02. 2010年3月03日 21:02:56 SAPIOは80年代おわりに創刊された雑誌だけど 当初は毎号、浅田彰が語り倒すといった類のサヨク雑誌だったんだよ。(マジにw)ところが浅田彰とかが「レギュラシオン」とか難しい学術言葉を連発する 高踏趣味のサヨク文化サロン雑誌だったもんだから、しだいに 飽きられて読者が減っていった。 一方、90年代に入って部数を伸ばしていたのが、週刊サンケイ のリフォーム雑誌として登場したSPA!だった。なぜ部数を伸ばして いたのか? コヴァのゴーマニズム宣言が連載されていたからだ。 もっとも、小林よしのりという漫画家をデビュー当時から知っている 世代からみれば、こいつはB級路線に徹した下品なギャグ漫画 ばかり書いているパッとしない漫画家でしかない。 『東大一直線』で 東大透が連発していた名言「けんべんしてる〜?」「親指大ね〜!」 でカタルシスを感じていた世代から見れば、小林よしのりなんて トイレット博士のとりいかずよし氏の足下にも及ばないことは自明であった。 そういうわけでSPA!に連載されていたゴーマニズム宣言も、当時の 人気番組だったテレ朝の「朝ナマ」を真似て、わざとらしい過激な政治路線、 政治的タブーに敢えて触れるというキワモノ趣味で、読者を引きつけていた。 当時はまだマスコミタブーだった在日朝鮮人差別や部落差別などの 話題を好きこのんで扱っていた漫画だったから、当然、読者をどんどん 獲得していった。 こうして90年代半ばを迎える頃には、SAPIOよりもSPA!のほうが 売れるし、読者の注目と期待を集める雑誌に育っていた。 転機は95年のオウム事件で、周知の通り、SPA!のスキャンダリズム の中核を担っていた宅八郎と小林よしのりが、編集長を巻き込んで 内ゲバを始めてしまい、火病を起こしたコヴァはSPA!と決裂。 この内ゲバを眺めて機会を狙っていたSAPIO編集部はさっそくコヴァに 接触して、ゴーマニズム宣言の連載を引き受ける話がまとまった。 ここから先は多くの皆さんがご存じでしょう。 SAPIOは2000年頃までは 創刊当初のサヨク的文化サロン路線を続けていたが、コヴァはオウム 騒動を契機に積極的に政治運動や市民運動などの欺瞞を漫画のなかで 糾弾するようになって政治化し、薬害エイズ問題がらみの日共批判 の頃から統一教会系のサンケイ文化人との関係も深め、教科書問題 でついに政治活動家に変貌した。(サンケイの雑誌と縁を切ったくせに サンケイ文化人に釣られて統一教会系の運動の広告塔として頑張った のは、やっぱりコヴァが本質的に政治音痴だったからでしょうw) ……というわけで、SAPIOはコヴァの「極右化」に引っ張られる形で 極右隔週刊誌に変身したのだが、その理由は何のことはない、 そういう政治的スタンスで売ったほうが単純に売れたからだ。 90年代にプチ保守雑誌などと呼ばれる論壇誌が顕著に台頭したが、 これは時代の気分を敏感にとらえて、売れる路線を選んだ結果に 他ならない。 10年近く前に毎日新聞の夕刊に、プチ保守雑誌 『諸君!』『正論』『WILL』などの編集長を取材した特集記事が載ったが それぞれの編集長はじつにドライに、「半径5メーターの社会しか 見えずに文句ばかり言っているお座敷保守の読者層が熱心に 買ってくれるから、そのニーズに応えている」と、編集長や編集部の 政治的信条でなく出版社のカネ儲け戦略としてプチ保守雑誌に 力を入れていることを告白していた。……そして実際、プチ保守層が わざわざ雑誌を購入せずにネットで「祭り」や「荒らし」などのインタラクティブ な政治遊戯を楽しむようになってプチ保守雑誌の売上げが低迷し始めると 文藝春秋はさっさと『諸君!』を廃刊にしてしまい、こうした編集長の 告白が本当だったことを裏付けることになった。 SAPIOを「イデオロギーの一貫性」で分析しても意味ないよ。 時代の趨勢が変わって、売れるネタや方向性に変化がでてきたら それに飛びつくだけ。 すくなくとも過去のSAPIOはその営業路線を 通してきたんだから。
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