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http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20100610-01-0701.html
社民離脱で追いつめられた鳩山(1/2)
2010年6月10日 文藝春秋
「セット辞任」を狙う「六奉行」と小沢を守る「七人の侍」の暗闘――
「いい天気になったよね」
米軍普天間飛行場の移設問題が大団円を迎えた五月二十八日朝。首相・鳩山由紀夫は、首相公邸前でさばさばした表情を見せて、空を見上げた。
米大統領・オバマと電話会談し、名護市辺野古地区への移設を明記した日米共同声明を間もなく発表することで合意した直後だ。鳩山を取り囲んだ記者団は、あまりに楽観的な姿を見て、あっけに取られた。実際、この日、社民党党首で消費者担当相・福島瑞穂は最後まで反対を貫き、鳩山は福島を罷免せざるを得なかった。社民党は三十日、連立から去っていった。沖縄からも怒りの声が噴出し、二十八日は鳩山の言う五月晴れにはほど遠い一日となった。
普天間問題以外でも民主党を取り巻く環境は厳しい。鳩山内閣の支持率は二〇%を割り込み、危険水域に突入。党幹事長・小沢一郎も、資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件が燻り続けている。五月に検察が二度目の不起訴処分を出したものの、四月二十七日に検察審査会が全員一致で起訴相当を議決した直後から、民主党内では鳩山・小沢の「セット辞任説」が急速に流れ始めていた。
七月の参院選を考えれば、鳩山が普天間問題の責任をとって六月初旬にも辞任し、小沢も幹事長を辞した方が有利だ。大型連休前には、大部分の民主党議員が「セット辞任」の展開を願った。
その空気を察したのか、連休明けの五月六日、東京・赤坂の日本料理屋・光楽亭に民主党議員七人が集まった。筆頭副幹事長・高嶋良充、三人の副幹事長・細野豪志、伴野豊、樋高剛、衆院議運委員長・松本剛明、衆院環境委員長・樽床伸二、そして官房副長官・松井孝治だ。
今夏の参院選に出馬せず勇退が決まっている高嶋の慰労が表向きの理由だが、顔触れをみれば、単純な会合でないことが分かる。高嶋、細野、伴野、樋高の四人は常に幹事長室に陣取り小沢を支えている。特に樋高は小沢の元秘書で、自他共に認める懐刀だ。松本は小沢からかわいがられ、国会運営の帝王学をたたき込まれている。松井は「弱体」の首相官邸にあって、ただ一人小沢が能力を認める男。樽床はかつて反小沢グループ幹部の「七奉行」の一人に数えられながら離脱し、今は小沢と連携を取る。おかげで「七奉行」は今「六奉行」になった。
「七人の侍だな」
やや酩酊した高嶋が上気した表情で語る。自分たちを「六奉行」の対抗勢力と位置づけているのは明らかだ。
高嶋は「参院選前に波乱があった時の私の遺言を聞きたいか」と前置きし、「もし、参院選前に代表選になったらどうするか」と語り始めた。
「七人の侍」の至上命題は、仮に鳩山が辞任しても小沢が党で実権を持ち続けることだ。代表選になれば、数の計算上は小沢側が勝つ可能性が高いが、今の世論の風当たりを考えるとその保証はない。そして新首相が小沢に幹事長続投を要請するかどうかも分からない。結局、「七人の侍」は、まずは鳩山、小沢の共存を図り、それが無理なら小沢が党の実権を持ち続けられる傀儡(かいらい)の擁立に切り替える方針を確認する。
これは小沢自身の政局観に沿ったものでもあった。小沢は一連の普天間対応での鳩山の動きをもどかしく思っていた。
小沢が自民党幹事長だった二十年前、首相は海部俊樹。今の鳩山と同じ「軽い」首相だった。当時、海部は何か起きるとすぐ小沢に連絡し、総務会長の西岡武夫、政調会長の加藤六月を交えた四人が赤坂の料亭に集まり協議。それで湾岸危機などの対応を乗り切ってきた。
しかしいま、鳩山はほとんど小沢に何も言ってこない。小沢側近は「少し前までの小沢さんなら、とっくに鳩山を切っただろう」という。小沢が自重しているのは、首相を替えて自分だけ幹事長にとどまれば、批判が自分に集中すると考えているからだ。自分を守るためには、鳩山の続投を容認するのが安全策だ。
「六奉行」の回りくどい戦略
一方、反小沢勢力「六奉行」らの基本戦略は、鳩山が普天間問題の責任を取って六月に辞任し、それに併せて小沢も辞任させるというものだった。六人のうち外相・岡田克也、国土交通相・前原誠司、国家戦略担当相・仙谷由人、行政刷新担当相・枝野幸男、財務副大臣・野田佳彦の五人は政府の要職を占めており、表だって動けない。だが唯一、身動きが取れる衆院財務金融委員長・玄葉光一郎や六人の後見人である元衆院副議長・渡部恒三らが要となって情報交換を進め、鳩山辞任を前提に対応を練っていた。「六奉行」は、昨年の党代表選では鳩山ではなく岡田を担いだ。鳩山への忠誠心は、もともとない。
そのころ、渦中の鳩山は「宇宙人らしさ」を発揮、少なくとも表面上は意気軒高だった。強気の源泉は四月十一日に遡る。この日、鳩山は「日本辺境論」の著者で神戸女学院大学教授・内田樹、作家の高橋源一郎と中華料理をともにしながら語り合った。内田らは「マスコミも国民も『鳩山はダメ』と決めつけているが、正しくない。どっしり構えていきましょう」と、マスコミ批判も交えて鳩山を励ました。わが意を得たりと思った鳩山は、翌十二日、記者団の質問に対し「改革の方向性は間違っていない」と言い切り、それ以来、「根拠のないハイ状態」が続いていた。
鳩山のハイ状態に、それなりの根拠が加わったのは五月三日夜。都内のホテルで行われた小沢との極秘会談だった。ここで二人セットの続投が確認されたとされる。鳩山は幹事長だった一年前、西松建設からの巨額献金事件で批判にさらされた小沢に「私とあなたは一蓮托生だ」と言って代表辞任を促した。二人は一年後、再び一蓮托生の関係になった。
小沢対反小沢の神経戦は、表面上はほとんど動きが見えないまま、いつのまにか小沢側勝利の展開となった。「六奉行」側が政局のピークを六月に置いていることを見切った小沢側が、先手を打ち、「六月政局」を封じ込めた格好だ。小沢を直接攻撃するのでなく、まず鳩山の辞任を待つという「六奉行」の回りくどい戦略は、修羅場をくぐってきた小沢には通用しなかった。
大型連休後、初めて鳩山と小沢が顔をあわせる公式会合となった十二日の政府・民主党首脳会議。出席者は二人の機嫌の良さに目を見張った。
「参院選には迷惑をかけないようにします。そうする自信があります」という鳩山。小沢も「難局だががんばろう」といったんは引き締めたが、その後は、金メダリスト・谷亮子の擁立に成功したことを繰り返し自慢し、相好を崩した。
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20100610-02-0701.html
社民離脱で追いつめられた鳩山(2/2)
2010年6月10日 文藝春秋
鳩山と小沢の亀裂
「六月政局」に向けてはもう一人、独自の動きをした男がいる。財務相・菅直人だ。菅は五月十一日の記者会見で、二〇一一年度当初予算の新規国債発行額を「一〇年度の四十四兆三千億円を超えないよう全力を挙げる必要がある」と発言した。税収が伸びない中で埋蔵金も枯渇し、来年度国債発行額は五十兆を上回るというのがプロの見方だった。常識では考えられない発言に、首相官邸も財務官僚もあわてた。鳩山にも、財務官僚の首脳にも一切、根回しがなかったのだ。
厳密に言えば、菅の爆弾発言を予見した人物が三人いた。仙谷、細野、玄葉だ。参院選マニフェスト作りの責任者でもある三人は十日夜、都内のホテルで菅を交えて財源論について意見交換した。
ここで菅は「来年度からでも消費税を上げればいい。そうしなければダメなんだ」と言ってのけた。さすがに「それでは衆院選のマニフェスト違反になる」という声が続いたが、菅は悪びれず「マニフェスト違反なんて、他にいくつもあるだろう」と譲らなかった。財務相として、財政面で責任ある立場を強調して「ポスト鳩山」の旗を立てようという野心もにじんでいた。
だが、鳩山が辞任する機運が薄れるにつれ、菅の鼻息は弱まっていった。
奇妙な力関係の末、不発に終わったかにみえた民主党政局は、普天間問題でヤマ場を迎えた二十八日、大きな変質をし始める。小沢が動いたのだ。
小沢は、普天間飛行場の移設先が辺野古になることには異論はなかったが、参院選を前に社民党が連立を去るようなことは避けたかった。二十七日には密かに首相公邸に入り鳩山に連立解消回避に努力するようにクギを刺していた。にもかかわらず、翌日、鳩山は福島を罷免。社民党を連立離脱に追い込んだ。
小沢は同日午後、福島に電話をして「あんたの方が筋が通っている」と伝えた。連立離脱しても選挙協力はしようと秋波を送る目的があったが、一蓮托生だったはずの鳩山を見限った瞬間でもあった。
これに呼応するように高嶋らが倒閣に向かって動き始めたとの見方が一気に広がる。「七人の侍」は、次善の策である「傀儡の擁立」も強く意識した動きを始めた。
十九日、東京・紀尾井町のホテルニューオータニのレストラン・ガンシップに民主党若手議員が集まった。声をかけたのは玄葉。自身が党選対委員長だった時に擁立した議員を中心に、二十八人に声を掛け、二十七人が参じた。メンバーの大部分は当選一回生の「小沢チルドレン」だったが、会合では、「幹事長は辞めるべきだ」という声もあがった。
玄葉は、自身が代表世話人となって二十六日に「国家財政を考える会」も立ち上げた。参院選マニフェスト作りにあたり、小沢が財源論を無視して「ちゃぶ台返し」することを予測し、それに反対する「装置」となる予定だ。ここには国会議員百十五人が集まった。鈴木克昌ら小沢側近のスパイも含まれていたが、玄葉を中心とした二つの会は、小沢支持が党内の多数派ではないことを印象づける効果は十分だった。
小沢が鳩山を見限る決断をしたとすれば、その一点では小沢側、反小沢側の意見は一致する。だが、そこから先に目指すものは、小沢の実権温存、失脚と、正反対だ。
両陣営からはポスト鳩山の最有力が菅であることを念頭に「菅が早くも小沢に取り込まれた」「反小沢側と連携を取り合っているらしい」などと情報戦が始まった。
反小沢系幹部の一人は「こちらが菅を担ぎ、小沢が総務相の原口一博か細野を担ぐ。そこで白黒つけるのが一番分かりやすい。そして圧勝できる」とみる。再び戦闘モードに入ってきた。
一方の小沢。「選挙の小沢」「政局の小沢」を強調して主導権を握り続けようとしているが、さすがに最近は「参院で単独過半数」という、威勢のいい言葉は消えた。民主党、自民党がそれぞれ行った調査では、どちらも改選の第一党は自民党だった。もはや「敗戦後」をにらんで布石を打つしかない。
参院選で与党が過半数割れすれば、いや応なく連立の組み替え、政界再編となる。「政界再編で参院過半数を維持するには小沢の剛腕に頼るしかない」という相場観をつくる動きを始めたのだ。
五月十日、都内の料理屋で小沢と国民新党代表・亀井静香が向き合った。
小沢は国民新党との合流を提案した。合併の呼び掛けは、国民新党が支援を受ける特定郵便局長ら「郵政票」を取り込む狙いであるのも確かだが、国民新党をつなぎ留め、参院選後の「数合わせ」を有利にしようという計算もあった。国民新党所属議員を確実に囲い込み、選挙後に第三極勢力との交渉を始めたい。
だが亀井は、小沢の申し出を断った。党の行方に展望がないことは亀井も自覚しているが、どうせなら高く売りたい。亀井が今、念頭に置いているのは、たちあがれ日本との合流だといわれる。たちあがれの党首・平沼赳夫と亀井は、自民党時代からの盟友。二党が合流して数を増やしてから小沢と交渉した方が、主導権を握れる。今の与党内では珍しく腹芸ができる老練な政治家二人の腹の探り合いは参院選後まで続く。
「あの安倍だって一年はやったんだから……」
最近、鳩山が身内の会合でよく口にする言葉だ。小泉純一郎の後を継いで首相になった安倍晋三は、宰相としての未熟さをさらけだし、在職日数三百六十六日で首相官邸から去った。鳩山は「安倍よりは自分の方がまし」と思い、政権運営に自信を持っているのだろう。参院選マニフェストの表紙も鳩山の写真に内定。間もなく印刷が始まる予定だ。
だが、鳩山内閣の支持率は、安倍内閣末期をはるかに下回っている。安倍の在職日数を超えるには九月十七日まで総理を続けなければならない。いまの鳩山にとってそれは至難の技だ。
(文中敬称略)
※各媒体に掲載された記事を原文のまま掲載しています。
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