなひどいダッチロールはなく比較的正常に飛んでいるように見えたのです。主脚は出ていて着陸態勢のようにも見えます。比較的速度は遅くフラップも降りていました。
かなり低空で私たちを中心に右旋回しその後は割に安定した姿勢で上昇していきました。フラップをおろしているためエレベーターで持ち上げられるように。そのままでかなりな高度を取り10キロほどの距離を進んだと思います。
そして上がりきるとかなり急な右旋回360度。そして今度は急激な降下をしながら来た方向と反対側の稜線の向こうに降りていった。その後しばらくまたあの変化の激しいエンジン音。それがだんだん遠ざかりエンジン音がほとんど聞こえなくなった2.3秒後ぐらいだろうか最初のバシッという直近の落雷のような音。そしてそのさらに3秒後にバリバリバリト言う雷鳴のような音。私は雷が落ちたようだねと言った。
まさか墜落した音だとは思わなかった。その後また雷の音がするかと耳を澄ましていたがジェット戦闘機が複数飛び回る音が遠くで聞こえるだけ。旋回し遠ざかっていった。雷はその後鳴らなかった。これが私の記憶の飛行状態の全てです。今思えばあの日は晴れていたはずだった。夕方とはいえ落雷は平地であればあり得ない。私たちは山岳地にいたので晴れていてもあり得ないことではなかったのでそう思いこんだのだと思う。
それだけではありません。私はその機体の窓が見える高度で見たわけですが、機体の損傷がほとんど分かりませんでした。機体後部の隔壁のさらに後部部分も(ソフトクリームのコーンのような形の尾部部分)壊れていませんでした。垂直尾翼が異常に小さいように見えたのが唯一の異常でした。家族に向かっておかしいなあの機体垂直尾翼が異常に小さいぞと言ったのです。
私はその本を読むまでその機体と確かに日航ジャンボであったのですが墜落した機体と同じだとは思っていなかったのです。それは事故原因とされる隔壁破壊による機体後部の大幅な損傷をイメージしていたからに他なりません。報道された損壊状況とは著しく違うのです。
私は今証言できるのです。あの日航機は隔壁破壊はなかったと。そして見事に垂直尾翼はほとんどなかったと。その機体を機長たちは見事に操縦していたと。それもエンジンコントロールだけでである。そしてあの操縦を可能にしたのは水平尾翼の存在であった。ほとんど見た目の損傷はなかった。昇降舵も存在したと思う。
私は専門家並に航空力学を独学で勉強した人間であり、中二でラジコン機を最初から設計して自ら作り飛行させた人間である。ラジコン技術には天才少年とまでそのころ言われたのだ。私の航空機を見る目は全くの素人ではないのです。
私はそうした専門的な目で機長たちの超人的な努力に並の敬意を越えた敬意を覚えざるを得ない。その努力会ってあの数名の生存者を可能ならしめたと思う。
それに引き替え。アメリカ軍と日本政府の対応はとんでもなく。憎むべきものと言える。なんと墜落の二時間以前にアメリカ軍のヘリは現場に到着し生存者救出のためワイヤーで降下する寸前であった。それを中止させ帰還命令を出していた事実が明らかとなった。(米軍パイロットの証言)そのことは生存者たちの証言でも明らかだが、その証言は無視されていた。
日本側が墜落現場を特定し救出活動を開始したのはなんと12時間後のことであった。この遅さは異常である。なぜならばその救出をいち早く行おうとしていた米軍のパイロットたちは二機の自衛隊機を現場付近で確認していたからである。
つまり自衛隊は事故の二時間後には墜落位置を知っていたという事実である。事故現場から目視で自衛隊機が確認できたと言うことは事故現場の煙を容易に自衛隊機から確認できたはずだと言うことが導き出せるのである。
これはいったいどういうことなのか。。。。?
隔壁破壊がなかったとすると、なぜボーイング社は隔壁の修理ミスを自ら言い出したのか。。。?
シンドラー社ではないが自ら自分のミスを認める会社は欧米にはない。そういう感覚は持っていないのが欧米流である。わたしは今国家というものの恐ろしさを改めて痛感している。聖書がそれを獣として著す正確さをあらためて感じている。
もしもっと真実を政府が語っていれば私はあれが日航機であったことを証言できたであろう。...残念である。今さら隔壁破壊は嘘だと言っても始まるまい。
以下はあるブログにあった証言である。私たちのいた北軽井沢と菅平はそれほど離れていない。
「ドドーン」。
物凄い大音響が菅平の奥、峰の原の山々にこだました。
20年前、家族でペンションに休暇滞在中のときだった。
夕闇が早い山の薄暗い午後7時前、「何だスゲー音だ!!」と
子供達が口々に叫びながら、「落雷?」。晴れた空なのに?
Pensionでの夕食後、TVのニュースに見入ったら、
行方を追っていた自衛隊機が、御巣鷹山に炎上している
形跡の場所を発見。
それが墜落現場だった。
峰の原から、東南東の方向へ直線距離で約80Km。
時間的にもぴったしの轟音。
いみじくも今も耳にこびりつく「ドドーン」は、
墜落激突した時の音だった。
私の8月12日の誕生日に。
520人の上に冥福と、ご遺族の上に、
主の平安を祈りつつ。
ところで私の記憶はだんだん鮮明になりつながってきました。私たちは子供のトイレか何かで車を止め車外に出ていました。その時尾根の向こう側からフオー、ヒューン、グオーとジェット機にはあるまじきエンジン音が右に行き左に行き近づいてきました。かなり低空で私たちを中心に右旋回しその後は割に安定した姿勢で上昇していきました。フラップをおろしているためエレベーターで持ち上げられるように。そして上がりきるとかなり急な右旋回。そして今度は急激な降下をしながら来た方向と反対側の稜線の向こうに降りていった。その後しばらくまたあの変化の激しいエンジン音。それがだんだん遠ざかりエンジン音がほとんど聞こえなくなった2.3秒後ぐらいだろうか最初のバシッと言う落雷のような強烈な音。そしてそのさらに3秒後にバリバリバリト言う雷鳴のような音。私は雷が落ちたようだねと言った。まさか墜落した音だとは思わなかった。その後また雷の音がするかと耳を澄ましていたがジェット戦闘機が複数飛び回る音が遠くで聞こえるだけ。雷はその後鳴らなかった。これが私の記憶のしている当時の状況全てです。
この記憶を前提に、いろいろな疑問がわいてきます。まずは墜落したと思われる寸前の無音時間と最初の爆発音のような激しいバシッという音と、その後の機体の崩壊が進む時間を示すバリバリバリという長い衝撃音。
その間3秒ほどの時間があった。その時間差はボイスレコーダーの記録と一致する。事故記録によれば最初に導体の真ん中を尾根に打ち付け分解した機体がその斜面に機体が打ち付けられバラバラになったということになっている。私はこの3秒間とあのジェット戦闘機の高速で飛行するエンジン音は気になる。ジェット機の速度である最初に接触したとされる尾根の頂上から下の斜面でバラバラになるまで3秒の時間は長すぎる。3秒あれば尾根二つ三つ飛び越えてしまう速度のはずなのだ。最初のバシッという爆発音がどうしてもよけいなんです。そして私たちの耳に届いていたあの戦闘機のジェット音の正体は。最初に墜落現場に行ったのは米軍のC130輸送機とされています。でも私の記憶では直後から戦闘機が一機以上いたはずだと申し上げられるのです。自衛隊の撃墜説まで出てくるのはこう言った事実が存在するからだと思います。墜落の瞬間は山の遙か向こうで見ていませんので何も言えません。ただ私の記憶と事実とは調べれば調べるほど撃墜された事がより疑われる事実だったことが分かります。
みなさんに申し上げておきます。近くで銃弾を肉眼で見ることは不可能です。でも速度はマッハ1を超えます。本物のミサイルは映画と違ってマッハ2を越えます。それが意味することをさとってください。ただしまっすぐこちらに遠くから近づいてくる場合は砲弾でも見えるのです。ペンタゴンに突入した旅客機を近くの高速道路があり車がたくさん走っていた時間にだれも目撃できていない事実はそれがマッハを遙かに越えた飛行物だったことを意味しているのです。
あの窓から写したものは墜落間近に撮られた写真であればそれが何であるかは理解できるでしょう。低空であることから最初の衝撃とは関係ない写真でしょう。
2010-08-26 05:25 : 123 URL : 編集
扇形に光が広がった<以下引用> 5
>墜落の二時間以前→墜落の2時間後ーという日本側の10時間も前にーと書こうとした。
ところで分からない方も多いと思うので説明しておきますが。火薬類には花火に使うような黒色火薬と2時大戦前から使われ始められた無煙火薬を代表格に化学合成火薬があります。そしてさらにライフル弾はお尻に雷管が付いていますが、衝撃を与えると発火する炸薬というものがそこに入っています。昔はこの炸薬を小さく紙にロール状に並べたものを挿入するおもちゃのピストルがありました。本物のピストルはこの炸薬を雷管に仕込み撃鉄がそこをたたくとその火が薬莢の中の無煙火薬に着火して燃焼させ弾を押し出す仕組みになっています。
最初に聞いた破裂音は、音速を超えない花火の音のようではありません。明らかに音速を遙かに超えた燃焼速度を顕す破裂音だったということです。この高速の破裂音は音速を遙かに下まわる旅客機の墜落では生じ得ないものであることを知ってください。稲妻は音速を遙かに超えて空気を切り裂き近くに落ちたときは鋭い同様の音を発します。
いろいろな証言はありますが私は父親が大口径ライフルを所持し、火薬類の扱いも通じていたため、その知識を教え込まれました。イベントで発射される火縄銃の音も一般の狩猟用の散弾銃の音もよく知っています。それらの音は大口径ライフルの発射音とは異質なものなのです。
はっきり言って大口径ライフルの音は傍にいるのが苦痛になります。初速が音速を超えるため銃身の近くに身を置くとその衝撃波でみぞおちを殴られたようになってしまいます。近くにいるだけで気分が悪くなるほどの音だと言ったら分かるでしょうか。そうした音を知っている方にはその大口径ライフルの発射音に近い音といったら分かるかも知れません。
その最初の音だけを根拠にしても123便に何が起きたかを理解できるものは理解できるのだと言っておきましょう。
可能性はミサイルだけではありません。機内に高性能爆薬が仕掛けられていた可能性もあります。しかし、状況からその可能性は著しく小さくなるのです。最初の機体損壊の時に爆破せずに時間をおく必然性が全くないという現実があるからです。
2010-08-26 05:22 : 123 URL : 編集
扇形に光が広がった<以下引用> 4
ご質問にお答えします。
あなたはおいくつですか?その当時のニュースを本当にごらんになっていましたか。今公表されている図柄は事故直後の推定図とは似てもにつかぬものだったですよ。テールコーンが無く水平尾翼の昇降蛇も無いという絵柄だったのです。ですから飛行が継続できたの意味でかまいません。
昇降蛇も存在したと思うと書いたのはそうした報道を前提に語っているのです。水平尾翼の面積が著しく小さくなった場合ダッチロールは大きくなり全くコントロール不能に陥ります。エンジンのコントロールなどで修正できる範疇ではありません。模型で試してみては? その当時の報道ではあなたの言う隔壁大破壊が墜落原因と報道されたのです。亀裂や損傷でではありません。事実を確認してからものを言ってください。
あなたが主張されていることは事故ご調査が終わり何ヶ月か、いや何年後かの結論だったかも知れませんね。
あなたはミサイルがサイドワインダーと決めておられるようだがそれはどんな根拠によるのでしょう。私は自分に向かって飛んでくる22口径の弾丸を目視した経験を持ちます。相対速度という概念をご理解されますか? 記録さんの>赤いプロペラの付いた物体が、畑の上を飛んで行き、それがJAL123便に当たって飛行機が爆発した。{匿名・・テレビ取材、農家主婦と息子}という証言もあるようですがこれがサイドワインダーの特徴を顕していますか?
あなたは自分の操縦で空を飛んだことがありますか?空では10キロ以上先の鳩やカラスがよく視認できますがサイドワインダーはそれより小さいのでしょうか。ペンタゴンは巡航ミサイルだという説があるのですね。だとするとあの破壊ではほとんど爆薬を積んでいなかったことになりますね。私は通常の地上攻撃用小型ミサイルかと思っていました。
写真に詳しくない? 確かに専門家ではありません。中学時代から現像引き延ばしを自分でやる程度のものです。カメラはニコンF、ニコンFE、マミヤRBZー67などをつかっています。あなたはどれほどの専門家ですか。航空機から撮るような場合まず間違いなくピントは無限大でぴたりです。ぶれは相対速度と撮影者の腕次第でしょう。
私がミサイル説を採るのは限りなく自分が聞いた音だけです。私が仕事先にしていたところが厚着基地近くでした。輸送機が着陸に失敗して墜落したときその音を聞きました。ずーんと言う鈍い音のあとドラム缶を引きずったような音が続きました。123便より堅いコンクリートに打ち付けられてもあんな鋭い音はしなかったのです。私は自分が経験した事実のみから推論している。それだけのことです。もう私も60近くになりますのでそれなりの経験則を持つと自負しております。
2010-08-26 05:18 : 123 URL : 編集
扇形に光が広がった<以下引用> 3
実はあの当時のことをできるだけ正確に思い出そうと家族にも協力をしてもらい、記憶をたどっているうちに写真を撮っていたかも知れないことを思い出した。だがあまりにもいいかげんな保存の仕方でネガが何処にあるやら。
ところで三太郎さんあなたの希望は希望として尊重しますが。事実をとやかく言ってもらってもねえ。それに三人が同一人物だとおっしゃるに至っては何とも。窓枠の写っている写真はどこかのサイトで鮮明なものが見られますか?白黒のぼやけたものは確認しました。三太郎さんあなたのご意見が正統なものかどうかはデーターを示してもらわないと何とも言えないね。たとえば35ミリレンズで撮ればまだ明るい空の写真はASA100のフィルムでf11で1/500秒が切れるかな。そして50センチ先からピントは合うでしょう。コントラストが強い絵になるがそれでもあんな感じでとれるでしょうね。ゴミと言うには大きすぎないかな。なんのためにゴミを撮ったのか?明らかに中心付近にあのゴミを持ってきているよね。
それからなんどもいうけど。私は長年この事件を調べてきたわけではないのです。たまたま本屋で20年目を迎えるに当たって出版されたあの本を立ち読みしたことから今日に至っているのです。そして今日まで私が見たものが123便であることに気づかなかった理由があの当時の隔壁大破壊説だったといっているのです。
まず第一に垂直尾翼が推定図では細長く小さくなっていかにも破壊されたような形状とされています。。強調しておきます。しかし、私の見た形は違います。あたかも最初からその様に作られたものであるかのような綺麗な三角形だったのです。もし破壊されたものだとすれば高速でスパッとかみそりで切ったかのように綺麗なものでした。
私は自分で実際に飛べる機体を設計し作った人間です。ですから垂直尾翼の必要面積の比率を感覚的に理解する能力を有します。家族との話の中でも私はおかしいなあの機体は垂直尾翼がないぞと言ったのに対して、息子はえっと言って眺めてからそんなことなないよちゃんと付いてるよと答えたことを思い出しています。私以外の家族はその面積が足らないことを何とも思わなかったのです。
それほど自然な姿形で外見上異常なく飛んでいたわけです。それとやはり私だけが異常を口にしたのですがあの二度と聞けない音。同じようなジェット音を聞くことはありません。あのこまめに切り替えるジェット音を。
また滑走路上に墜落したC130だったでしょうか。厚木基地での事故の音とも全然違う最初の衝撃音。二度目の衝撃音は似ていると言えば似ていました。ただ厚木の場合ドラム缶を引きずったような音が強かった点が違うのです。
私のあくまで想像の域を出ない発言ですが。123便が最初に垂直尾翼を失ったとき。高速で飛行する戦闘機の主翼のような鋭い先端でスパッともって行かれたと考えることができると思います。そうでないとああいう壊れ方にならないような気がします。あまりにも綺麗な三角形なのです。いわゆる二等辺三角形です。
このサイトの秩父の方が写したという写真のコンピューター解析図があります。あの垂直尾翼が三角形の図と同じです。見てみてください。
2010-08-26 05:08 : 123 URL : 編集
扇形に光が広がった<以下引用> 2
お答えします。最初のバシッという直近の落雷のような音を100とすると3秒後のバリバリ(ゴロゴロ)音は6〜70パーセントの音量でした。たとえると山のこちら側と向こう側の音の違いといったらご理解いただけるでしょうか。
あるいは直近の落雷の音と遠い空の上の雷鳴との違いといったら分かるかな。まさか墜落音とは思いも寄らないので似た音の雷の音と自分を納得させた。しかし耳を澄ませて長い間待っても二度と雷鳴がならないのでおかしいと思ったので記憶に残っているのです。キャンプをしていてテントでは雷ってすごく嫌なもんなんです。それで家族もこの落雷?の音は覚えていたのです。
2010-08-26 05:03 : 123 URL : 編集
扇形に光が広がった<以下引用> 1
写真の件にお答えします。あの写真の中では67番ががイメージに近いです。写真に向かって左側の路側帯にランドクルーザー60のトレーラー付きを止め休憩を取っていたと思ってください。その時画面上の右側から異常なジェット音です。そして私たちを中心に右回りで正面の山の上空に昇り右旋回360度のあと画面左側の尾根向こうに消えていたのです。
音はちょうど標識(手前勾配の)方向から聞こえてきたと思います。ただいた場所は小諸近辺かさくちかくのR254の方が可能性があります。だとすると墜落地点から30キロ未満となりますね。90キロ離れた菅平で大音響を聞いたとの証言がありますからかなりはっきり聞こえておかしくありません。最初のバシッが2つの音が短い時間でババンと重なっていたかどうかははっきりしません。
2010-08-26 05:01 : 123 URL
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