投稿者 小沢内閣待望論 日時 2010 年 5 月 23 日 23:40:15: 4sIKljvd9SgGs
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まえがき
ブラジル連邦共和国の国旗には、ポルトガル語で「ORDEM E PROGRESSO」(秩序と進歩)という文句が書かれている。この言葉は社会学の創設者オーギュスト・コントの思想や学問のキーワードから取ったものである。世界広しといえども、ブラジルの他に文字が国旗の中に記されている例は、ほとんどないであろう。それほど、ブラジルの国旗はユニークであるばかりでなく、この文句にブラジル国民の思いが託されているのである。
ところで、この秩序と進歩の文句は、社会を観察するうえで重要な視点である。あるいは、政治、法律、経済といった社会生活の状態を良く理解するための重要な視点と言い換えてもよい。この視点から今の世界あるいは日本の状況を見ると、どうであろうか。世界は理性的な秩序を失い混乱の極みに達し、また、進歩は退歩に取って代わられていると言っては、大袈裟であろうか。
あるいは、もっと穏やかに世界は「大転換」の分水嶺に立っていると言ってもよい。一九世紀前半のコントの時代もまた、大きな変動の時代であった。前世紀から続くアメリカ独立戦争、フランス大革命そして産業革命という大きな出来事がまだ終止符を打ち終えずに、混乱が続いていた。そして、その結果、「新しい社会」が誕生したのであった。
二〇世紀はその延長線上にあって、その前半にはロシァ革命によって史上最初の社会主義国家が誕生し、その後半には植民地革命によって旧植民地のほとんどが独立した。さらには、世紀末には社会主義国家の盟主であったソ連や、その衛星国と呼ばれた東欧諸国が社会主義から離脱し、中国も「改革・開放」路線以降、社会主義市場経済へと移行した。このような事態を社会主義という歴史的な実験の「壮大な失敗」(Z・ブレゼンスキー)と評する論者もいる。こうして、世界は資本主義対社会主義の敵対は一応終結し、資本主義対資本主義の対立がいっそう激化し、今日の大競争時代を迎えるに至っている。
冷戦の終結はアメリカ合衆国のヘゲモニーをいっそう強化し、「パックス・アメリカーナ」(アメリカの平和)が成立し、アメリカが唯一の世界新秩序の形成者になった。オーダーという英語の単語が、「命令」と「秩序」の二つの意味を持っていることから想像できるように、好むと好まざるとにかかわらずアメリカの命令を守らせることと、世界の秩序が維持されることとは同意語となっている。この秩序には国際政治上の秩序だけでなく、一般にグローバル・スタンダードといわれるような経済上・技術上の秩序や、その他あらゆる秩序が含まれている。そこにはテーミス(正義)があるかないかは問題ではない。
また、この「大転換」は特に環境問題においても風雲急を告げている。われわれは今までの経済発展の様式を変えないで、それを継続していけば、早晩、「この世の終わりの日」を迎えてしまうことになるであろう。このモードを転換して「楽園回復」の方向に歩を進めることに成功すれば、人類の未来は明るいであろう。
いずれにせよ、われわれは大きな選択の岐路に立っているのである。この選択を過ちなく行なうには、われわれは二〇世紀を総括し、二一世紀を展望する試みが欠かせない。本書はそのためにはどのような視点が必要か、また、どのような問題解決能力が必要かを論じたものである。
二○世紀は要するに「テクノクラート」万能の世紀であった。テクノクラートは与えられた課題を解決するのには有能である。彼らの大好きな言葉を使えば、ソリューション(解答)を一定の方式で出すことには長けている。しかし、テクノクラートの能力は狭隘であり、一定の枠組みの中でしかその有効性を発揮できない。いつ何が起こるか分からないハプニングが常例であるような二一世紀には、こうしたテクノクラートでは対応できない。今日の社会に求められているのは、テクノクラートに代わるテレオクラートである。
テレオクラートのテレはテレフォン(電話)やテレビジョンのテレと同様、テロスからきている。これは「遠い」という意味のギリシア語である。したがって、テレオクラートとは遠い将来を見通すことのできる専門家という意味である。
コントは「行動するためには未来をよく見通すことが大切だ」と説いている。われわれの選択は、未来をよく見通したうえでの選択でなければならない。
ギリシア語で「転換点」を意味する言葉に、カタストロフとアナストロフの二語がある。カタストロフは下へ(カタ)転換(ストロフ)することであり、アナストロフは上へ(アナ)転換(ストロフ)することである。言うまでもなく、われわれの選択はアナストロフ(上方転換)でなければならない。
本書はアナストロフを求めて、「秩序と進歩」のとれた新しい社会の制度設計を志す人びとに捧げられた運動の書である。われわれはさまざまな論点について討議した。われわれの意図が多くの人に伝えられることができれば、本書の目的は達成される。
二〇〇三年早春
正慶孝
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まえがき 正慶孝
第一章 日本再生のガイドライン……藤原肇
既得権を守る動きは幕末の攘夷に当たる
「領民」から脱して「市民」になれ
日本の資本主義は経営者優先
社会貢献度で評価されるアメリカの経営者
日本の企業トップは社会貢献よりも財界活動
カーネギーに学ぶ社会への恩返しの仕方
四〇歳を過ぎたら人類のために
日本の金持ちや経営者は社会へ恩返しをしたか
世界を席捲した「3PPM」の営業ノウハウ
日本の伝統精神にある社会への恩返しの心
第二章 経済大国主義の克服と新しい日本構築のビジョン……正慶孝
求められているのは「脱構築」の発想
経済のアングラ化とボランティア活動
消費にも現われる将来に対する不安
異文化を許容する文化が経済をリードする時代に
第三章 日本再生に不可欠な創造的破壊……対談:正慶孝×藤原肇
アジアでも始まった"ジャパン・パッシング
本質を理解しないまま言葉だけ取り入れる性向
大蔵省主計局は戦前の陸軍参謀本部
硅石器時代という新しい石器時代
「敬天愛人」精神をバックに創造的破壊を
第四章 新世紀ニッポンの自己変革の道……藤原肇
新幹線を日本に発注した台湾の配慮
「日本病」克服には世襲政治を断て
近隣諸国で評価高いNHK衛星放送
バブル崩壊のアメリカのドットコム株
投機的な資金が動く株屋の世界
ペニー株を使った錬金術とブルースカイ法
石油バブルに走ったT・ブーン・ピケンズの教訓
孫正義のバブル商法と悪名高いパートナー
第五章 秩序と進歩の実現に政治経済学が蘇る……正慶孝
新世紀に見直される政治と経済の関係
大きく変質した資本主義の与件
未来展望に欠かせない変革する意志
経済学に必要な社会心理を見る目
人間を疎外しない「秩序と進歩」を
第六章 平成幕末…日本改造への方法序説……対談:正慶孝×藤原肇
「四書五経」によって西欧文明と繋がっていた
江戸時代にはあった自然に学ぷマインド
中世を超えようとしたデカルトやライプニッツ
新たな活力を生むには旧指導者層のパージが必要
軽視してはならない目に見えない信用
美しさを追求したバッチョーリの複式簿記
脱構築を進めるには信頼回復が不可欠
志と気概を失った日本のマスメディア
第七章 日本は賎民資本主義から脱却せよ……藤原肇
貧しくなってきた日本の中産階級
日本人が知らない外国人の対日観
日本社会を支配した賎民資本主義
衰退した日本人の評価能力
第八章 フォード主義を乗り越えた脱構築経済の発想……正慶孝
二〇世紀を象徴するフォード主義
マルクスを乗り越えたフォードの発想
国民経済レベルのフォード主義
中間層の増大によりフォード主義も変質
「成長=善」の認識を変える必要
日本の再生と色即是空の連関を語る……対談:正慶孝×藤原肇
土地を測量する幾何学は土地を支配する帝王学
物理学の意味は「物の理学」
学力不足を助長する「ゆとりある教育」の正体
宇宙システムを解く色即是空・空即是色
英語を公用語にすればいよいよ乱れる日本語
二〇世紀をリードした非ユダヤ的ユダヤ人
英語は規範の乱れた商人言葉
詰め込み教育で判断力を失った日本人
自然の中に入り込み自然から学ぶ
国民も市民もいない領民国家の日本
古代仏教の中にある近代を超える論理
理想を生かす二一世紀型の日本社会……藤原肇
未来社会のビジョンを構想する難しさ
合理精神と独創性に疎遠な日本人の性格
中央集権的な統制社会の蹉跌
亡国日本の経済破綻とお粗末な政治感覚
創造的破壊と再生の回天軸
見えない価値と日本に必要な民権の力
日本人にとってのリベラリズムの伝統
知識集約型の産業社会としての日本の未来像
あとがき 藤原肇
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本書が誕生した経緯と時代精神
二十一世紀になったといっても未だ始まり段階だが、バブル崩壊に続く1990年代を支配した問題の先送りという悪弊によって、誰も責任をとらなかった失政の放置のために、十年以上も続く不況は未だに底を突くに至らない。日本列島の上に厚く覆った暗雲が広がっており、平成幕末は今後どれほど続くか分からないが、昔から「夜明け前が最も暗い」という譬えが教えるように、人材払底の今は最悪に近い状況かも知れない。
一つの民族や政治体制が老衰するようなときには、自分たちの意思や生存理由の総ての面で、人びとは自らの頭を使って判断しようとはせず、快感を与えてくれる者の手にゆだねてしまいがちだ。差動変換が生み出す循環サイクルの支配により、総ての組織体は生成、発展、衰退。滅亡に支配されるが、「陰きわまって陽に転ず」という変通の理によれば、われわれが生きる時代もこの史象の上にあると分かる。
こんな世紀末の延長としての混迷状態で新世紀を迎え、これからどんな未来社会を目指すべきかを考えるにあたって、過去の総括と現状分析をして置くことが必要だが、幸運にもそれは過去数年にわたり既に試みられていた。何と言うタイミングの良さであろうかと嬉しくなるが、それは江口敏さんという名編集者の功績である。
私と江口さんは20年来の付き合いの関係があり、その間に彼は幾つかの月刊誌の編集長を歴任し、最近の10年間は「財界にっぽん」の編集者だった。そして、私が帰国したと連絡する度にテレコを持って駆けつけ、世界から見た日本について一時間ほど喋らせ、テープを起こして記事にするのを楽しんでおり、年に数回だが放談と題し誌面に掲載していた。 同時に、彼は「エコノミスト登場」という企画も担当しており、気鋭のエコノミストに毎月のようにインタビュー形式の取材をして、そこで正慶先生が洞察に満ちた発言を行い、時には私と正慶さんの対談が活字になる企画も生まれた。
私の発言のかなりのものが拙著に収録してあるし、正慶さんとの対談もその幾つかを収録させて貰ったので、読者たちは正慶先生の博識と洞察力に接して、オフキャンパスの講義の醍醐味を満喫して来たはずだ。そして、今回はその集大成として共著の出版が実現したので、こんな嬉しいことは天に昇るような気分だから、この稀代の喜びを本書の読者と共に分かち合いたいと思う。
意味論(セマンティックス)を使いこなす正慶先生との対話の醍醐味
正慶さんと喋っていつも楽しくてたまらないのは、彼が言葉の概念と意味論を徹底的にマスターしていて、何について論じても自由闊達に話が流れるし、エスプリの閃きと薀蓄に富むユーモアが持つ味覚のために、議論の後に爽やかな気分が残り疲れを感じない。
歴史を背後から支配している沈黙の叡智をはじめ、次元の彼方に潜む暗黙知の領域について、驚くほどの造詣を持っている点に関しては、正慶さんの右に出る日本人はほとんどいないと思う。そうした意味では本書を世に送り出すことで、語り口の形で味わう書物の誕生として、日本語が持つリズム感を出版文化の発展に貢献できたのは嬉しい限りである。
二十世紀が誇る知的好奇心の全貌と呼ばれ、二十一世紀への綜合的な展望の書として知られた、ダニエル・ベルの「二十世紀文化の散歩道」(ダイヤモンド社)という巨峰に挑み、実力で険岨を乗り越えて翻訳を果たしたことで、正慶さんは日本人に二十世紀の知的総括を突きつけた。それが単に翻訳の問題で終わらなかったことは、彼自身が全力投球をして纏め上げている、「大衆社会の文化的矛盾」と題した解説を読めば、その深い造詣の一端を目の当たりにするはずである。
日本の書店で横積みになって氾濫している、紙屑に表紙と題名をつけたベストセラーと較べれば、読み手として選ばれることの光栄を体現した、このダニエル・ベルの畢生の大著を日本人の手元に届け、近代の終焉を教えた正慶さんの功績は絶大だ。それは訳書だけでなく彼がこれまでに書いた本をひもとけば、ブック・クラスターを通じて学ぶことの喜びが、ひしひしと脳髄の中にまで伝わって来るからである。
正慶さんは意味論の達人として数少ない日本人で、生きたセマンティックスを駆使する論客としては、小室直樹博士と並び立つ日本の巨峰だと思う。小室さんとは20年ほど前に対談した時の共著が、「脱ニッポン型思考のすすめ」(ダイヤモンド社)と題して出版になり、多くの若い世代に対話の楽しみを玩味してもらったことがある。
もう一人の意味論の使い手である小室直樹博士との対話
1970年代の後半に小室さんの「危機の構造」(ダイヤモンド社)を読み、この本が戦後に出た日本の10大名著の一冊だと考えた私は、これ以上の名著を書く動機にして欲しいという気持ちで、彼との対談を1981年1月に実現し1年半後に本になった。その頃のダイヤモンド社には共通の友人が編集者におり、小川三四郎の筆名を持つ故・曽我部洋さんは、対談物は売れないから出版は無理という空気の中で、「危機の構造」を纏めた時と同じような苦労をして、対談を編集して一書に仕上げてくれたのである。
問題の核心を掴む小室さんの直観力の凄さは、50年に一人の天才と形容できる稀有なものであり、「危機の構造」を凌駕する名著を書き上げることで、亡国に突き進む日本に対して警鐘をかき鳴らして、百年に一人の天才になって欲しいという願いは、「危機の構造」が持つ峻険さの故に実現し得なかった。多分カッパの本を仕上げるのに忙しかったり、小川三四郎さんほど厳しい編集眼を持ち合わせずに、売れる本を出したい編集者たちの口車に乗って、純情で根っから人がいい学者肌の小室さんは、収斂を目指す学問より拡散に向かうジャーナリスティックな世界に、より快適な寛ぎの気分を感じてしまったのだろう。
私は人生を石油ビジネスの中で過ごしてきたので、海千山千の山師たちと渡り合うのに慣れているが、日本のメディアは魑魅魍魎が跋扈する世界であり、世情に疎い象牙の塔の住人の多くは手玉に取られてしまい、身も心も荒廃させられる魔窟に取り込まれる。そんな舞台で荒稼ぎしている評論家や御用学者たちが、小室さんの博識とカンの鋭さを利用しようと接近して、世間知らずで善良な彼を食い荒らすのを見れば、太平洋の彼方にいる私は歯軋りするばかりであり、知的荒廃が進む場所に彼を置く危険を痛感した。
だから、かつて正慶さんと意味論に関し対談した(「経世済民の新時代」に収録)時に、「セマンティクスが分かっているのは『階層は階級よりも上だ』と言っている小室博士ぐらいでしょう。ただ、彼は論理思考にはとても優れているが、人を見る目が惜しいことに欠けているために、知性を振りまくくせに意味論にもロジックにも無知な、上智大学の知性屋教授を好んで相手にするので、折角の小室博士の思考が汚辱されている。昔から『良禽は木を選ぶ』という通りで、自分が誰と組み合うかの選択は重要です。美しい花は花瓶を選んで生けるべきで、尿瓶に生けたのでは惜しいことであり、この知性を売り物に稼ぎまくる語学屋先生は、ニセのインテリ現象を日本中に蔓延させました」と私は発言している。
日本が直面していたとても危機的な状況に対して、最も建設的な提言を出来る高みに立っていた小室さんだったが、痴性教の布教師の呪いに誑かされたために、彼なら果たし得た貢献を十分に実現しなかったのが惜しまれる。だが、1980年の段階で日本の置かれた状況を診断して、対話として歴史の証言を残せたのは何よりだった。
その前に出版になった「日本脱藩のすすめ」(東京新聞出版局)と共に、小室さんとの対談は現在では絶版になってしまったが、出版当時は多くの若者を読者に獲得して、世界で活躍する日本人たちの青春の原点になったらしい。そして、15年後に小室さんと再会した機会に活字化が実現した、「意味論オンチが日本を滅ぼす」と題した対談記事と「脱ニッポン型思考のすすめ」は、読者たちが作る脱藩道場のサイトで読むことも出来る。
手紙は万年筆を使って書くという趣味を持つ私は、E−mailは週に一度くらいしか読まないけれど、Googleで[藤原肇]を検索して脱藩道場を開けば、小室さんと過去に行った対談はダウンロードすることが出来る。しかも、今回は小室さんと並んで生きた意味論の使い手である、正慶さんとの対談が一冊の本になったことで、新世紀の時代を担う運命の若者や退役した世代にとって、この上もない贈り物になるという予感がする。
カジノ経済の中で衰退したジャーナリズム精神
今から二十数年前は日本のジャーナリズムは未だ健在で、日本に立ち寄ったと記者たちに電話を掛ければ私の都合を聞き、取材に駆けつける新聞や雑誌の記者がいたし、ジャーナリストの足腰や問題意識が機能している様子が、少し議論しただけでたちどころに読み取れたものだ。しかし、20年前に思うことがありテレビと週刊誌に出るのを止め、大事な問題だけコメントを寄稿する路線に転換したら、「去るもの日々に疎し」の譬えがそのまま実現して、時間が経つに従って駆けつける記者が少なくなった。
理由の一部は記者が定年で教官や評論家になり、現場を離れて新しい人生を始めたためだが、編集長が無能だとか会社の姿勢がダメだと言って、油の乗った中堅記者が仕事に見切りをつけて辞めるケースも多く、メディアが硬直化して行く状況を明示していた。雑用で多忙になり広い視野で勉強する努力が衰え、他人が手がけた成功の模倣に終始している内に、組織が肥大して幹部のサラリーマン化が進み、冒険に挑まず慣例を墨守するようになって、商業主義に毒されて日本のメディアは批判精神を喪失した。
それは日本が中央集権と大量生産方式によって、社会として弾力性を失ったのと軌を一つにした症状であり、中曽根バブルの肥大で国中が大国意識に陶酔し、カジノ経済で拝金主義が蔓延する時代性を象徴していた。地上げや株の投機に国をあげて熱狂したのであり、日本のメディアが流行させた「財テク」という言葉は、そのような弛緩した時代精神を如実に反映していたし、責任感の喪失は汚職や疑獄を続発させている。
そんな状況に対して深刻な危機感を抱いた私は、日本のジャーナリズムが直面している堕落と退廃に注目して、「朝日と読売の火ダルマ時代」(国際評論社)と「夜明け前の朝日」(鹿砦社)として纏めるために、引退したジャーナリストや経済人を各地に訪ね、埋もれた秘密を引き出す目的で対話の旅を十年ほど続けた。そして、「歴史の証言」として活字にした対話の威力と面白さを痛感し、多くの読者が喜んでくれたのを目にして、生身の言葉が持つ味わいを楽しむ時代の夜明けが、いよいよ始まったという印象を持ったのである。
新世紀の躍動する時代精神と対話する雅趣の復活
5年ほど前のことになるがケンブリッジ大学の便箋で、「(前略)・・・高等学校在学中に小室直樹博士の一連の著作を愛読し、そのうちの一冊[脱ニッポン型思考のすすめ]で藤原先生の名前を初めて存じ上げることになりました。殊に、『日本脱藩のすすめ』には大いに啓発され、慶應義塾大学法学部政治学科を一年間休学し、主として英語研修のため[遊学]いたしました。カナダ、トロントでは同書をすりきれるまで、頻繁に繙いたことを懐かしく想起いたします。(中略)・・・専門研究領域を中世末期ヨーロッパの政治思想史と見定めた後は、藤原先生が『脱ニッポン型思考のすすめ』でご指摘の様に、[世界で一番良い先生に師事するのが最善]と考えました。・・・(後略)」という文面の手紙と共に、厚さが五cmもある学位論文がイギリスから航空便で届いた。
この浩瀚な論文は最初の数頁を読むだけで、悪戦苦闘して一週間も掛かったほど難解だったが、それから4年が過ぎた昨年の春に、将基面貴巳博士は「反[暴君]の思想史」(平凡社新書)を上梓した。この暴政について論じた啓蒙書を読んだ時に、[『王制』の逸脱形態が『暴政』であり、『貴族制』から逸脱したものが『寡頭制』であり、『共和制』が邪悪になったものが『民主制』である・・・。]という記述に接し目からウロコガ落ちた。
そこで四十数年ぶりにプラトンの「共和国」を読み直し、今の日本が暴政に支配されていることを確認して、政治家の劣悪化に伴う官僚支配の実態が、僭主制そのものだという歴史的な事実に気がついた。しかも、20年も昔に出版した小室博士との対談の前書きに、私は「共同体から日本共和国の懐妊」と題した文章を書いており、そのことを忘却していたことを知って茫然としたのである。
ソクラテスやプラトンの哲学は問答による対談で伝わり、仏教の経典やキリスト教の「聖書」は言行録であるし、「論語」を始めシナの古典の多くも師の発言で、対話による生身の言葉の秘める価値には絶大なものがある。
空海の「三教指帰」や中江兆民の「三酔人経綸問答」を見ても、日本には対話による素晴らしい古典があるのに、民族が誇る伝統を忘れて姑息な元雄弁会員たちの空虚な蛮声に毒され、まともな対話も出来ない政治家の跋扈が続く。それが平成幕末による亡国現象を際立たせて、日本の未来を不透明なものにしているが、発言と対話を中心に構成された本書を読むことで、日本人が意見吟味の雅趣を取り戻して欲しい。
それが若い世代への大きな贈り物になるという点で、本書の誕生に協力して頂いた多くの人に感謝して、好意に溢れた御厚情に対しお礼を述べたい。
記事の編集に力を注いで下さった江口敏さんと野本博さん、本書の上梓を決断された清流出版の加登屋陽一社長と臼井雅観出版部長、それに、掲載記事を一書にすることを快諾された「財界にっぽん」の川口雅三社長、皆さん本当にどうも有難う御座います。
2003年早春 カリフォルニアの砂漠のオアシスにて、 藤原肇
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