投稿者 高原レタス 日時 2010 年 5 月 10 日 07:56:36: YfLz9uCibEWek
1985年8月12日に起きた、JAL123便墜落事故。
第1段階は、午後6時12分羽田空港離陸直後から遠隔操縦され、湘南海岸沖上空ではすでに、2マイル海岸寄りに航路を遠隔操縦された。
第2段階は、午後6時25分伊豆半島東海岸寄りの上空で、「ドーン」と炸裂音がして地上までビリビリと響き、JAL123便は遠隔操縦に抗して降下、右旋回をして羽田空港(磁方位090)に戻ろうとしたが、再び右旋回をさせられ、焼津方面に向かわされた。「今六時半だ 飛行機は まわりながら 急速に降下中だ」(乗客の遺書)。グルグルと旋回し降下したのだ。
第3段階は、富士山を左に見て、JAL123便は厚木基地に向かおうとして南下を試みたが、再び遠隔操縦で相模湖方向に北上させられた。
第4段階は、米軍横田基地着陸を目指し、横田基地着陸ファイナルアプローチラインを超えたが、またもや遠隔操縦ともう一つの原因により、旋回させられた。JAL123便はスロットルレバー操作で遠隔操縦に抗して、今度は北方向から旋回し横田基地着陸を再度試みたが、遠隔操縦の方がまさった。
第5段階は、青梅〜甲武信ヶ岳〜川上村〜上野村上空でも墜落場所特定を避けるために旋回させられた。
何回もの旋回または、S字状飛行をさせられた理由は、黒幕の手下たちのアリバイ作りのためである。そのアリバイとは「JAL123便は、やはり操縦不能で迷走した」と。だが現実にはJAL123便は懸命にエンジン出力等の調整により、乗客を救おうと羽田空港や、厚木や横田基地着陸を試みていた。事故調航跡図は、意図的に「改竄」させられている。
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