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検察が天才政治家の邪魔をし、裁判所が権利関係の調整を誤り、共倒れを助長する時代錯誤な司法・行政は、総見直しが急務です。 http://www.asyura2.com/10/lunchbreak37/msg/714.html
株式日記と経済展望 2010年5月4日 火曜日 ◆電子書籍の開放を阻むべきではない 4月14日 佐々木俊尚 プラットフォーム戦争に敗走している日本 もちろん、それでも高品質にていねいに作られた製品を好む人はいなくはならないだろう。でもそれはしょせんはピュアオーディオみたいなもので、極小ニッチな市場にしかならない。「それでも日本人はそういう高品質製品を好む」というような主張は、いまの格差社会化から目を背けた視点でしかない。 ブルーレイもそうだ。ブルーレイの規格化でも日本のベンダーは主導的な役割を果たしたが、しかしグローバル市場で見れば映像市場は徐々にネット配信に向かいつつある。そしてその方向の先に曲がりなりにも食い込めているのは、Googleと組んでSTBを仕掛けようとしているソニーぐらいしかいない。日本企業はブルーレイの映像の美しいハードディスクレコーダーは作ることができるけれども、iTunesやKindleは作ることができないのだ。 たぶん今後は日本メーカーからもKindleやiPadのような電子書籍リーダーは次々と出てくるだろう。特にKindleのような製品は既存の部品を組み合わせるだけでごく簡単に作ることができるから、すでに市場には類似製品があふれかえりはじめている。1月にアメリカで開かれたCESでは台湾などのメーカーから大量に似たようなタブレットが出品されていたし、昨年末に発売された大手書店バーンズアンドノーブルのnookにいたっては、何から何までKindleそっくりだ。 つまりは現行の白黒Einkベースの電子書籍リーダーなんて、しょせんはパソコンと同じぐらいコモディティ化した製品にすぎないのである。 問題は、そうした電子書籍リーダーというハードウェア単体ではない。リーダーと書籍購入サービス、書籍管理アプリケーションなどもふくめたアンビエントな環境をどう構築できるかということである。だから多くの類似製品は淘汰され、ほとんどが消えていくだろう。 そしてこのプラットフォームのレイヤーにおいては、標準はデファクト(事実上)しかない。工業規格は多くの場合、たとえばJISやISOなどの団体が策定して定めるデジュリ(規定された、という意味)スタンダードとなることが多い。しかしVHSやブルーレイのようにデジュリではなく、デファクトでスタンダートなった例もある。そしてプラットフォームのレイヤーではこれはもっと徹底的で、デジュリは皆無だ。WindowsにしろiTunesにしろKindleにしろ、どこかの団体が「今後はWindowsを標準として定める」などと決めたわけではない。あくまでもさまざまな競争が行われた結果、その帰結としてデファクトスタンダードが決定したのである。 念のために言っておくと、とはいえこうした工業規格のレイヤーとアプリケーションのレイヤーはあちこちで融解していて、たとえばHTML5は規格だが、アプリケーションのプラットフォームにもなっている。これがAdobe Flashと対立構図を作っていることなどは非常に興味深いが、それはまた別の話だ。 AppleやAmazonを排除するな、堂々と戦え だが電書協の記者会見のみならず、私が知る限りで最近の出版業界の動きを見ていると、どうも自分たちで大同団結してAmazonやAppleを排除し、独自のプラットフォームで日本の読者を囲い込もうとしているように見えてならない。 これがいったい何をもたらすのか。歴史上の前例から予測してみよう。 日本では1980年代、日本電気のPC9800シリーズが圧倒的なデファクトスタンダードだった。これをひっくり返したのが90年代に登場したWindows 3.1と後継のWindows 95。1990年代には日本国内でもPCのデファクトスタンダードとなった。マイクロソフトとインテル、いわゆるウィンテル帝国がもたらした市場支配にはさまざまな弊害もあったかもしれないが、しかし少なくとも消費者に多くの利便性をもたらしたことは間違いない。 日本電気のPC9800シリーズが、仮にデジュリスタンダードとして策定されて国内市場支配を続け、国策的にWindowsの侵入を退けていたらどうなっていただろうか? 日の丸パソコンとして誇るべき市場構造になっていただろうか? そういうバラ色の未来は想像しにくい。可能性の話でしかないが、あり得ないほど高い価格、使いづらいインタフェイス、少ないソフトウェア資産、海外市場との圧倒的な格差――。そうした状況が続き、日本国内のコンピュータ環境はかなり不幸なものになっていた可能性がある。 ただ幸いなことに、80年代のPC市場はPC9800シリーズがあまりにも独占支配していたため、当たり前のことだが他のPCメーカーがそうした状況を喜ばず、だからそうしたメーカーは喜んでWindowsの侵入を受け入れた。最近の幕末ブームにあやかっていえば、幕府を倒すために薩長土肥が英国と手を結んだようなものである。 もちろん、実は最も大事なのはそうした政治的駆け引きの話ではない。大切なのは消費者の目線だ。Windows3.1やWindows95が国内発売され、それらを利便性が高く安価なシステムであるとして消費者が受け入れたということが、結果としてPC9800からWindowsへの市場の移行を促したのである。デファクトスタンダードとなるかどうかを決めるのは、徹底的に消費者なのだ。 だから電子書籍の分野においても、AppleやAmazonなど海外勢の侵入を阻みたいのであれば、KindleやiPadと互角にわたりあえるアンビエントな優れたサービスを提供し、そこで消費者の信頼を勝ち取るしかない。つまり日本国内におけるデファクトスタンダード競争に参加するしかないのだ。その競争で、日本の消費者の選択を仰ぐというのが健全なあり方だ。コンテンツを囲い込んでデジュリスタンダード化を推し進め、AppleやAmazonを排除しようというのは、あまりにも読者を無視したバカげた戦略だし、そもそもそんな戦略は長続きしない。いや仮に長続きしてしまったら、日本の読者や書き手はあまりにも不幸な状態に置かれ続ける結果となるだろう。 だから電書協が何を考えようと勝手だが、iBookStoreやKindleStoreへの書籍コンテンツの提供を拒否し、自前のプラットフォーム用にとっておくようなことだけは断固としてやめていただきたい。海外サービスにも国内サービスにも同じようにコンテンツを提供し、その上で読者の選択を仰ぐべきである。 このまま出版業界の意固地な態度を放置しておくと、パブリのチープな本棚から電子書籍を購入し、それをFLEPiaで読むというような何とも愚かで暗い読書空間の未来が待ち受けているような気がしてならない。そんな未来は本の書き手のひとりとしても、そしてもちろん読者のひとりとしても、まっぴらごめんだ。
私自身もネットで物を買うことが多くなりましたが、専門店でも無いような商品を買うことが出来て自宅で決済が出来る。本などもネット販売が主流になるのも近い事だろう。ネット販売の利点は無店舗販売であり流通センターを用意するだけで出来る。アマゾンなども地方に巨大流通センターを作って本の発送作業を行なっている。 駅前商店街があればその内の一店は本屋がありましたが、今では本屋の無い商店街が増えました。だから余計にアマゾンのようなネット販売の割合が増えて来ているのだろう。しかし本を買う場合に買う本を探して本屋に行く事は少なく、ぶらっと立ち寄って新刊書などを見て欲しくなったら買うことが多い。 しかし大きな本屋が無いところではそのような本の買い方が出来ないからネット販売に頼らざるを得ない。そしてどのような動機で本を買うかというとネット上の書評などで話題になった本を買う事が多いだろう。本屋の様に店頭でパラパラッと見ることが出来ないから書評などに頼らざるを得ない。 「株式日記」も多くの本を紹介しているのですが、著作者はもとより出版社から感謝される事は無く、PHP社の様に著作権の侵害だと削除を要求してくるところもあるくらいだ。しかし最近ではPHP社の雑誌の記事を全文無料公開しているのはどういう訳なのだろうか? 本を紹介する上では一部公開せざるを得ないのですが、それでも著作権法違反だと抗議してくる事がありますが、アマゾンなどでも数ページ分を無料公開しているものがありますが、アマゾンも著作権法違反だと言うのだろうか? グーグルだって一部公開しているが違法だと言う人はいない。にもかかわらず違法だと抗議してくる人は嫌がらせなのであり私に対する言論活動を妨害する事が目的なのだ。 有名な書評ブログなどでは出版社や著作者から献本される事が多いようですが、紹介されただけでベストセラーになる事もあるから、ネットでの書評は出版社にとっても有力な宣伝販売手段になっている。出版不況で本の売れ行きが落ちて来ていますが、書店の減少も原因の一つですが、ネットを上手く利用が出来ないのも原因のひとつだ。 書籍のネット販売からダウンロード販売に移っていくのは時代の流れなのでしょうが、既得権業者がそれに抵抗してなかなか進まない。最近ではキンドルやアイパッドなど専用端末なども普及し始めていますが、携帯やアイフォーンなどでも読める電子書籍が売られている。 佐々木俊尚氏の「電子書籍の衝撃」と言う本も、サイトで110円でダウンロード販売が行なわれましたが、注文が殺到してサーバーがダウンしてしまったそうです。今では音楽もCDを買う時代からアイポッドにダウンロードして聞く時代になってきましたが、書籍もそうなりつつあります。 ソニーのウォークマンは全世界に売れた音楽端末だったのですが、いつの間にかアップルのアイポッドに市場を奪われてしまった。ソニーが音楽業界と利害調整が出来なかったからですが、電子書籍でも出版業界と利害調整が出来なくてアマゾンやグーグルなどに市場を奪われてしまうのでしょう。動画などにおいてもダウンロード視聴がこれからの主流になるのでしょうが、テレビ業界などとの利害調整でも同じ問題が起きるだろう。 このように新しい産業を興すには既存の産業界との利害調整が必要なのですが、日本では法律を楯に新しい産業の芽を潰してしまう事が多い。日本にグーグルのような検索サイトが出来なかったのは著作権法違反だという行政当局の判断があったからだ。音楽のネット販売にしても著作権管理団体が利権を握ってしまって天下り団体になってしまった。 出版業界でも電子書籍に対する会合が出来ましたが、おそらく文化庁や経済産業省の天下り団体を作って規制で固めてしまって、コンテンツの囲い込みで電子書籍化は遅れるだろう。その結果アマゾンやグーグルが世界的な電子書籍を支配するようになって、気がついた時は主導権を奪われている事になりかねない。 佐々木氏はパソコン業界を例に上げていますが、日本のパソコンはPC9800シリーズが主流になりましたが、世界標準はIBMマシンだった。パソコン自身は一企業でも出来る事ですがOSやアプリケーションソフトは一企業だけでは絶対に出来ない。そんな事は分かっていながらもNECはPC9800を作り続けた。私も50万円もするPC9800マシンを買って大損害を受けた。 連休中は私もパソコンを弄り回しているのですが、秋葉原などで中古のパソコンを買って来ては改造して動かしてみたりしています。最近のパソコンの値下がりは異常なほどであり、クワッドマシンが3万円台で売っている。コア2デュオマシンは1万円台で売っていた。もちろんOS付だ。それにビデオキャプチャーボードを取り付けて自家製ビデオレコーダーを作ってみましたが、このようにパソコンは只みたいに安くなった。 このようにパソコンは安くなりOSやソフトの方が高いという産業構造が日本経済の不振の元になっている。ウイルス対策ソフトだけでも6000円から1万円以上もする。このように電子書籍も端末は安くなる一方でしょうがコンテンツを支配しないと儲からなくなるだろう。アップルは音楽ソフト流通を独占してしまいましたが、書籍でも同じ事が起きるだろう。
──電子書籍サービスの提供主体として、アマゾンやアップル、グーグルの存在感が増すなかで、日本の会社からは今のところ有力なサービスが出そうにない。 アップルのiTunesやiPhoneは大成功しているわけだけれども、そこに音楽やアプリケーションを提供する会社はどれだけ儲けているだろうか。iPhone向けのアプリケーションで成功した会社も、せいぜい、年間数千万円とか数億円というレベルだろう。 一方で、任天堂のファミリーコンピュータやNTTドコモのiモード向けにソフトやサービスを提供した会社のなかには上場した会社がいくつもある。 アップル自身が数兆円という規模で拡大するなかで、コンテンツ産業が衰退していくのはおかしい。コンテンツという卵を産むニワトリは、きちんと生かしておく必要がある。 ──では、日本の出版業界は何をすべきなのか。 独自のプラットフォームも模索するべきだし、アップルのような会社に対しては強い交渉力を持つべきだ。 ──しかし、出版業界は縮小が続いている。新たな分野で生き延びる余力はあるのか。 これからは1億総クリエーター時代がくる。そういうことに編集者は敏感になる必要がある。そういうことは、本当は得意なはずだ。じつはこれまでの出版業界も「少年ジャンプ」や芥川賞など、大衆のなかから才能を見出す媒体や仕組みを持ってきたからだ。 ところが、現在の出版社の組織は硬直化し過ぎている。大衆からの情報発信を受け取る新しい仕組みが、社長よりも上位にくるような組織に改編するくらいの発想の転換が求められるのではないか。 ──著作権法も変えるべきだと唱えている。事前に許諾を取ったものだけ掲載することを許された現行の著作権法を、インターネット時代に合うように、原則自由にして、問題がある場合に事後に削除する形式に変えるべきだと。 ある出版社が写真のアーカイブのサービスを始めようとした。旅費などの経費はすべて負担したのだから、その出版社が誌面で使った写真をアーカイブにして読者に見せたいと思うのも不思議はない。 ところが、そのサービスが開始すらされていないのに、その出版社は裁判で負けて、カメラマンに200万円を支払うことになった。出版社が大儲けしてカメラマンに1円も入らないならわかるが、これは、まだ開始前の話。 こんな状況では、皆萎縮して新しいビジネスに挑戦しなくなるだろう。
角川氏は日本のコンテンツ産業の中心人物ですが、過剰な著作権の拡大解釈によって過去の作品の再利用もままならなくなっている。その為にカメラマンに裁判で負けて200万円も払う事になってしまった。電子書籍でも同じような問題が起きるだろう。電子化しようとしても著作権者が許可しなければ出来ないからだ。裁判所も時代の流れが読めないからこんな事が起きるのだ。
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