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角栄を米国に売った事がバレて逃げ回る隆は、記者クラブ開放に汗を流した隆の耳垢を煎じて飲むべきです。 http://www.asyura2.com/10/lunchbreak37/msg/295.html
http://diamond.jp/articles/-/7965
おととい(4月19日)、日本プレスセンターにおいて、「記者会見・記者室の完全開放を求める会」が開催された。 フリーランスのジャーナリストら約70人を「呼びかけ人」として、政府・公的機関の記者会見を開放するための大きな声がようやくひとつにまとまって出された。翌日の朝日新聞は次のように報じている。 〈雑誌やフリーランスなどの記者ら70人が呼びかけ人となっている「記者会見・記者室の完全開放を求める会」(代表世話人=野中章弘・アジアプレス・ インターナショナル代表)は19日、東京都千代田区の日本記者クラブで会見を開き、新聞・テレビ各社に記者会見のオープン化などを求めるアピール文を発表した。 求めているのは、報道や情報発信の目的を持つ団体・個人について(1)質問の制限などの条件を一切設けずに記者会見への参加を開放すること(2)記者室 の利用を開放すること(3)資料の提供や各種の懇談、裁判取材での記者席確保など、記者クラブが享受している取材機会について同様に保証すること――の3点。 日本新聞協会は2002年、「記者クラブ構成員や会見出席者は、公権力監視や情報公開を求める役割がある」とした上で、記者会見の参加者をクラブ員に限定するのは「適当ではない」とし、記者室の利用を「記者クラブ加盟社のみが使う理由はない」との見解を発表している。 呼びかけ人の一人でジャーナリストの高田昌幸さんは会見で「議論ではなく活動を起こす段階だ。新聞協会の見解をきちんと実現してほしい」と語った〉(朝日新聞) 仮に世界中の人々がこの記事を読んだら、どう思うであろうか。 自他ともに、世界の先進国だと認める日本だが、まさかこの程度の情報公開も、国民の知る権利も認められていないと知って、きっと驚愕するに違いない。 だが、現実はこの記事の通りである。ジャーナリストたちがわざわざ集まって、当然の主張を述べたのも、世界中で当然に行われていることが、日本においてはまったく為されていないからに他ならない。 ようやく日本最大のタブーが国民に伝わり始めたことは喜ばしい限りであるが、一方でこれまでの海外での評価を知れば恥ずかしいこと限りない。 自らも恥ずかしい行為だと判っているのだろうか、朝日新聞は、この記事を社会面の中面の端に申し訳程度に掲載したに過ぎない。 だが、朝日新聞はまだマシだ。本コラムでは再三述べて来たように、その他のメディアはこうした集会があったことも、記者会見が開放されていない事実も報じていない。とくにNHKや日本テレビ、そして読売新聞はいつものように一切無視している。 自らの恥部には断固として触れないという、日本のメディア特有のアンフェアな精神は相変わらず健在なようである。
筆者は呼びかけ人のひとりであった。だが、当日は欠席した。 その理由は、以前から約束していた別のシンポジウム(日本に科学技術政策はあるのか/東京財団主催)と開催時刻が重なったということもある。 しかし、正直に告白すれば、真の理由は別にある。 1999年にニューヨークタイムズで働きはじめて以降の11年間、この問題を繰り返し追及し、著書や記事などで同じことを述べてきたことに疲れてしまったというのが何よりの本音なのだ。 とりわけ本来取材すべき、あるいは取材したい事柄を脇に置き、文字通り自らの仕事をも犠牲にしてボランティアのつもりでやってきたのが「記者会見開放運動」である。とくに、2008年以降の2年間は、まさしく徒労の連続であった。 評価を受けないどころか、日々増大する同業者からの敵視の中で、仕事を失い、誹謗中傷が繰り返されることになった。 いまさら、泣き言を言うつもりはない。そうなることをあらかじめ予見し、宣言して行ったことだ。 ただ、結局、ほとんど改善されない記者クラブ問題に関わることで、自分の人生をこれ以上無駄にしたくないという気持ちが最近になってますます強くなってきたのは確かだ。 本コラムでは繰り返しになるが、記者会見の開放は、筆者自身のためにやってきたのでは断じてない。もとより飽きっぽい筆者が、そんなに長くエネルギーを持続させることなどできる由もない。 継続できたのは、記者会見の開放が、日本がようやくまともな国として世界から認められる第一歩になるということを望んだからであり、また、これから活躍するであろう若いジャーナリストたちが、筆者らと同じようなくだらない障害にぶつかって無駄なエネルギーを消耗することがないように、極細であろうが「道」を開けておこうと決意したからに他ならない。だからこそ11年もの間、決心が揺るがなかったのだ。
そして3月26日、目標の第一歩であった首相の記者会見が一応オープンになった。 会見が不完全ではあるのは十分承知している。だが、何も進展しなかった戦後65年間のどの政府よりも鳩山首相がマシだということだけは断言できる。 そもそも本来はこれは権力側である政治家がやるべき作業ではなく、メディアが追求し、目指すべき目標であった。それを政治家たちが代行してやってくれたにすぎない。 よって筆者は、これまでこの問題を放置してきたすべてのメディア関係者を評価しない。一方で、この問題に汗を流してきたすべてのジャーナリストや記者たちに敬意を表する。 集会でも宣言されたように、まさしく今こそが行動の秋であろう。時機を失したかもしれない。だが少なくとも70人もの同業者が初めて一丸となったのだ。 この機会を逃さないことを祈るばかりだ。筆者がこれまでのように記者会見の「開放運動」に加わることはもうないだろう。 もちろん信念を枉げたわけではない。11年前の決意は揺るがないし、会見開放には今なお絶対的に賛同している。とはいえ、自分自身の役割はもう十分に果たしたと考えている。 最後に、なにより感謝したいのは、ほとんどの読者が「記者クラブ」という文言すら理解していない頃より、一貫して筆者の原稿を、ただの一度も断ることなく、掲載し続けた「ダイヤモンド・オンライン」(田上雄司編集長)と、のちに支持し続けてくれた読者の皆さんである。 残念ながら、記者クラブ問題を扱った「ジャーナリズム崩壊」(幻冬舎)と「記者クラブ崩壊」(小学館)はともに版元は異なったが、日本の記者会見開放の隠れた貢献者は、なによりこのDOLと読者の皆さんであったことを、筆者の責任において宣言しておく。 「開放を求める会」が各記者クラブメディアに送った申し入れ書の回答期限はきょう(4月22日)である。
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