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(回答先: Re: 日航ジャンボ123便 長野のピカ現場でキャンプの人の決定的証言。 すぐ近くまで遺体の一部やら、手や足や・・散乱し 投稿者 愉快通快 日時 2010 年 7 月 22 日 03:57:32)
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日航ジャンボ機墜落
テーマ:ブログ
人生は「一期一会」、昨日は「日航ジャンボ機520名遭難」の記念日でした。
1985年8月12日午後6時56分、あの大惨事が発生しました。
たった一人、島根県大社町の女の子がペリコプターで救助されてロープにぶら下がってる感動シーンを全国民が目撃しました。
8月6日、8月9日、8月12日、日本人にとって忘れることの出来ない悪夢の日が奇しくも3日おきに続きます。
先日も54歳で発病後あっという間に亡くなった知人の奥さんのことを書きましたけど、
袖刷りあうも多少の縁、いろんな出会いがありますしあんな人に出会わなければよかったと言う事もあるかもしれない。
でも、それも人生。出会うタイミングも運命の分かれ目となります。
巡り会うその相手次第によっては覚せい剤の共犯というどんでん返しの人生も待っています。
「8月12日」のことは毎年、同じことを書いてます。
私たち家族にとっても絶対にあの日のことは一生忘れないメモリアルな経験です。
あの日、ジャンボ機が墜落した現場の至近距離でわが家族、親子6人全員は楽しいキャンプを張っていたのです。
確かきっかけは、ご近所からとっても素晴らしいキャンプ場があるから一緒に行こうということでした。
当時の自宅は埼玉県越谷市です。
買ったばかりの白いクラウンスーパーサルーンにワイワイガヤガヤ小さな子供たちも大喜びで乗り込みまして、
まあ遠かったですねえ・・ざっと8時間、長野県南相木村です。
山道ががたがたで、坂も上れるかどうかぬかるみでドロドロの悪路でしたが、山間のキャンプ地は多くの
家族でにぎわい、キャンプファイアー、バーベキュー、池での魚釣り、冷たい清流、トンボが飛び交い、もう最高でした。
ぐっと冷え込む真夜中に、寝静まったテントから見上げる空の星がきれいでした。
ダンボール箱に収まってゴキゲンな三女のちっちゃい姿が写真に残っています。今は広島大学で看護師です。
あの墜落現場の山の尾根は群馬県上野村と長野県南相木村とにまたがっています。
山の名称も群馬側からは「御巣鷹山」、長野側からは**山、同じ山なのに呼び方が違います。
(エベレストとチョモランマも同じですね)
墜落第一報の臨時ニュースでは「長野県の・・」と報道されました。まだ夕暮れ時でしたねえ。
確か翌日になってから「群馬県の・・」と訂正されたのです。
私たち一家は運よく墜落の10数時間前に現場を離れて帰路に就きました。
自宅についてしばらくして突然、大事故のテレビニュースが流れました。
ついさっきまでいたキャンプ場のあたりです。
残ったご近所の家族の安否がまず気になりました。
翌日、命からがら帰ってきた「お隣さん」に聞くと、落下する機影を子供さんが目撃したそうです。
そしてすごい衝撃音・・。
やがて、自衛隊の大部隊が乗り込んできて地獄の修羅場になったのです。
すぐ近くまで遺体の一部やら、手や足や・・散乱してすごい光景だったようです。
その子はしばらくは精神的に不安定になりました。
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