投稿者 小沢内閣待望論 日時 2010 年 3 月 30 日 19:47:14: 4sIKljvd9SgGs
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ベーシックインカム7つの長所=中抜きなし、行政の裁量なし、使途が自由、恥ずかしくない、行政のムダなコストを大幅削減等
http://www.asyura2.com/10/senkyo83/msg/404.html
投稿者 ベーシックインカム@全ての人に健康で文化的な生活を 日時 2010 年 3 月 30 日 19:20:23: S27q4DRmV.QEQ
■ベーシックインカム7つの長所
3月15日の『日本経済新聞』朝刊の「領空侵犯」というコラムで、ベーシックインカム(BI)について語らせて貰った。
書いたり、語ったりするたびに思うのだが、BIは、「夢の制度」ではないものの、さまざまな反論に強い「悪くない制度」だ。
まとめるのに「7つ」がいいかどうか分からないが、改めて、長所をリストアップしてみる。
(1)BIは、コスト(特に官僚や業者による中抜き)の小さい富の再配分だ。
生活保護、雇用保険、年金、それに公共事業等々再配分の仕組みは多々ある。
一つの大きな問題は、再配分の過程で、官僚や業者による「中抜き」が起こることだ。
これが少なくて済む分、BIはスッキリしている。
(2)BIは、手続きが単純だ。
書類を書いて申請したり、その申請を受理して貰ったりしないと、貰えるものが貰えない制度は感じが悪い。
(3)BIは、使途が自由で、国の介入が少ない。
余計なお世話が少ないことが自由主義者には嬉しい。
子供学費に使おうが、寄付しようが、パチンコだって、競馬だっていいではないか。
(4)BIは、先の見通しが立ちやすい。
一人当たり幾ら、という受給内容がハッキリしているので、生活設計がしやすい。
例えば、まだ売れていないクリエイティブ系の人達にはいいのではないか。
(5)BIは、働くインセンティブを阻害しない。
おバカさんが分からないらしいのはこの点。
BIは無条件且つ定額なので、所得水準の如何に関わらず「より稼ぐと、より多くのお金を得ることが出来る」。
現実的な額(一人月5万円とか)なら、労働意欲を削ぐことはないだろう。
「働かなくてもカネを貰える」のは、生活保護も一緒。
だが、生活保護は、稼ぎが増えると貰えなくなる。
BIの方が労働インセンティブに対して中立。
(6)BIは、恥ずかしくない。
生活保護の申請や、受給の事実には、不当な「恥」が伴う。
BIは頭数に対して給付が自動的にあるので、恥を伴わない。
これは、なかなか大切なポイントだと思う。
(7)BIは、徐々に、部分的に、実現できる。
行政のムダなコストを削減して、その分の予算を平等な給付にすると、「BI的な政策」が部分的に実現する。
BIは、一気にではなく、少しずつ実現することが出来る。
現実的な問題として、官僚や業者(要はレントシーカー達)にとって行政のムダのムダの部分こそが生活の糧であり人生のビジネスモデルでもあるので、
BIの一気の実現は、殆ど可能性がない。
しかし、制度や政策をBIを基準に評価して、少しずつBI的にすることで、政府、ひいては社会が効率化されるのではないか。
BIは、即効性のある成長戦略や景気対策になるようなものではないが、効率の改善を通じて社会に貢献する有効な仕組みの一つであり、
その「考え方」を理解することは、政府・社会のあるべき姿に対する理解も改善するように思う。
当面は「これは、BI的か?」という価値軸で、多くの政策を評価してみたい。
http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_hajime/e/7f640fc7b0ab91928d1e5f19de43871e
関連:
■最低所得保障「ベーシック・インカム」普及へ「日本ネット」設立
すべての人に最低所得を保障する概念「ベーシック・インカム」の普及や学術的な研究の推進を目指す
「ベーシック・インカム日本ネットワーク」の設立集会が27日午後1時15分から、京都市上京区の同志社大新町キャンパスで開かれる。
▼大学教授ら設立、同大で27日集会
ベーシック・インカムの世界ネットワークは2004年に設立された。
米国やオーストラリア、欧州の各国などでも、研究者や市民団体のメンバーなどでネットワークが組織されている。
日本でも、京都府立大公共政策学部の小沢修司教授、同志社大経済学部の山森亮准教授たちが中心となって研究会を重ね、
約20人の研究者で日本ネットワークを設立することにした。
年1回の大会や定期的な研究会を開き、ホームページからの情報発信なども行うことにしている。
▼社会保障の仕組み問う
設立集会では、障害者インターナショナル日本会議の三澤了議長をはじめ障害者・女性団体のメンバーがベーシックインカムへの期待を語る。
26、27日には同志社大で、世界の研究者を招いてシンポジウムも開かれる。
山森准教授は「今の日本では、障害者や働くことができない人たちの一部にしか所得保障ができていない。
ベーシックインカムの議論によって、手詰まりになっている現在の社会保障の仕組みを問えるのではないか」と話している。
▼一律給付に賛否交錯
ベーシック・インカムは「基本所得」とも呼ばれる。
貧しい人も富める人も、働く人も働かない人にも、すべての個人に無条件で生活に必要な所得を保障する構想だ。
シンプルな発想で歴史も古いが、先進国で失業が慢性化し、年金や社会保険といった福祉国家の社会保障施策が行き詰まる中、
にわかに注目を集めている。
政府が国民全員に個人単位で、無条件で生活できる額を現金給付する。
代わりに生活保護や失業保険のような制度は不要になる。
1960年代の米国の公民権運動や英国の女性運動でも提案されて世界に広がり、欧州の一部の国では政府レベルでも議論されている。
ベーシック・インカムの議論が幅広い関心を集めるのは、政策的な実現可能性だけでなく、一律給付という単純な要求だけに、
働くことへの価値観や公平な分配とは何かを問い直す「ものさし」になる点にある。
「重労働をする人がいなくなるのでは」「ばからしくて働かない人が増えるのでは」「財源は」といった批判もあるが、
個人給付であることから、家事労働や家族介護といった無償労働、障害者福祉、生活保護、最低賃金などの問題点も浮き彫りにする。
新自由主義や社会主義、フェミズムなどの立場を超え、ベーシック・インカムへの賛否が交錯する状況が生まれている。
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P20100324000022&genre=G1&area=K00
■ベーシック・インカム:最低限所得の保障制度、日本ネットが設立集会 /京都
◇あす同志社大で
貧困をめぐる問題の深刻化に伴い注目されるようになった、最低限の所得を保障する制度「ベーシック・インカム」。
その実現を目指して議論する「ベーシック・インカム日本ネットワーク(BIJN)」の設立集会が27日午後1時15分、
上京区の同志社大新町キャンパス臨光館で開かれる。
「ベーシック・インカムで繋(つな)がれるのか、変えられるのか。その先にある未来とは」がテーマ。
しんぐるまざあず・ふぉーらむ・関西の中野冬美さんら、さまざまな立場からベーシック・インカムの必要性を訴える人たちによる分科会やリレートークを行う。
午前10時からは世界的なネットワーク「BIEN」の創設者で名誉代表のガイ・スタンディング氏が、「グローバリゼーション後の労働」をテーマに講演する。
26日も関連企画が予定されている。詳細はホームページ(http://tyamamor.doshisha.ac.jp/)【手塚さや香】
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20100326ddlk26040542000c.html
■【リンク情報】ベーシック・インカム日本ネットワーク設立大会 in 京都
http://bijp.net/newsinfo/article/153
■「直接補助」政策を掲げる民主党政権の“踏み絵”〜業界団体を破壊するのか、取り込むのか
辻広雅文(ダイヤモンド社論説委員)【第84回】 2009年09月16日
地方における公共事業は、いわば“国内ODA”だと批判されることがある。
投下された資金は、族議員を始めとする有力者たち、業界団体であるゼネコンなどに幾度も中抜きされ、
地元の人々、家計には十分に回らない。
建設された箱物自体が必要不可欠なものではなく、経済活性化に役に立たないことが多いことも、ODAによく似ている。
では、どうすればいいか。
経済学的に言えば、最も効率がいいのは、直接家計におカネを配ることである。
そうすれば、おカネの配分権限を中間者に握られ、また中抜きされることもない。
不要な道路や公共施設建設に、資材や資源、労働力が無駄に使われることもない。
前者を「間接補助」、後者を「直接補助」と呼ぼう。
前者は戦後自民党が築き上げた国土均等発展、地域間や家計間の格差を是正する所得再配分システムである。
政治と末端の中間に位置し、双方を結び付け、分配する権力、裁量を握っていた代表例が農協、郵政、医師会、ゼネコンといった業界団体であった。
それに対して、民主党は、子ども手当ての支給、高速道路無料化、農家戸別補償などの直接補助政策を掲げている。
つまり、それは各種の業界団体を飛び越えて所得を再配分する政策である。
前者が、公共事業を通じて供給側(企業、産業)をテコ入れする手法であるなら、
後者は、需要側(家計、消費者)に焦点を当てる政策、と言ってもいい。
この直接補助政策を民主党は高らかに掲げ、総選挙に圧勝、悲願の政権を手にした。
そして、この未知なる与党には、ある「踏み絵」が待っている
もう少し、説明を加えよう。
中間業界団体を通じて末端にまでおカネを回す間接補助政策は、二つの柱に支えられていた。
一つは、補助金、助成金などの特別な予算措置であり、もう一つは、法規制あるいは裁量規制によって生じる超過利潤である。
前述した農業、郵政関連事業、医療などが典型的な規制保護産業であったことは、言うまでもない。
ところが、日本経済が低成長時代に入り、そこにバブル崩壊が加わって長期低迷に至ると、
補助金や助成金などの優遇措置の原資である税収が減少した。
公債発行による借金も世界一の水準に達した。
そうして、税金が流れ出す蛇口は止まり、還流ルートは細る一方になった。
一つの柱が崩れそうになれば、もう一つの柱にしがみつこうとするのは理の当然である。
中間業界団体は、規制保護による既得権にますます固執するようになった――。
http://diamond.jp/series/tsujihiro/10084/
そこにメスを入れたのが、小泉政権であった。
構造改革によって、規制を外し、既得権を剥ぎ、生産性を向上させようとした。
長きに渡って二重の保護政策に使ってきた規制産業は、すっかり競争力をなくしてしまっていたからである。
経済の活性化を本気で志向する政府であれば、遅すぎるほど政策であった。
だが、後を引き継いだ三代の自民党政権は、小泉政権がさまざまな格差を拡大したと批判されると、
構造改革路線を次第に離れ、かっての間接補助型の所得再分配方式に回帰し始めた。
その結果、自民党は二つの相反する主張を持つ層からともに批判されることになった。
格差拡大に怒り、その是正が不十分だと不満を持つ層と、
構造改革路線が中途半端に終わり、既得権益層の逆襲が始まっていると批判する層である。
この二つの層がともに自民党を拒否し、民主党を支持した。
あるいは、巧みに民主党が引き込むことに成功した。
これが、総選挙における民主大勝の理由である。
しかし、この大勝によって、民主党は難問を抱えることになった。
相反する主張を持つ層に対して、どちらも満足させる政策を打つことなどできない。
どちらを向くべきなのか、踏み絵を踏まなければならないのである。
彼らの政策手法は、直接補助である。
上記したように、間接補助の仕組みは維持しようにも維持できない時代背景もある。
とすれば、おカネの流れから中間業界団体を外す傾向を強めることになる。
実際、農家に対する戸別補償は直接補助の最たるものであり、農協組織に多大なる打撃を与えることになるだろう。
小沢一郎代表代行も、農業改革における農協の存在を障害だと口にすることがある。
その狙いは、自民党族議員―農協―農水省という鉄のトライアングルの解体であろう。
また、民主党のマニュフェストには、厚労省と文科省に分かれている育児支援を一元的に担当する「子ども家庭省」の設置が盛り込まれている。
つまり、保育園と幼稚園の一元化である。両者の一元化によって、
それぞれに関係するあまたの協会、団体などを廃止し、助成金、補助金などを取り上げ、その代わりに、育児家庭に直接補助を行うのである。
http://diamond.jp/series/tsujihiro/10084/?page=2
このように中間業界団体を干上がるに仕向けて、自民党型の既得権益維持システムを破壊する方向に進むなら、
民主党は構造改革推進派の支持を重視する政権運営に舵を切ることになる。
ところが、構造改革による既得権益打破の象徴である郵政民営化に対しては、まったく逆の政策を遂行しようとしている。
国民新党を連立に加え、日本郵政の4分社化は凍結、西川善文社長を辞めさせ、一体化にまで逆行させようか、という意気込みである。
これらの正反対の政策の混在を、どう考えたらいいのだろう。
総選挙で大勝したことで抱え込んだ踏み絵という難題を、まだ整理できていないのかもしれない。
そうではなくて十分理解しているのだが、例えば日本郵政の労組を始めとして支持、支援してもらった団体には配慮せざるを得ない
という政治的リアリズムゆえかもしれない。
もっとずる賢く、農協外しや育児支援一元化という先制パンチを、他の業界の中間団体がどれほど恐れ、恭順の意を示すのかをじっと観察し、
いずれ取り込みを図ろう、という心積りかもしれない。
この場合は、いくつかの既得権維持システムは変形されて、民主党に引き継がれることになるだろう。
おそらく、こうしたさまざまな事情、思惑が民主党内部にうず巻き始めているのだろう。
最後に、もう一度、直接補助政策の特質に立ち戻りたい。
間接補助政策からの転換を図るということは、その産業を保護している規制を外せるということである。
技術革新を生み、生産性が向上するような自由競争的な市場を制度設計できるということである。
それは他方で、正当な競争の上に敗れた企業には退出を促し、
雇用維持のための過剰な政府支援は行わないという自由主義的冷淡さを併せ持つ政策である。
しかし、その一方で、個人が仮に失業しても生活を維持し、なおかつ職場に復帰できる支援システムを社会保障政策として遂行する、
つまり、個人に直接補助し、護る、という政策である。
旧産業再生機構の専務を務め、現在は経営基盤共創基盤センター代表である冨山和彦氏は、直接補助政策の本質を、
「企業や産業を競争に追い込み、生産性向上をひたすら図ってもらうと同時に、
個人に対する高福祉高負担が両立する政策だ」と表現する。
この本質を民主党が理解しているか、その一点を注視したい。
http://diamond.jp/series/tsujihiro/10084/?page=3
【プレイバック 民主党】
■2002年2月:民主党の課題
1 民主党は第二の新進党か
小泉政権が依然として高い支持を得ているのに対して、民主党の存在感は相変わらずかすんだままである。
特に小泉政権発足以後の民主党の混迷は、この政党の限界を物語っている。
この政党は、かつての新進党と同じ轍を踏んでいる。
この失敗を一言で言うならば、寄せ集めによる非自民結集の限界ということになる。
そもそも一九九六年に民主党が結成されたとき、菅、鳩山という当時はまだ清新な印象を持つ政治家が代表となり、
かつての社会党の現実主義的政治家やさきがけの若手政治家を結集した点で、ある種のカラーを持っていた。
そして、政策的にも、官僚支配に対する市民の自立という、抽象的ではあるが一応の理念を持っていたと評価できる。
そうした特徴ゆえに、公共事業や官僚腐敗に対して公憤を持つ市民からの一定の支持を得ていた。
しかし、新進党が分解した後、九八年の参議院選挙を前に様々な政党が民主党に合流し、
民主党は「多民族国家」の様相を呈するようになった。
民主党の拡大は、自民党に対抗する政権政党を造るという目的で行われたのだが、
自民党を否定するということ以上の共通項を持てない点で、民主党は新進党と同じ悩みを抱えてきた。
非自民という看板しか持たない自民党は、小泉政権の誕生とともにかつてない窮地に陥った。
なぜなら、自民党の古い政治体質を否定し、この党を壊すことについては、
小泉のほうが民主党よりもはるかに大胆で、現実味を感じさせるからである。
小泉は古い自民党政治のエッセンスとも言うべき橋本派とけんかを続けている。
外野から批判の言葉を投げかけるだけの民主党に比べて迫力があるのは当然である。
小泉登場以後、自力による政権交代の可能性が薄れた民主党は、安易な再編志向によって政権交代の活路を見出そうとしてきた。
小泉と自民党抵抗勢力との間にある亀裂をさらに広げて、小泉流構造改革に対する賛否という軸で政党再編を進めて、
新たな連立政権を目指したわけである。
しかし、自民党が政策によって分裂することを期待するという点に民主党の政治的稚拙さが現れている。
水と油の共存は自民党のお家芸であり、自民党では、構造改革をネタに小泉と抵抗勢力の間で政治ショーが演じられると考えて、
今後の政治戦略を構築すべきである。
2 小泉政権下の政治的対立構図
民主党が進むべき道を考えるためには、まず小泉政権下の政治的対立構図を明らかにしておかなければならない。
ここでは、裁量的政策----普遍的政策、リスクの社会化----リスクの個人化という二つの軸を組み合わせることによって、
政治理念の整理を行ってみたい。
(図参照: http://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/18_sousei/data/g_houkoku19/end1_yamaguchi.pdf )
裁量、普遍という軸は、利権政治を維持するか、改革するかという対立である。
最近露見した公共事業の口きき問題に象徴されるように、
自民党政治は支持者の要求に応じて公共事業、補助金、税の減免などの特別な恩恵を配分することを最大の課題としてきた。
そうした恩恵は政策担当者の裁量によって動かされ、自民党の支持基盤に注がれてきた。
これに対して、所得税減税や年金の拡充など一般的な制度の整備によって同じ条件の人々には同じような恩恵が行き渡るようにするのが普遍的政策である。
リスクの社会化、個人化という軸は、競争原理や自己責任原理をどこまで適用するかという対立である。
失業、倒産、病気といった人が生きていくときに遭遇するリスクを個人で処理するという考えからは、
個人がリスクを取って競争に立ち向かうことを奨励する政策が出てくる。
リスクを社会化するという考えからは、人々が税金、社会保険料あるいは自由競争にしたときよりも割高な物価などを負担することによって、
リスクに直撃された人の負担を小さくするという政策が出てくる。
今までの自民党政治は、談合・口きき政治に象徴されるように、裁量的な利益配分を行いながら、
リスクは社会全体で引き受けて弱い人、企業、地域が落ちこぼれることのないように経済社会を運営してきた。
しかし、こうした政治の仕組みについては、財政負担を増やす、経済効率を阻害する、不透明で腐敗につながりやすいといった弊害の方が目立つようになった。
そこで、小泉首相が登場して構造改革を唱えることとなった。
小泉政権が進めようとしている構造改革とは、一方で官僚や政治家の介入を排除して、効率性、収益性など明快な基準による普遍的政策を目指すものである。
また同時に、自由競争における個人の自己責任を強調するものでもある。
自民党内における小泉と抵抗勢力の対決は、どちらかの明確な勝利というよりも、両者の妥協に終わると私は予想している。
政策理念についてみれば、リスクの個人化と裁量的政策の組み合わせに落着するであろう。
実は九〇年代に自民党政権は、経済のグローバル化に対応して市場原理の拡大を行ったが、
その裏で競争激化に伴う被害者には裁量的利益配分政治を施してきた。
コメの市場開放とそれに対応する六兆百億円の農業予算の組み合わせはその典型である。
今の日本政治に必要なのは、普遍的政策とリスクの社会化とを組み合わせた理念を担う勢力である。
それは、官僚の腐敗や特権を正し、あっせん政治を排除すると同時に、
すべてを市場の競争に任せるのではなく、リスクに見舞われた人を含めて人間の生活を支えるための普遍的な制度基盤を構築するという政治理念である。
たとえて言えば、経済の構造変化からはじき出された人を放置したり、業界ごとのその場限りの救済策を講じたりするのではなく、
雇用保険の強化、誰にでも利用できる教育訓練の提供など普遍的な政策を通して人間の自立を援助するという政策を進める政党が必要である。
3 民主党のとるべき政治戦略
仮に民主党がこれからも最大野党として自力による政権交代を目指すとすれば、
ここで整理した政治の構図の中でみずからの位置取りをはっきりさせなければならない。
万一、旧式の利益配分政治の維持か変革かをめぐって、小泉と抵抗勢力が自民党を真っ二つに割るという事態にでもなれば、
その時には小泉と組んでとりあえずの構造破壊に取り組むことも必要となるかもしれない。
しかし、そんな小さな可能性に賭けるというのは、きわめて愚かなことである。
むしろ改革と抵抗の奇妙な共存の中で全体として政治危機が深刻化するというシナリオをもとに、
民主党が日本政治の救世主となるための条件を考えるべきである。
闇雲に小さな政府を目指す小泉構造改革の中で倒産、失業に歯止めがかからないとすれば、
何よりも企業経営と雇用の安定のための下支え政策を打ち出すことが必要となる。
もちろん、かつての小渕、森両政権時代に行われたようなその場限りのバラまきではなく、
環境、高齢社会への対応など二一世紀の日本の課題に答える政策に重点をおいた戦略的なプログラムが求められる。
同時に必要なことは、明確な原理あるいはルールに基づく普遍的な政策である。
ここで言うルールには、正義を実現するための厳しいルールと、苦境にある人の自立を支援する公平で暖かいルールの二つがある。
先に述べたように、小泉政権は効率性、収益性という原理に基づいて改革を進めているように見える。
しかし、経済の基本的ルールの適用という面では、今までの自民党政権の裁量的政策を引き継いでいる。
早い話が、不良債権の処理についてルールどおりに開示し、引当を積み、足りない部分は公的資金を注入して銀行を国営化する
という筋の通った政策を実行するのではなく、
ダイエー救済劇に見られるように、その場限りの彌縫策を繰り返し、問題の真の解決を先送りしている。
一方で、ルールを厳格に適用して日本社会に巣くうモラルハザードを一掃しなければならない。
同時に、失業給付、年金などを安定させ、苦境にある人が等しく政策的恩恵を受けられるような制度改革も必要である。
ここで述べたような政策は、ヨーロッパにおいて社会民主主義形の政党が追求しており、中道左派とか第三の道と呼ばれている政策理念である。
まさに日本に必要なのは、日本版の第三の道であり、民主党が小泉政権にとって代わるためにはこの理念を彫琢するしかないのである。
ヨーロッパでは、第一の道=古い社民主義による福祉国家、第二の道=競争万能のサッチャリズムを経て、
市場経済の活力と人間の尊厳を両立させる理念として第三の道が叫ばれるにいたった。
民主党は日本の現実に合った第三の道を提示すべきである。
さしずめ、第一の道が自民党的利権政治、第二の道がアメリカをモデルとした小泉構造改革ということになろう。
だとすれば、民主党は透明、公正な市場とリスクの社会化による生活の確保という二つの柱を立てて、第三の道を切り開くべきである。(後略)
http://yamaguchijiro.com/?eid=407
■2005年11月:日本における左派政治の今後と民主党の役割
序 政治における左右という対立軸
九月の総選挙は戦後政治のいくつかの前提を押し流し、日本政治は新しい段階に入ったということができる。
何よりも大きな変化は、自民党政治における再分配機能の否定だと私は考える。
二〇世紀の自民党政治においては、田中角栄や竹下登に象徴されるように、田舎から選ばれ、
中央政府の予算を地方に再分配することを使命とする政治家が多数存在した。
もちろん同時に、自民党は経済界の利益を代表してきた。
いわば自民党は一人二役を演じることで政権を維持してきた。
即ち、成長と分配、強者の自由と弱者への平等という矛盾しかねない価値を同時に追求したのである。
二〇世紀後半を代表するイタリアの政治哲学者ノルベルト・ボッビオは、
政治においては平等を重視する左と自由を重視する右の対立が常に存在してきたと述べている。
日本で左といえば、マルクス主義、共産主義を連想する人が多いだろうが、
それらのイデオロギーは平等を徹底的に追求しようとするものであり、左派の政治理念の一例でしかない。
ボッビオの図式に当てはめれば、自民党は右派路線に沿って経済成長を推進し、左派路線に沿ってその果実を全国津々浦々に再分配した。
貧困という生活実感や都市と農村の大きな格差が、自民党政治家に左派的感覚をもたらしたとも言えよう。
自民党の中で左右がある程度均衡していたことが日本政治におけるバランスを担保してきたことは確かである。
日本政治において二大政党制の必要性が叫ばれて久しい。
しかし、当の野党も含めて、二大政党あるいは二極的政党システムのイメージが現実的に理解されていないように思える。
ほとんどの民主主義国では、政権の主軸となる大規模な政党はボッビオのいう左右の対立軸に沿って競争している。
アメリカの場合、民主党と共和党は政策主張において重なり合っている部分もあるが、
民主党が相対的に左、共和党が右に位置することは明らかである。
小泉首相が今回の解散・総選挙において、郵政民営化法案を踏み絵にして、自民党の粛清を行ったことで、構造改革の本質が明らかになった。
地方や弱者を犠牲にしてはならないという理由で郵政民営化に反対した衆議院議員は自民党から追放された。
つまり、自民党における左派の切り捨てが断行されたのである。
ここで自民党が右派路線に純化した今、左派的なものを誰が担い、新しい自民党と対決するかということは、日本の民主政治にとって本質的な課題となった。
本稿は、政策課題としてリスクの社会的分担、政治主体としての野党の再生という観点から、この問いに答えることを試みたい。
1 小泉政治の帰結と新自由主義の勝利
四年半の小泉政治のもとで進んだのは、リスクの普遍化という現象である。
雇用、医療、年金、子どもの教育など生活のあらゆる局面で、不確実性が高まり、人々は大きな不安を持っている。
従来は安定した生活を送っていた中間層も含め、幅広い層の国民が、例えば高齢の父母が突然要介護状態になるかもしれないとか、
子どもが引きこもりになるかもしれないなど様々なリスクを抱えるようになった。
実際、正規雇用の減少、生活保護受給者の増加、自殺の増加など、リスクの増加は具体的数字でも明らかである。
小泉政治が意図してリスクを拡大しているとまでは言えないにしても、
一連の新自由主義に基づく「小さな政府」路線はリスクの拡大を助長していることは明らかであろう。
地方交付税や公共事業費の削減は地方における雇用のリスクを高め、年金や介護保険の制度改革の先送りは、老後の生活のリスクを高めている。
民間企業の自由な競争やコスト削減が行き過ぎれば、鉄道の安全が軽視され大事故が起こるなど、社会全体のリスクも高くなっていく。
アスベスト問題は、人間の生命を守るためには政府が私企業の行動を強く規制しなければならない場面もあることを教えている。
このように皆が同じリスクに直面していることが明らかになれば、共通のリスクについて皆で協力して備えるという連帯の発想が広がるのが当然の反応だと思える。
税金や社会保険料を出し合ったり、政府に強い権力を付与して企業の行動を取り締まったりして、
より安心できる生活環境を作り出そうと考えるのが自然の流れのはずである。
また、リスクを社会全体で分担するという発想は、強者が思う存分利益を追求するという社会ではなく、
ある程度の平等や公平を重んじるという社会につながっていくはずである。
しかし、政治はまったく逆の方向に動いている。小さな政府路線のもとでは、人々はより大きなリスクにさらされるようになる。
たとえば、郵政民営化は、リスクゼロの貯蓄機会の消滅を意味する。
民営化された郵貯銀行が利益を追求すれば、投資信託が大々的に販売され、経済の動向に関心や知識のない高齢者を含め、
「リスクを取る」ように仕向けられるに決まっている。
高齢者医療費の自己負担分の引き上げは、個人個人で民間の医療保険を購入するという動きに拍車をかけるに違いない。
リスクを取る覚悟を持つ人が「ハイリスク・ハイリターン」の生き方をするのは自由である。
しかし、リスクのある生き方をしたくない人にまでリスクの高い生き方を迫るのが、小泉流構造改革の目指す社会である。
平等という価値は過去の遺物であるかのように語られ、勝ち組、負け組という言葉が日常用語となった。
さすがに、機会の平等まで否定する人はまだ少ないだろうが、それを実質的に支えるための政策は後退に次ぐ後退である。
たとえば、受験準備を含めて高等教育を受けるコストはきわめて大きくなっている。
新しい司法試験を受けるために必須のロースクールに行くためには、大きな投資が必要になる。
つまり、小さな政府、自由放任のもとでは、機会の平等は必然的に絵に描いた餅になるのである。
そして、今回の総選挙では国民が、リスクの増加や不平等をもたらす新自由主義と小泉改革路線を、歓呼の声をもって選択した結果となった。
この結果は、単に小泉のメディア戦略の成果とか、国民が勝ち組幻想を持っていて小泉マジックに引っかかったという議論では説明できないであろう。
中年サラリーマンが今さら起業したところで、億万長者になれないことくらい分かっているであろう。
平等や正義感が日本社会から消滅したのではなく、ゆがんだ平等主義やいびつな正義感が日本社会に横溢しているからこそ、
負け組予備軍ともいうべき都市の中間層やそれより所得の低い層が、熱狂的に小泉を支持したというのが私の説明である。
巨視的に見れば、一握りの勝ち組以外は、皆同じようなリスクにさらされている。
しかし、その中に微妙な差異が存在することも否定できない。
従来の自民党政治による利益配分システムの中では、農村、建設業者、過疎地の自治体などが特に優先的にリスクから守られてきた。
補助金、公共事業、地方交付税などがリスクに対するシェルターとなった。
そうしたシェルターを作るための費用をもっぱら負担してきた都市住民から見れば、
彼らのリスクだけが不当に高い政治的関心を集めてきたという不公平、不平等が存在する。
また、公務員は身分保障があり、今時例外的に雇用のリスクがゼロの人種である。
これもバブル崩壊後リストラの十年をくぐってきた民間サラリーマンや非正規雇用に甘んじている人から見れば、大きな不平等に映る。
住宅面での衒示的消費の象徴である六本木ヒルズを見てもうらやましいとは感じないが、近所の公務員宿舎には腹が立つというわけである。
プチ不平等に対する反感が、グローバル経済にともなう大きな不平等を覆い隠しているという現状である。
私のような左派の学者は、公共セクターが平等をつくるという議論を立ててきた。
市民が税金や保険料を出し合って構築される公共セクターが、市民それぞれの収入や地域などの差に関係なく、
普遍的で公平な福祉サービスを提供し、平等をつくるというのが政治学や財政学の常識であった。
このモデルは公共セクターに対する市民の信頼がないと成り立たない。
現在はその信頼がなく、公共セクターこそが不平等の源泉であるという感覚が蔓延しているのである。
「官から民へ」のスローガンのもと、小さな政府を作り出すこと、あるいは皆が同じように大きなリスクにさらされる状態を作り出すことが、
むしろ「非勝ち組」の中での平等を作り出すという期待がある。
また、従来の自民党お得意の利権政治に対するある種の正義感も、小さな政府待望論の原動力となった。
政治腐敗や無駄な公共事業に関する批判が国民に浸透し、田舎の土建屋や農家は政治的コネを使ってうまい汁を吸っているという不信が広がった。
大きな政府は、身勝手な少数者が追求する特殊利益に絡め取られており、むしろ小さな政府を作ることによって、
特殊利益を超越した本当の公益が実現されるという期待が存在する。
郵政民営化は、そのような意味での「平等」や「正義」を実現する象徴に仕立て上げられた。
民営化されたら過疎地の郵便局はなくなるという反論は、ほとんど共感を呼ばなかった。
利権の源である特定郵便局は、効率性原理に則って淘汰する方が多数者の利益にかなうと都市住民は考えていたのだろう。
正義感や平等主義は消えたのではなく、ゆがんだ形になっている。
今回の選挙では結局、こうしたゆがんだ正義感や平等主義が、小泉首相のポピュリズムによって、小さな政府論という象徴を介して、
ものの見事に動員されたと私は考えている。
今回の選挙戦では、「改革と抵抗」、「民間と官」という単純な二項対立の図式による議論が特徴的であった。
もちろん前者が正義であり後者が悪である。
人々は、悪と名指しされたものへの攻撃に参加することによって、正義感を満足させることができた。
しかし、このような政治論議がさらにエスカレートすれば、日本の政治はどうなるであろうか。
「都市と農村」、「現役世代と高齢者」など似たような二項対立が設定され、再分配によって生活を支えている後者は、穀潰しの既得権集団と指弾されることであろう。
リスクそのものを管理するのではなく、リスクにさらされている人間のゆがんだ平等主義を刺激することによって支持を集めるという政治の手法は、
まさにファシズムを招き寄せる。その意味では、日本の政治は大きな危機に直面しているのである。
2 民主政治の危機を乗り越えるために
このような危機を打開するためには、野党が自らの位置取りをはっきりと認識し、小泉改革に対抗する明確な政策を打ち出すことがどうしても必要である。
以下、主として最大野党である民主党の課題について、考えてみたい。
野党はこの選挙結果に意気阻喪しているが、考えてみれば自民党が新自由主義路線を明示したことは野党にとって大きなチャンスが到来したことを意味している。
今までの自民党は右と左の両面を備えており、背骨を持たない軟体動物のようなものであった。軟体動物を倒すことはできない。
今回、新自由主義という背骨を持ち、直立したがゆえに、これを倒すことも可能になったのである。
民主党が二大政党の一翼を担いたいと本気で考えるならば、自民党の左側にしか場所が空いていないことを認識することから出発しなければならない。
繰り返すが、ここでいう左とは平等や再分配を自民党よりは重視するという意味である。
別の面から言えば、個人個人をリスクにさらされた状態に放置するのではなく、
共通したリスクを共同で管理するために公共セクターに一定の役割を担わせるという理念が、左側の理念である。
このようにして、自民党と異なった理念を立てることが、野党再建の第一歩である。
自民党の中川秀直代議士が『朝日新聞』のインタビューに答えて、これからの政党政治は、
小さな政府と日米同盟という基本的価値を共有した二大政党が改革を競うものとなると、民主党に呼びかけていた。
自民党の首脳がわざわざ政権交代への道筋を描くはずはない。
フランシス・フクヤマの「歴史の終焉」を思わせる中川発言は、政治という営みを無意味化し、
政治の可能性に対する国民の希望を封じ込めることによって、自らの権力を永続化させようとするねらいがあるように思える。
民主党はこうした罠にはまってはならない。
自民党と同じ新自由主義のレールに乗って、どちらがより過激な数値目標を示すかという競争、改革のせり上げを行うことは、野党としての役割の放棄である。
政策面では、リスクの普遍化に対応して、社会全体でリスクを管理するという方向を明確にすべきである。
しかし、公共事業による地方へのてこ入れ、護送船団型の業界保護など、従来のリスクの社会化の方法を続けることには、国民の支持を得られないことも確かである。
腐敗、非効率など国民が好況セクターの仕事ぶりに不満を持つのも、十分に理由のある話である。
公共セクターの失敗をもたらした最大の原因は、中央集権構造と裁量行政の二点にあると私は考えている。
中央集権構造は、政策における需要と供給のミスマッチ、そしてそこから生じる非効率の原因である。
九〇年代後半に省庁再編成があったとはいえ、局単位で見ると政策の供給システムは長い継続性、さらに言えば惰性を持っている。
たとえば、農業人口は戦後六〇年で激減したが、農水省の組織や予算がそれに並行して縮小されるということはなかった。
社会や経済の変化によって需要がなくなっても、政策の供給は漫然と続く。
減反を進める傍らで干拓による農地の造成が進むといった具合である。
また、逆に高齢化による介護などの新しい政策需要に対しては、資金、施設の両面で供給がまったく追いつかず、
介護施設の入所には長い順番待ちがあり、ヘルパーの待遇は劣悪なままといった状態が続いている。
したがって、政府を小さくすることが必要なのではなく、政府のスクラップアンドビルドを行って、
需要供給のミスマッチを解消することこそが、真の改革の課題なのである。
裁量行政は、腐敗の根本的原因である。
公的年金や地方交付税の配分など、ルール、基準がはっきりしている政策サービス、利益配分においては、腐敗は起こりえない。
客観的なルールに基づいて、自動的に政策が運用されるからである。
しかし、日本の官僚組織は、補助金の箇所付け、ある種の許認可など多くの裁量的政策を抱えている。
これらの政策における利益配分、利害調整にはルールが存在せず、権限、財源を持った担当者のさじ加減で左右される。
また、その過程も不透明である。だからこそ、政治家が介入し、斡旋、口利きの政治がはびこることになる。(後略)
http://yamaguchijiro.com/?eid=512
■06年8月:対抗軸としての社会民主主義の創造
(前略)
□日本的「疑似(似非)社民主義」は、裁量的政策による「リスクの社会化」
日本的な「疑似(似非)社民主義」の特徴(*3)を、ここでおさらいをしておきたいと思います。
〔図1〕「政策分類と政治勢力の位置づけ」をご覧下さい。
(図参照: http://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/18_sousei/data/g_houkoku19/end1_yamaguchi.pdf )
縦軸は「リスクの社会化・リスクの個人化」という理念でして、
病気や失業や貧困、生活の苦労とか自然災害など人間生活を脅かすさまざまな問題や課題、困難を
社会全体で担うのか、自己責任・自助努力において解決するのかという理念の対立を表しています。
「リスクの社会化」は、いわゆる「大きな政府」に繋がっていく理念です。
これに対して「リスクの個人化」は、「小さな政府」に繋がっていく理念です。
日本の保守政治は、ある面で弱者や農村に対しては寛大であり、
リスクを社会全体で担うさまざまな仕組みをつくっていました。
その結果、地域間格差が是正され、農業・中小企業・流通業といった弱い産業が生き残り、
雇用の受け皿になるといった社会経済的な効果を持ちました。
「リスクの社会化」という意味では、社会民主主義な理念に近いわけですが、日本とヨーロッパでは大きな違いがあります。
それを示すのが横軸で、「裁量的政策」と「普遍的政策」という理念を示しています。
「普遍的政策」はルール・基準がはっきりしていて、
同じ条件の人には同じような行政サービスが公平に提供されるというものです。
これに対して「裁量的政策」とは、権限・財源をもった役人のさじ加減で何とでもなるという類の政策です。
日本的な「疑似社民主義」とは、裁量的政策によるリスクの社会化であったと捉えることが出来るわけです。
1960、70年代は、「疑似社会民主主義」によって農村部の生活水準も向上したように、
これにも歴史的な役割はあったのですが、バブルの崩壊やグローバリゼーションの進行によって、弊害を露呈するようになったわけです。
日本的な「疑似社会民主主義」というのは、中央集権的な官僚支配と表裏一体であり、
「裁量的政策」は、まさに官僚の権力の源泉だったわけです。
それが、非効率や腐敗を生み、民主主義の健全な発展を阻害しました。
特に、右肩上がりの経済発展が終わり、いわゆるゼロサムゲーム的な社会状況になってくると、
再分配について世代間や地域間の合意を達成することが大変難しくなります。
いろいろな分野で競争原理が浸透し、弱者が淘汰されていく現象があちこちで進んでいき、
国民が一握りの「勝ち組」と「負け組」に引き裂かれ、国民が分断されているという状況が生まれています。
『論座』の最新号(*3)に書いたのですが、本来ナショナリズムは、
国民の一体性、同質性を強調するものであり、平等主義と結びつきやすいはずです。
しかし、今のナショナリズムは、格差を是認し、弱者を排除するナショナリズムです。
バーチャルな空間においては「国民」という概念を強調して「愛国」を言いながら、
現実の社会においては、社会的連帯や国民的な結びつきがなくなっていくという状況です。(後略)
http://www.yamaguchijiro.com/?eid=537
■参議院予算委員会公聴会 2009年3月17日(山口二郎)
http://www.asyura2.com/09/senkyo61/msg/149.html
■鳩山政権の百日 (山口二郎)
http://www.asyura2.com/10/senkyo79/msg/308.html
民主党は理念を再確認し、理念に沿った政治を行なうよう一層、努力する必要がある。
というのは、たとえば、裁量行政の典型である「個所付け」も政権交代しても、
配分する主が変わっただけで代わり映えしていない。
上記、記事にあるとおり、「裁量行政は、腐敗の根本的原因」である。
また、民主党は、自民党から業界団体を引き剥がしつつあるが、
これを取り込むだけでは、いくつかの既得権維持システムは変形されて、
民主党に引き継がれることになるだけである。
自民党中心の政権時代と同様、“税金”が業界団体に中抜きされるようなことがあってはならない。
同様に天下りの根絶も不十分である。
事業仕分け等で、天下りの“受け皿”である独立行政法人・特殊法人・公益法人の原則廃止、
さらに、官僚の“財布”である特別会計の原則廃止という方針(ゼロベースで見直すという方針)で、
メスを入れてもらいたい。
民主党を中心とする現政権は、効率的で、かつ国民にとって十分な機能をもつ政府を目指すべく、
もう一度、基本的な理念を再確認し、その理念に沿って政策・予算を策定・執行してほしい。
「コンクリートから人へ」
「控除から手当てへ」
「間接給付から直接給付へ」
「裁量行政(利権行政)から普遍行政へ」
「リスクの個人化からリスクの社会化へ」
ベーシックインカムは、上記理念、すべてに合致する制度である。
■世論調査―質問と回答〈2月中旬から3月中旬〉
(20)いまの日本の社会にある所得の格差は、許容できる範囲内だと思いますか。行き過ぎていると思いますか。
許容できる 6
どちらかといえば許容できる 29
どちらかといえば行き過ぎている 43
行き過ぎている 18
(21)税金の負担が重くても社会保障が充実したほう(高福祉・高負担)がよいと思いますか。
社会保障は充実していなくても税金の負担が軽いほう(低福祉・低負担)がよいと思いますか。
高福祉・高負担 10
どちらかといえば高福祉・高負担 55
どちらかといえば低福祉・低負担 23
低福祉・低負担 6
(22)「国による規制を少なくして、企業の自由な経済活動にまかせるほうが、豊かな社会になる」
という意見に賛成ですか。反対ですか。
賛成 10
どちらかといえば賛成 42
どちらかといえば反対 34
反対 8
(23)所得の多い人ほど税金の率が高くなる制度を累進課税といいます。
累進課税を強めたほうがよいと思いますか。累進課税は緩めたほうがよいと思いますか。
強めたほうがよい 38
どちらかといえば強めたほうがよい 45
どちらかといえば緩めたほうがよい 10
緩めたほうがよい 3
(30)失業や貧困は、個人の責任が大きいと思いますか。社会の責任が大きいと思いますか。
個人の責任 11
どちらかといえば個人の責任 28
どちらかといえば社会の責任 39
社会の責任 17
http://www.asahi.com/politics/update/0324/TKY201003240001.html?ref=reca
■「日本人が望む社会経済システム」に関する世論調査報告書
調査期間は2007年11月24日〜27日。RDD法を用い、全国20歳以上の男女1514人から回答を得た。
http://www.csdemocracy.com/opendata/200801.html
http://www.csdemocracy.com/opendata/200801.pdf
「アメリカのような競争と効率を重視した社会」を望む
全体6.7% 民主支持者5.5% /自民支持者6.3%
「北欧のような福祉を重視した社会」を望む
全体58.4% 民主支持者61.3% 自民支持者50.3%
「かつての日本のような終身雇用を重視した社会」を望む
全体31.5% 民主支持者31.5% 自民支持者41.4%
高福祉高負担の北欧福祉型社会を、旧日本型より、多くの人が支持していることに驚きました。
アメリカ型「競争」社会も嫌ですが、今までの日本型「企業談合」社会もゴメンということでしょう。
なかなか興味深い調査です。
http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2008/10/post-0d04.html
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/fd10d544c20a173e72c42dadfca053d1
以上の調査から国民の多数派が望む政府と社会経済システムは、以下のとおりではないだろうか。
某掲示板の投稿より。以下、貼り付け。
その世論調査からみえてくることは、
・規制緩和等で経済を活性化させて税収を増やし、財政再建せよ。
・税金の無駄遣いをなくし効率的な政府を実現せよ。
・高福祉を目指せ、増税は容認する、ただし、累進税率を強め、格差を是正せよ。
といった、主張か。
613 ::2010/03/28(日) 22:06:17 ID:knLCiiNL
「可能な限り小さな政府」と「必要な限り大きな政府」の二つの顔を併せ持ち、
それをシーンに応じて適切に使い分けることのできる「スマートな政府」「賢い政府」
ということだろう。
>>522の「第三の道」はまさにそうだし、昔の菅直人の「最小不幸社会」もたぶん発想的には近い。
民間の市場と公共の福祉、両者は対立関係ではなくむしろ相互補完関係。
前者で自由な経済活動を促すことが、後者で必要な原資を生み出すことにつながる。
後者で社会保障を充実しセーフティーネットを確保することが、
前者で成長の種となりパイを拡大させる源となる果敢なリスクテイクを可能にする。
自民党長期政権は、こうした切り分けが非常に曖昧で不適切だった。
余計な所に口やカネを出すくせに、必要な所をほったらかしにしてきた。
その反省に立って、民主党は政権運営をできるのか?というのが現状。
以上、貼り付け終了。
上記投稿者がいうところの「可能な限り小さな政府」と「必要な限り大きな政府(高福祉を保障する政府)」を
実現する手段としてベーシックインカムは有効ではないだろうか。
山崎 元(経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員)氏の言葉を引用すると、
年金や生活保護のような多数の役人が介在する行政サービスをベーシックインカムに置き換えると、
コスト面の効率が改善するし(たとえば社会保険庁の廃止)、役人の不透明な裁量を減らすことが出来る(たとえば生活保護の認定で)。
無条件でお金を配るわけだから、個人は自分の好む対象に支出することが出来るし、これを貯めることもできる。
全般的に自由度が拡大するし、貯蓄を持っていたら生活保護の支給を打ち切るというような、
生活保護世帯に対する特定の暮らし方の強制のような事態が起こらない。
役人の権限も、人数も当然減ることになるから、
役人の多く(心ある人は賛成するかも知れないが)や利益配分に関与したいタイプの政治家はベーシックインカムを好まないだろう。…
何れにせよ、「現在の行政サービスを順々にベーシックインカムに置き換える」と考えてもらうと、
私が期待するベーシックインカム像が、より分かりやすいと思う。
http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_hajime/e/39789e023a0ba7d25be7d882d9fc84d8
ベーシックインカムを導入すると、日本はこう変わる。
(1)労働環境が改善され、企業の負担も軽くなる
低賃金や長時間労働など、劣悪な労働条件のもとで働くことを拒否できるようになり、労働環境は改善される。
(2)家族の形態が変わり、少子化問題も解決
家族が多いほど収入も増えるため、結婚や共同生活も増える。
これで少子化問題も解決。
(3)第一次産業が復活、文化的に進歩する
生活の不安がなくなることで、芸術や学問、スポーツなど、自分の一番好きな分野を追求する人が増える。
分配された資源をどのように使うべきかについて、個人が決定する自由度が高まり、
その結果、ライフスタイルや文化の多様性が促進される。
(4)ホームレスや自殺者激減、再チャレンジも可能に
全国民に一律に支給されるため、現在の生活保護のように、後ろめたさを感じる必要はない。
生活保護の受給者がバッシングに遭いやすいのは、制度運営に行政の恣意的な判断が強く働いているためである。
ベーシックインカムには、こうした恣意が介入する余地が少なく、国民の間の疑心暗鬼や不公平感を和らげることができる。
また、失敗してもやり直しが現在より容易になるため、さまざまなチャレンジが可能となり、自由な競争が促進される。
ホームレスや自殺者、生活苦による犯罪も激減する。
(5)行政の仕事がスリム化する
生活保護、失業手当、子ども手当て、年金などの社会保障が原則としてBIに一本化されるため、
煩雑な手続きや審査が必要だった行政の仕事が不要になり、その分の労力を他の重点政策に振り分けられる。
(高齢者や障害者には、別途、加算が必要)
また、官僚・公務員の人数やムダな予算も大幅に減らすことができる。
(「週刊SPA!」09.5・5&12合併号、「週刊金曜日」09.3.6号などより)
http://spa.fusosha.co.jp/backnumber2009/20090505.php
関連2;
■「ベーシック・インカム」を支持します
http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_hajime/e/df9729ff82024e97dd3447d08d9c5f27
■ベーシックインカムに関する補足
http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_hajime/e/39789e023a0ba7d25be7d882d9fc84d8
■年金・福祉事務所が不要になる(プレジデント・ロイター)
http://www.asyura2.com/10/senkyo83/msg/180.html
■ツイッターで原口総務大臣にベーシックインカムの質問をした人が居るようです。
http://www.asyura2.com/10/senkyo82/msg/103.html
■ベーシックインカム 一番かんたんな方法/財源は政府通貨を発行することで確保/インフレターゲットをベーシックインカムで実装
http://www.asyura2.com/10/senkyo81/msg/838.html
■“貧困”国家 日本の深層 内橋克人氏がNHKの番組で日本のあり方を問う【“日本の良心”内橋氏、“日本の悪意”ネット右翼】
http://www.asyura2.com/10/senkyo82/msg/614.html
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