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「山本五十六の大罪」(ハゲタカのパシリ、竹中やミッチ−の馬鹿息子のようなポジションと考えると辻褄が合います)
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak40/msg/622.html
投稿者 小沢内閣待望論 日時 2010 年 7 月 14 日 12:13:18: 4sIKljvd9SgGs
 

http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/bookstand-magazine032.html  

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01. 2012年2月29日 02:24:01 : 38MKu5uRCM
中川八洋 氏の著作は言動の無知・無責任さと
あまりにもひどい悪意の曲解とに満ちている。
言論に名を借りた狂気のいいがかりである。
軍の組織も陸海軍の違いも誰が何の指揮者なのかも理解していない、
事後に定まった現代の戦訓によって批判するなど、
いちいち反論するのも愚かしいが
まともに受けとめている方が多いので以下を記す。

崩壊寸前のロシア1国相手の辺境の局地戦である日露戦争と
最強国米英および全世界を敵とした太平洋戦争とを同一レベルで
多くの人々が比較し批判しているのには言うべき言葉がない。
卑劣・卑怯な無差別大量殺戮を強いた敵に対してではなく、
戦死していった故人を嘲笑・愚弄そして罵倒し、
寄ってたかって石を投げつける如く、
犯罪者として罵声を浴びせるという、
残酷で愚かな風潮を許すことは日本人全体の尊厳を毀損することであり、
日本の精神的退嬰を画策する愚かな行為である。
或いは、これが日本人の真実なのだろうか・・・・・・。
開戦に至る日本人自身の軌跡にもっと目を向けるべきではないのか。                                  

      
○「決して最前線に出ない臆病者」

ネルソンや東郷の時代と比較とはなんと言う時代錯誤か。
アメリカ軍も太平洋艦隊司令長官ニミッツはハワイの司令部(陸上にある)から全作戦の指揮をしていたのである。各々の作戦指揮は部下の各艦隊司令官が取っていた。ニミッツ自らが最前線での戦闘指揮をしていたのではない!!
明治時代の連合艦隊司令長官は原則として純粋な戦闘部隊のみを指揮下に置いていた。しかし、以降は次第に連合艦隊司令長官の役割は単なる戦闘指揮官ではなく、補給部隊や基地航空隊、鎮守府なども指揮下に持つようになり「海上作戦全般の総指揮官」という役目を担っていった。山本の時代には既に、各戦隊に東郷の時代にはなかった固有の司令官を配置するなど、艦隊機能が強化されていた。(東郷の時は各戦隊に固有の司令官は存在せず、状況に応じて指揮権を委譲され発動した)。
ネルソンや東郷らの戦場は1箇所(敵1箇国)だけの作戦。山本は多方面の同時作戦を戦わなければならなかった(西はマダガスカルから東は米国本土西岸、北はアリューシャンから南は豪州。真珠湾だけでなくフィリピン、マレー、太平洋諸島嶼、中国、蘭印・・・等々が同時に戦場となった)。世界中が敵になり、人類史に例のない広大な領域の戦いだった。山本がどこか1箇所に行っていたら現場は指揮命令系統が混乱するだろうし、誰が全体の指揮を取るというのか? 山本自身は重要局面においては前線指揮を取りたい意向であったが大本営が組織の秩序を乱すと反対したのだ。大本営が許可を出した時には既に機動部隊は壊滅しており再編成時に最前線に出たが部下たちの暗号取り扱い不備により戦死してしまった。
○「戦艦で後方に逃亡していた」
のは戦艦の速度が遅いからであり、無線設備が最も充実した艦船であり全体の指揮を取るためである。また、開戦以来、活躍の場がなかった戦艦群の士気を維持する為にあえて柱島沖泊地から進出したともいわれる。
○「空母の配置は分散配置が常識なのに山本が集中配置をして大敗した」
それまでは分散配置という概念は存在したが空母機動部隊は山本の日本海軍が世界で初めて創設し、真珠湾での使用を嚆矢とするものであるから、中川の「常識だった」などの言辞は後付けのデタラメだ。先制奇襲用に、互いの連絡が無線を使用せずに行える(秘匿性)、攻撃の即応性がある、防御用の航空機を有効に活用できる、などの利点に着目した現場の指揮官たち(源田実ら)が編み出した方式であった。暗号解読で既に作戦全貌を察知されていた状況にあっては裏目に出てしまった。レーダーや無線電話無きに等しかったこと、無線封止を実施中だったこと、警戒艦数が少なかったこと、などの状況の中では集中配置は適正だったとされている。様々な戦訓を取り入れ空母防御に空母を中心に据えた輪形陣(周りを巡洋艦や駆逐艦囲む)を取り入れるのは1944年5月のマリアナ沖海戦からである。ミッドウエーでは日本にレーダーがなかった為に結果として裏目に出てしまったが必ずしも悪い方式ではなく、状況次第でその後の米軍もこの配置を取ったこともある。
○「大和で敵の信号を捕らえながら、南雲に連絡しなかった」
クェジェリン環礁の第六艦隊司令部敵信班も敵の存在を傍受し、また本土の大和田通信隊もその傍受結果を全艦隊に連絡してきていた。この連絡および敵信そのものの少なくともいずれかを赤城が受信できているとの参謀たちの判断であるが、先制奇襲という作戦上、無線封止が基本であったことを考慮すればそれは妥当なものだろう。空母のアンテナ位置や当時の日本の無線機器の性能も低かったのだろう。空母飛龍では強力な電波(敵空母らしき呼び出し符号)を傍受していたがこれは司令官に届いていない。 また東京の軍令部は「敵は我企図を察知したる兆候無し」の敵情を発信してきていた。
これらの話は山ほどあるが各々が異なる内容であり、真相は藪の中であり中川氏が断罪できるような資料はない筈だ。
○「ミッドウエーでの敗退後にアリューシャン方面にあった空母で攻撃すれば良い」
などと言っているが距離があり時間的に間に合わないし戦力的に対抗できるものではない。
○「将棋」については
欧州の軍隊で古くから作戦研究に使われる「兵棋演習」の原点だ。彼等は将棋の変わりにチェスを使う。チェスや将棋は「兵棋演習」(Military simulation)の1形態であるとされていた。兵棋演習とは状況を図上において想定した上で作戦行動を再現して行う、作戦計画の立案や分析などの研究のために行われている軍事研究でありサイコロも使われた。戦術や考え事(重大な決断を迫られた時、部下を亡くし本当は胸が潰れそうな時、心を空っぽにし研ぎ澄ます為に) に山本は 静かに将棋をさした。 
○「水ガソリン事件」の件であるが、
彼等は別に信じた訳ではない。近衛総理大臣から海相・軍務局経由で話があった為、一応の確認実験を行わせただけである。日本が石油に如何に困窮していたかを示している。しかし、全く根拠のないことはなく、「水」はその成分である水素と酸素をコストを無視してでも抽出すれば燃料になることは当時すでに常識。水を燃料とするエンジンや装置は実用化されて使われている(潜水艇への応用も計画されている).。その期待もあってのことだろう。世界各国でこの研究は行われていたし、今も行われているのである。米・露でも透視や予知などの超能力と呼ばれる非科学的とも思われることを軍事応用に研究していたのは知られている。あらゆる可能性を試すことは当たり前のことなのである。有機物を作る「光合成」は水の中の水素と酸素とそして空気中の炭酸ガスを利用しているのである。決しておかしいことではない。
○「戦闘機の量的不足と軽視が、味方爆撃機の極度な損耗となった」
アメリカの軍事援助が航空機の面でも中国に入っていたということでありそれは予想を越えるものだった。
中立という立場であるはずのアメリカが日中の紛争に間接的にも介入していたということだ。
○「ガダルカナル・ミッドウエーの犠牲者に山本が手を合わせたとか涙ぐんだとかの弔意皆無、激励にガ島を訪れていない」
中川八洋氏は陸海軍の違いも、誰が指揮者なのかも理解していないように見受ける。
山本が戦争全ての指導者ででもあるかのように思っているようでもある。
制空・制海権を得ていたのは米軍側であることも理解していない。
ガダルカナルまで行くにはラバウルから戦闘機でも往復8時間かかり、現地滞在15分程しかいられない。
山本が負傷兵士たちを病院に何度も見舞い、ねぎらいの言葉をかけていたことは良く知られていることだ。
ガダルカナルの作戦主体は陸軍であり撤退兵士も基本的に陸軍であり、海軍の山本が出ていく場ではないはずだ。
陸軍側が撤退を言い出せない中で、山本が強く撤退を援護する旨の主張をしたので撤退が決定しそれ以上の犠牲者をなくすことができたのである。また、ミッドウエーについては海相、大本営が介入し兵士たちの聞き取り調査を行った後、隠蔽している為、山本は動けなかったろうし、動いたとしても報道もされなかったろう。ミッドウエー後、山本は大本営に状況を説明し早期講和を進言している。しかし大本営は戦争を継続する道を選んだ。
◎「アメリカを対日戦争に引きずり込んだ責任は山本五十六にある」とのことであるが
多くの日本人が感じている、「無謀な戦争に誰が走らせたのか」というものがあり、それは真珠湾奇襲を行った山本が悪いというものだろう。しかし、山本が開戦を決断したのではない。日本軍部も勝つ為に戦った訳ではないだろう。誰もそんなことは考えもしなかったはずだ。現在の世界情勢とは全く異なる世界。真珠湾の何十年も前からアメリカの意識に人種差別から来る憎悪と蔑視があった(今もJAPやNIPの侮蔑語はよく目にする)。欧米列強の帝国主義の膨張が世界の果ての日本で止められ行き場を失った憎悪が日本に降り注いでいた。1910年代には既に欧米列強諸国に日本非難の嵐が渦まいていたという。欧米諸国は中国に植民地を持ち、利益獲得の為に軍事物資を売り込んで日中間の紛争を煽っていたのだ。また明治以来の日本軍部のあまりにも無謀な軍事政策も世界に反日意識を生む原因の一つであった。これは当時の日本社会・日本人自身への批判でもある。
「真珠湾」の前年5月にはハワイに米太平洋艦隊本部が進出して来た。翌昭和16年、以下「Wikipedia太平洋戦争」より[7月18日、アメリカ陸軍長官・海軍長官からルーズベルト大統領に中国からアメリカ人が操縦する150機の爆撃機で9月から10月にかけて東京・大阪・京都・横浜・神戸を奇襲爆撃で焼き払う作戦計画が提出され、大統領による承認がなされる。7月21日には、中国戦線に派兵していたフライングタイガース隊を核とした日本本土への先制攻撃作成(J.B.No.355)が大統領、海軍長官、陸軍長官らの署名のもと認可された。アメリカ海軍は同11月26日中にアジアの潜水艦部隊に対し無制限潜水艦作戦を発令した。]以上Wikipedia太平洋戦争」。(ヨーロッパ戦線に爆撃機が回され実施が遅延するうちに日本の攻撃が始まった)
これは「戦争を意味する」と日本が受け取るのは当然だ。石油・その他資源も禁輸、在外資産凍結。日本国民にアメリカへの反感が沸き起こり、対米戦やむなしの輿論。様々の交渉の末にハルノート。外相も政府も陸海軍部もアメリカからの戦争挑発と認識せざるを得なかったのだ。石油備蓄は翌年3月でまともな軍事行動さえも出来なくなる状況にあり、「アメリカに強いられた戦争」に反撃し真珠湾攻撃で米軍の当面の脅威を除去し南方へ進出するしかなかったのだ。 
外相でさえ「自衛戦争であるから事前通告は不要」の見解を持っていたほどの状況であったのだ。山本は「事前通告の後に攻撃」を実施したが外務省現地職員の不手際で遅れてしまった。それがアメリカ国民の反感を買ったから山本が悪いというのは結果論。相手の卑劣さを非難せずに自国へ向かうのは相手の戦術にはまっているということだ。「郵便ポストが赤いのも猿の尻が赤いのもみんなお前が悪いから」式の身勝手な論に等しい。日本人の中に山本をテロリストと同一視する者があるがアメリカの準備していたことを見ればそれは言えないことが分かる筈だ。
◎東郷と比較し山本を批判する者が多いが全くの論外である。東郷の戦った相手は崩壊寸前の3流帝国1カ国であり1戦場であり、寒冷白夜のバルト海から彼らが経験したことのない強烈な日射・炎熱のアフリカ・アジアの数万キロ7ヶ月にも及ぶ苦難の大航海を経て充分な補給なく、訓練・整備もできず疲労困憊の相手。日本軍艦は金に糸目を付けず購入した、殆どが当時の海軍最強国イギリス製の新鋭艦であり、艦艇の種類も訓練も補給も豊富だった。勝つのが当たり前だ。山本は世界中を相手にして、これまでの人類史にもない広大な領域で戦わねばならなかった。軍艦・武器その他は全て日本製であった。誰かが彼に代わって指揮者となったところで何ができたろうか。日本海々戦で完勝したことでの東郷の戦訓「百発百中の砲1門は百発1中の砲百門に勝る」だけが伝えられ、結局、日本軍の近代化を妨げ敗戦へ繋がったとも言えるし、多大の人命損失によって日露戦争にかろうじて負けなかっただけなのに多くの教訓を生かすことなく「勝った勝った」と今でも、はやし立てている、この精神の幼稚さが軍部増長、軍事拡張に発展し敗戦へと至ったのでもある。日露戦を総括せずに歩んだことが最大の敗因である。山本はこの日露戦以来の上げ潮の流れに生まれ育ち、当時の日本人の意識そのものを体現していた筈だ。
◎アメリカの攻撃が間近に迫っている中で、そして開戦の命令が発せられている中で山本の真珠湾奇襲攻撃は国を守る軍人として全く正しい。今なお、日本人の多くがアメリカが取った行動を知らず山本を非難しているのは情けない。ルーズベルトは自分で日本奇襲攻撃の指示を発しておきながら(そして事前の暗号解読により攻撃を知りながら何の指示も出さず、ホワイトハウスの一室で趣味の切手アルバムを開いていたという)、何食わぬ顔で真珠湾攻撃を騙し討ちなどと非難し国民に反日意識を燃え上がらせた。その卑劣さをこそ日本人は非難すべきである。また、ルーズベルトは山本機撃墜を指令した本人であるが暗号解読によることを隠すため撃墜後も一切の発表をしなかった。日本は最後まで、暗号が解読されていたことを知らなかった。彼等の謀略の底知れぬ深さに戦慄を覚える。米英の「真珠湾」関連の政府文書には公開期日を過ぎても今後も公開されないものが多くあるという。
○「ミッドウエー海戦で日本軍は米軍より戦力的に勝っていたのに負けた」といわれることが多い。
戦力とは総合力のことである。空母・軍艦・航空機などの数で比較はできない。暗号や電子戦等の情報戦、輸送、武器、装備、組織運用、科学技術、開発力、工業力、心理戦、など圧倒的に日本は太刀打ちできない程の差が有ったのだ。例えば、戦闘機は正面の打ち合いになれば先に爆発するのは日本機である(機銃の数・口径・速度・射程も劣り、防弾機能なし)。米側の急降下爆撃機は545キロの爆弾を搭載できた(日本空母群に450キロ爆弾が投下された)が日本は250キロ爆弾しか搭載できなかった。空母搭載機数も日本側は50機台なのに米側は90機以上と大差があった。日本にはレーダーや無線電話(艦対艦、艦対空、空対空)もない。米側にはミッドウェー島の陸上航空兵力もあった。アメリカ航空兵力が360機に対して日本側は264機であった。決して日本側の戦力が優勢だったのではない。このことを人々は知らずに批判しているのではないか。日本人自らが意図的に戦力差を捏造して報道し、組織や個人批判の為の材料にしているようにも思われる。批判の為の批判。
○外交や軍の暗号が解読されていたということは良く知られているが次のことはどれ程の人たちが知っているだろうか?。
珊瑚海海戦以後は次第にレーダーや電波傍受網などで艦船・航空機の位置も探知され、攻撃隊の発する通信も傍受されて待ち伏せを受け、まともな軍事行動はできなくなっていったのだ。残念ながら日本はこれらのことを最後まで充分には理解していなかったし、今も理解していない日本人が多く、「誰々が悪い」、「あの作戦はこうすれば良かった」、「ああすれば良かった」と様々の批判を繰り返しているが彼等は状況を理解していなかった軍部より悪質だ!。レーダーだけでなく、多数の連合軍艦船の無線設備と共にアリューシャン、カナダ、アメリカ全土(アラスカ、ワシントン、西海岸各地、ハワイ、グアム、ミッドウェー他の各島嶼)、フィジー、サモア、ニュージーランド、オーストラリア、中国、フィリピン、ジャワ、インド、セイロン、アフリカのケニアなどの環太平洋全域を超えた領域に無数の電波傍受網が存在し日本軍の暗号や位置探知を行っていたのだ。一瞬、電波を発しただけで位置は探知され、かなりの程度まで個別電信員・送信機の識別(従って施設・艦船名も)ができたという(日本軍も同様の試みは行ったが機器の性能などで足元にも及ばなかった)。日本軍は地形・気象その他自然現象による電波伝播状況の変動で探知されないか、解読可能であったとしても全てに対応し解析することは物理的に不可能であるという理由で探知できない、僅かな間隙を縫っての行動が可能だっただけなのだ。また、米側には暗号が解読されていることを隠す為に、あえて、知らない振りをして日本軍をある程度は自由に泳がせるという驚くべき謀略の深さと余裕さえあった。ミッドウェーでも暗号解読で日本側の意図は予め察知され、攻撃に向かう航空機位置もレーダーで探知され待ち伏せされていた。これらを知った上で「誰がどのようにすれば良かったのか」を理由をもって明確に言える人間だけが他人を批判できるのだ。あなたはそれができるだろうか。そのような状態に陥っていながら、その理由を解釈できず!作戦を継続したという事実には言うべき言葉がない。日本人の国民性からなのか? ミッドウェー・ガダルカナルで成果を得たとしてもその後の米軍の本格攻勢の前には蟷螂の斧でしかなかったろう。
○アメリカが、必要でもない原爆を落とし空襲で多くの一般市民(50万人ともいわれる)の無差別大量殺戮を行ったのは人種差別による。このことを誰も批判しないのは全くおかしい。また米軍との戦闘での日本軍の生存者が極端に低いのは「日本軍が最後まで闘った」訳では必ずしもない。負傷し戦闘不能になったり投降しようとした兵士も多かった筈だ。彼らは殺害されたのだ。米軍の合言葉に「 Kill Japs! kill Japs! kill more Japs! You will help to kill the yellow bastards if you do your job well 」(ジャップを殺せ!ジャップを殺せ!ジャップをもっと殺せ!、いい仕事をするというのは黄色い糞野郎どもを殺すことだ!)というのがある。 これが第3艦隊司令長官ハルゼー(元帥)の命令である。まだある。“The more of the little yellow bastards you kill, the quicker we go home!” (チビの黄色い糞野郎どもを殺せば殺すほど早く家に帰れるぞ!)まだ他にもっとある。人種差別そのものであり、このような人格の人間がアメリカでは「元帥」なのだ。この言葉は今もさまざまな場面で使われている。「ルーズベルト米大統領が日本人は劣等人種だから、原爆実験のモルモットにしてよいと言っていた」との説もある。現在もアメリカの大衆は勿論のこと、公的機関の文書にすらJAPという文字を目にする。
○アメリカの人種差別の一端
1900年頃から、農村の困窮や徴兵逃れのため移民が急増
1906年日本人の学童は米国人とは隔離
1907年サンフランシスコで反日暴動
1908年日米紳士協定により一切の新規労働移民を日本は自粛させられる
1913年カリフォルニア州で日本人移民の土地所有禁止
1919年国連パリ講和会議で日本が「人種的差別撤廃法案」を提出したが米国の反対で否決。排日運動が再燃化
1920年カリフォルニア州排日土地法で日本人移民の子供も土地所有を禁止(借地も)
1922年米国最高裁判所で日本人を帰化不能外国人と判断
1924年連邦法で排日移民法が成立
日本の反米世論が沸騰。日本のマスコミは連名で「排日移民法の成立は内容において人道に背き正義に反するのみでなく、日米両国の伝統的信誼(しんぎ 信用と道義)を無視したる暴挙である・・・」と抗議。あちこちで集会が開かれ、「米国民に訴ふ」「日本同胞国民に与ふ」と遺書を残し割腹自殺を遂げる人まで出て日本国民の対米感情の悪化は決定的なものとなった。
昭和天皇は戦後の回想の中で戦争の遠因として以下のように述べています。
「この原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦後の平和条約の内容に伏在している。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し加州(カリフォルニア)移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに十分なものである。又青島還付を強いられたこと亦然りである。かかる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上がった時に、之を抑へることは容易な業ではない」
戦後も数十年間は、鉄道の車内や待合室、 バスの待合室、トイレ、海水浴場の砂浜に至るまで 公共の全ての場所 は白人用の「White Only 」と 有色人種用の「Colored Only 」とに区別の表示がされ、厳格に分離されていた。
○山本への個人批判を展開しているがどんな人間にも恥部はあるだろう。東郷にもあったろう。(ルーズベルトも女との噂が絶え
ず、死を看取ったのは愛人であった)あなたにもあるだろう。自分自身のそれを批判せず、他人のそれを批判することは卑劣というものだ。単なる性癖は批判される筋合いのものではない。山本を批判する為に、起床から寝るまでの、批判側に都合の良い一部分だけを抜き取って衆目に晒し(フランス料理を食っていた、将棋をやっていた、その他いい暮らしをしていた・・・)このような人物であると無言の批判をしている記述を見かける(相手を貶める為のプロパガンダで使用される手法である)。しかし、聖人君子であるまいし、その描写の全てが衆目に耐え得るような暮らしをしているという者などは皆無だろう。当時、戦時中とはいえ、社会には芸者もいたし、宝塚歌劇団も西洋料理屋もあった。飲み屋や夜の商売もあり、人々はそれなりに「いい暮らし」もできた。また、山本個人そのものより、日本軍の体質・慣習や国民や国家そのもの性質に帰せられるべき事柄での批判なのではないか。
○皆さんは知っているだろう、ラス・カサス著「インディアスの破壊について簡潔な報告」という本である。
抵抗の術を持たない人々がどのようにして国を滅ぼされ富を奪われ文化を破壊され、虫けらのように殺されていったか・・・・。
欧米列強の本質はこのようなものだったろう。
アメリカ合衆国ではインディアン平定完了までの残虐行為が1890年代まで続いていた。ラスカサスの見た状況と大きな違いはなかったろうし、人種差別の迫害はそれからもずっと続いた。姦計と武力でハワイ王国を併合(1893年)し、インディアン平定によって余裕ができた兵員でスペイン領に向かったアメリカはキューバのハバナ湾で「真珠湾」に類似した状況(米戦艦メイン号爆沈、「リメンバー・メイン!」の反スペイン主戦論)を作って戦端を開き、キューバ、フィリピン、グアム等を奪取する(1898年)。我々が今、現在平和な生活を送れているのは襲い掛かる巨大な流れにも敢然と挑み、敗れはしたが最後まで抵抗する気概と底力を示してくれた多くの先人達がいたからである。何も立ち上がらなければ、次々と突きつけられる恫喝・要求に譲歩を繰り返し、やがてはアメリカに吸収されていった国のように存在そのものがなくなっていたのではないか。この先人たちを貶めていて誰が日本を守る為に立ち向かおうなどと思うのか。
◎事前通告がなくとも「真珠湾奇襲攻撃」は、ルーズベルトが「日本奇襲攻撃」の指令を出していたという状況の中では自衛の為の正しい行為だったのではないのか。「無謀な戦争だった」というのは間違っている。 当時、誰もが、強いられた自衛の戦争だったと思っていた筈だ。戦争に負けて「生活が良くなったから、あれは間違いだった」と思っているだけだ。
「無謀」以外の道を選択したとしても同様の結果だったはずだ。次々に無理な要求と恫喝が突きつけられ・・・・。
日米の軍部が両立はできない。どちらかが消えなければならなかった。アメリカの国力と広大な国土を考えれば絶対に日本が勝つことはない。しかし、それでも日本国民が戦争を望んだのだ。「選択」、それしかなかった。その証拠に、政府も軍部も、そして新聞等のマスコミも対米強硬姿勢の論調、真珠湾攻撃に赴く兵士たちは敵攻撃に参加できる喜びと覚悟を述べているだけで、誰一人として疑念らしきことを述べてはいない。それまでの何十年にも及ぶアメリカとの軋轢と、益々強まる彼等の不当な要求と蔑視に日本国民は憤激していたということだ。アメリカは戦略として「それを日本国民に強いた」のである。その結果の国民の意思の現れ、それが「真珠湾」だ。それを断行した山本を日本国民は歓呼で迎えたではないか。忘れたのだろうか。(今、人々は、投げられた餌に目がくらんだ犬のように尻尾を振っている・・・・・・・・・これが日本人か。強者におもねり、弱者敗者を蔑むという精神風土)
◎我々があの戦争で教訓とすべきは日本文化の根底に流れる「負」の部分を探り、それを良きものにすることでもあったはずだ。しかし、今なお、それは成されず、個人批判の幼稚なあげつらいに終始している有り様。犠牲となった多くの人々のことなど記憶の外に追いやって生きているではないか。国の命令で、絶対に勝つ見込みのない戦いに挑んで武運つたなく敗れ戦死していった指導者たちを「馬鹿だ」「間抜けだ」「腰抜けだ」と嘲笑し、罵倒する、そして同胞一般市民までを無差別大量殺戮した国を崇め奉る、こんな愚かで残酷な民族があるだろうか。これこそが日本人の1つの「負」の側面であり、敗れた1原因なのだろう。こんなことをしていて誰が日本を愛し守るのか。「自分がその時その立場で何ができたか・・・」と省みたことがあるのだろうか。
当時から既に70年が経過しこれまで多くの人々が「教訓」を示してきた。無責任の批判と教訓を示すことは誰にでもできる。アメリカが発表しているのは「情報戦の勝利」ということだが日本の多くの批評家はこれを見ようともせずに相変わらず、何十年間変わらず、「あいつが悪い、こいつが馬鹿だった」などと個人批判の幼稚な状況にある。冷徹に考えれば、彼等の方があらゆる物事に工夫をし、数学的に物事を考える力があったということだ。航空機や軍艦の様々な防御機能、暗号でも何でもだ。残念ながら日本人はそれがなかった。福島原発事故でも彼等だったらもっとましな状態だったのではないいかと想像する。安全神話に安住し何の対策も取らずいたずらに年月を過ごしてきた。このことを良くする為に誰がどんなことをしているだろうか?
今、日本人を見ればマンガやパチンコに群がる青少年、いや中高年さえ恥ずかしげもなく群がっている。日本の急速に低下している国力はここから来ている。将来を憂える。


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