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腐る組織、腐らぬ組織 週のはじめに考える
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投稿者 gikou89 日時 2010 年 7 月 25 日 12:49:40: xbuVR8gI6Txyk
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2010072502000038.html
組織とは一体なぜ腐りゆくものなのでしょうか。日本相撲協会の腐敗と甘えの構造は国民の知るところとなりました。外部の目の必要性を考え直します。
組織論で言うと、まず役所の腐敗について説いたパーキンソンの法則があまりにも有名でしょう。英国の政治・経済学者パーキンソン(一九〇九〜九三年)は風刺的書き物を好み、その法則とは、
「役人の数は仕事の量とは関係なく一定の割合で増え、財政支出は収入のあった分だけ出て行く」
という単純にして現実を射ぬくものでした。日本の役所にもぴったり合うと思われるでしょう。
役人は勝手に増える
英国では軍艦と軍人の数が減っているのに技官と技術事務官は増えていたのだそうです。例えばポーツマス軍港で技術者が一人増えたら、ロンドンの本省では二人の事務官が増えていたように。
英国史とは長く王政との対決史でした。英国民には権力と税に対する抜きがたい不信があります。権力を冷ややかに見るくせは伝統でもあるのでしょう。
パーキンソンは役人天国についても法則を見つけました。いわく「拡大は複雑を意味し、複雑は腐敗を意味する」。霞が関の省庁が特殊法人や外郭団体をたくさんつくって複雑化させ、次に天下りと無駄遣いという腐敗をなしたことに相当します。そのミニ版は地方自治体にも見つかりますが、これらは世界共通の腐敗でしょう。
同じく英国の歴史学者ジョン・アクトン卿(一八三四〜一九〇二年)の「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」という言葉もよく知られます。当時のカトリック本山、ローマ教皇に向けられたのですが、外部の声を聞けと唱えたのです。
情報公開がつくる風穴
パーキンソンの法則もアクトンの言葉も、だれもがその通りだと思うのですが、問題は腐敗した役所も組織も権力者もどの国にもあって、しかもなかなか駆逐されない、ということです。
一つには役所などは無駄な仕事でも正当に見せる技術にたけていること(過大な道路建設やハコモノを思い出してください)。もう一つは、これが大事なのですが、外部の目の届きにくい仕組みを巧みにつくっていることでしょう。
上場会社なら、外部監査や株主総会という外部の目が存在しますが、役所や議員らは自らを特権的立場に置き、情報公開はできるだけ拒絶、そうして複雑化と腐敗への道を進みがちなのです。そこに風穴をあけるにはまず十分な情報公開が必要でしょう。情報なくして住民の目は届きえません。民間企業では内部告発もあります。ともかく外に知らせるのです。
目下問題の財団法人日本相撲協会の場合は、閉鎖的組織という点では役所に似ていますが、もう少し複雑かもしれません。
まず「国技」といわれるゆえの甘えがあるでしょう。国技の“名付け親”は尾崎紅葉門下だった作家江見(えみ)水蔭(すいいん)といわれます。一九〇九(明治四十二)年六月、東京・両国に屋根付き常設相撲場開館の際、その名をめぐっては常設館委員会委員長の政治家板垣退助は武道奨励を印象づけようと尚武館を提案。片や相撲好きの江見は「そもそも角力(すもう)は日本の国技、歴代の朝廷之(これ)を奨励され…」と初興行披露文を記していて、それが力士側の支持を得て国技館の名の起こりとなりました。
国技と呼ばれるのは、国が決めたわけでなく、その伝統と国民的人気のゆえですが、そこに甘えと独善のわなもあったのです。
第一に相撲協会は力士出身者で構成の身内集団であり、不祥事が続いても外部には分かるまいと言わんばかりの消極的対応に終始してきました。第二に「国技」の名の下の甘えと甘やかしから社会常識を失っていったのです。
議論を広げるのなら、最近の日本で一番大きな外部の目が入ったのは裁判員制度ではないでしょうか。国民には大きな負担なのですが、裁判所という専門集団、閉鎖社会に新しい風を吹き込みつつあります。企業では監査役を外部から招くことが増え、経営に新風をという点では日産自動車のゴーン社長の例もあります。多くの新聞社は日々の新聞を外部識者に読んでもらい意見を聞いています。
社会的存在という意味
組織を腐らせない有効で簡便な手段とは、結局、外部の声に耳を傾けることに尽きるのではないでしょうか。つまり組織とは、会社にせよ、役所にせよ、相撲協会にせよ、それが社会的存在である以上、他の社会構成者たちの声を聞くことで、相互に公正で適切な社会的存在たりうるという当たり前の結論にも導かれるのです。相撲協会の危機とは、その当たり前を思い直す機会かもしれません。
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