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1985年8月12日、520人の乗客・乗員が犠牲となったJAL123便墜落事故。
「山から下りた翌々日の8月17日、待機していた体育館でやっと名前が呼ばれ、検視だけをしている別の体育館に向かう。
遺体は、その日に着ていたエメラルドグリーンのシャツにつけた、2cm角のちびっこワッペン周辺一部の胴体と右手だけ。
その小さな手には、いぼがあり、私は爪の形を見て、すぐに確認した。その手は、ほんのりと温かかった。夫は、その右手を握り『いつまでもいっしょだよ、もう一人ではないよ』と言った。
確認した時には、衝撃のため、もう涙は出ない。体育館に待機していた5日間は、泣き叫ぶようなことは一度もなかった。言葉を発することも出来ない状態にあった。
『やっと会えました、一緒につれて帰れます。ありがとうございました』と心の中で、この作業にあたってくださったすべての方々に叫ぶような気持ちでいた」(『御巣鷹山と生きるー日航機墜落事故遺族の25年』)。
なぜ、ご遺体が右手だけだったのか。なぜ、一部胴体だけだったのか。
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