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1985年8月12日、524人の乗客・乗員を乗せて群馬県御巣鷹の尾根に墜落したJAL123便。
3日後の8月15日、乗客の父母が向かった御巣鷹の尾根の墜落現場は、まさに地獄絵だった。
「焼けた土に、毛布に包まれたいくつもの遺体が並び、物凄い臭いがし、機体の残骸からはまだ煙があがっている。
機体の前でひざまずくと、土は焼けるように熱く、膝が焼けるようで、じっとしていられない。呆然としながらも、私は機動隊の人に『12Kはどこですか?』と、座席番号を聞いた。その機動隊の責任者は、私の手を握りしめ、歪んだ頬にある涙を拭いた。
大破した機体に、家から持ってきたジュースをかけると『ジュー』と凄い音がした」(『御巣鷹山と生きるー日航機墜落事故遺族の25年』。
墜落3日後でも、墜落現場の土は焼けるように熱く、機体の残骸からはまだ煙があがっていた。3日後でも。
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