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阪神淡路大震災の震源は、淡路島北部明石海峡付近だとされているが、1995年1月17日発行の『朝日新聞』号外の最初の見出しは、「神戸に直下型大地震、M7・2」だった。
神戸市内が壊滅的な被害を受け、また淡路島北部の被害も甚大だったことを考え併せると、ここに一つの疑問点が湧き上がる。
それは、阪神大震災の震源が淡路島北部明石海峡と、もう一つ神戸市内直下だったのではないか。
阪神淡路大震災では、当初から疑問点が存在した。
それは震源が、淡路島北部明石海峡であるにもかかわらず、震源である淡路島北部明石海峡から直線距離で、約40キロも離れた神戸市内東西にわたる幅約2キロ、長さ約25キロの「震災の帯」に、被害が集中したことである。
それに対しては、淡路島北部明石海峡下の野島断層からの地震動が、神戸市内地下を走る六甲断層に伝播し、「震災の帯」を形成したとの説が唱えられている。
とすれば尚更、震源が淡路島北部明石海峡地下と、神戸市内直下地下の二つだったのではないだろうか。淡路島北部明石海峡震源の深さも、当初は約20キロとされたが、後に16キロと訂正された。
神戸市中央区生田では、「真下が震源かと思うほどの縦揺れ」だった。
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