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われわれ人間は夢と同じもので織りなされている シェイクスピア 【テンペスト】 http://www.asyura2.com/10/lunchbreak35/msg/372.html
「われわれ人間は夢と同じもので織りなされている、 はかない一生の仕上げをするのは眠りなのだ。」 − プロスペロー、妖精たちが大気の中に消えていくのを見て(第4幕第1場)
≪ストーリー≫ 場面: 海上の船、孤島 ナポリ王アロンゾー、ミラノ大公アントーニオたちの乗った船が大嵐に襲われる。嵐を起こしたのは12年前にミラノを追放され、孤島暮らしをするプロスペローだった。嵐を静めるよう頼む娘のミランダに、彼は自分こそが正当なミラノ大公であることを打ち明ける。魔術の研究に没頭していた彼は、弟アントーニオの企みで娘とともに孤島に流されたのであった。 嵐が治まり、王の一行とはぐれ一人で島へと流れ着くナポリ王の息子ファーディナンド。プロスペローの家来である妖精エアリエルは彼をミランダのもとへ連れてくる。お互い一目で恋に落ちる2人だが、プロスペローはその愛を試すため彼を捕らえ、丸太運びという試練を与える。ミランダのため重労働に耐えるファーディナンドと励ますミランダ。 一方息子が死んだと思い、嘆き悲しむナポリ王アロンゾー。同行していたアントーニオは王の弟セバスティアンをそそのかし、アロンゾーを殺してナポリ王の座を手に入れようとする。しかし彼らの悪事を全て見抜いているプロスペローは、エアリエルに命じて暗殺を阻止する。エアリエルは怪鳥に姿を変え彼らの前に姿を現し、改心するよう求める。 その頃プロスペローのもう一人の家来である怪物キャリバンは、同じく島に流れ着いたナポリ王の臣下たちと共にプロスペローを殺して島を支配しようと企む。 ファーディナンドとミランダの結婚を認めるプロスペロー。彼は2人に妖精と魔法が織りなす幻想の世界を見せるが、途中でキャリバンに命を狙われていることを思い出す。彼はエアリアルに猟犬に姿を変えるよう命じ、キャリバンたちを追い払う。 ナポリ王一行の前にプロスペローは姿を現す。改心した王アロンゾーとプロスペローは和解し、ミラノをプロスペローに返すことで合意する。プロスペローはアロンゾーに岩屋でミランダとチェスに興じるファーディナンドの姿を見せ、お互い死んだと思っていた親子は再会を果たす。娘の結婚式に参列するためナポリに行くことにするプロスペロー。反省したキャリバンは、プロスペローに命じられるまま島に残る。魔術を封印したプロスペローは最後の命令として、ナポリまでの航海を穏やかにすませるようエアリエルに命じる。
≪メモ≫
いたずら好きで騒ぎを引き起こす妖精パック(『夏の夜の夢』)と異なり、プロスペローに仕える妖精エアリエルは主人の言いつけを忠実に守るという正反対の性格をしています。もちろんこれは自由を手に入れるという目的があるからなんですけどね。最後にプロスペローがエアリエルに言う「これが最後のつとめだぞ。あとは大気のなかに自由に飛び去るがいい。元気でな。」という台詞、切なくてちょっとやさしくて、印象に残る一言です。 プロスペローのもう一人の家来、キャリバンは一体どんな怪物なんだろう?魔女の息子で、いくつか描写はあるのですがなかなかイメージをつかむのが難しいキャラクターではないでしょうか?「四本足の化け物」、「魚」、「どら猫」・・・劇中ではいろいろ言われていますが、あとは想像力で補ってみてください。僕の想像力だとすごく怖い生き物になってしまう(笑) 父親とキャリバンしか見たことのなかったミランダがナポリ王一行を見て言う台詞はとても有名なので、聞いたことのある人もいるんじゃないでしょうか。「なんて素晴らしい!人間がこうも美しいとは!ああ、素晴らしい新世界だわ、こういう人たちがいるとは!」(How beauteous mankind is! O brave new world, that has such people in't!) シェイクスピアの作品はこの後『ヘンリー8世』を残すのみとなりますが、『ヘンリー8世』は他の劇作家との共作と言う説があり、それが事実ならこの『テンペスト』は彼が一人で執筆した最後の戯曲ということになります。どちらにしろ、魔法の衣を脱ぎ、魔術を封印して「まもなくおれの仕事はすべて終わりとなる。」と告げるプロスペローの姿はそのままシェイクスピアの姿と重なり、読みながら淋しさを感じます・・・彼の作品も、人々に一時だけ現実の世界を忘れさせることのできる一種の魔法ですもんね!
≪その他≫ 『プロスペローの本』はちょっと心の準備をして観たほうがいいかもしれません。とにかく最初から最後まで大勢登場し続ける妖しい素っ裸の男女たち・・・もちろんボカシだらけ(笑)。物語はプロスペローの館らしき場所のみで、映画というよりはバレエか何かの舞台を観ているような感じ。 ストーリーはどうもプロスペローが『テンペスト』の台本を書いている(つまりシェイクスピア本人?)という設定のようです。彼の所有する魔法の本(『愛の本』、『ユートピアの本』といったような)が次々と紹介され、それに合わせて『テンペスト』の話が進行していきます。最後にそれらの書物は焼かれてしまうのですが、残った本が『テンペスト』で・・・という展開。ストーリーはだいたい原作に沿って作られています。 エアリエルは雷様のような髪型の赤ふんどしをした子供(笑)、キャリバンは裸でモダンダンスをするかのようにのたうちまわる男・・・とすごいことになってます。前衛的とも言えるんでしょうけど、個人的にはついていけずに口あんぐり、って感じ。シェイクスピアの作品は加工の仕方次第でいろんな姿に生まれ変わるんだなあ・・・と妙な感心をしてしまいました。 ◆ デレク・ジャーマン監督版『テンペスト』もちょっと・・・カルト映画で有名な監督の作品だけに、何ともいえない怪しい雰囲気が漂う作品となっています。基本的に原作どおりですが、ほとんど暗闇の中で展開する映像はかなり薄気味悪いです。なぜか全裸で島に流れ着くファーディナンド(なぜか剣だけはしっかり握っていて笑えます)、生卵を飲んで無気味に笑うキャリバン、青白い顔をした病的なエアリエルなどが映画を一層不気味なものに・・・ 他にも突然現れ輪になって踊り狂う水兵たちなど、もしかすると真正面から理解しようとしてはいけない映画なのかも。すごーく品のない映画です(笑) ◆ そして現代が舞台の『テンペスト』。シェイクスピアの作品からヒントを得ているものの、仕事や家庭に嫌気がさした中年男が現実逃避をする、という全く別の作品と考えてください。仕事に疲れた建築家フィリップは妻アントニアの浮気現場を目撃したこともあり、思春期の娘ミランダと旅の途中で知り合った女性アリサを連れてギリシャの孤島へ。島に住んでいた奇妙な男カリバノスを召使いにしてフィリップは自由な生活を楽しむのですが、ミランダたちは退屈な生活に不満を言い出し、さらにそこにアントニアや彼女の浮気相手の息子フレディが漂着。最終的にはフィリップとアントニアは和解し、娘とともにアメリカに戻っていく・・・というストーリーです。フィリップが嵐を起こすシーンがあったり(もちろん魔法でも何でもなく、単に偶然なのですが)、登場人物の名前がオリジナルの名前に似ていたりと『テンペスト』のエッセンスを散りばめた作品ではあるんですけど、散りばめる必要性があったのかどうか(笑)。好きになれるキャラクターがなぜか1人もいないんですよね。うーん。 ◆ ・・・というようになかなか満足できる映画に出会えなかったのですが、やっと安心して観られる作品を見つけました。1998年制作の『テンペスト』は恐らくテレビ用として作られたものだと思うのですが、舞台をアメリカの南北戦争時代に置き換えたユニークな翻案ものとなっています。1800年代後半のアメリカ・ミシシッピ州で、父親の農園を受け継ぎ娘ミランダと暮らすプロスパー。しかし彼が黒人奴隷であるエゼリという女性から夢中になって魔術を教わっている間に、弟アンソニーの策略によりプロスパーは逮捕されてしまいます。エゼリの魔術により絞首刑を逃れたプロスパーは、アンソニーに撃たれ重傷を負ったエゼリの息子エリアルを探しに行くのですが、その間に今度はエゼリが射殺され・・・という何とも悲しい始まり方をするのでした。 12年後、プロスパーは小島でエリアル、ミランダそして「ワニ男」(←キャリバン)と平和に暮らしていたのですが、本格化した南北戦争が彼らの生活に徐々に影響を及ぼします。魔術により鳥に姿を変え軍の偵察に行ったことがきっかけで、奴隷解放のために北軍に参加したいと言い出すエリアルや、南軍のスパイとして北軍に近づくアンソニー。ミランダは北軍の大尉フレデリックと恋に落ち、プロスパーは弟に復讐をしようとして逆に銃で撃たれ瀕死の重傷を負い・・・とさまざまな出来事が一気に起こります。最終的にはエリアルや死んだエゼリの助けによって復活したプロスパーの魔術により、北軍に勝利の兆しが見え、兄との和解を拒んだアンソニーは軍事裁判に。そしてプロスパーは魔法を手放し、農園に帰る決意をします。 奴隷問題や南北戦争といった時代背景が、物語をより深いものにしています。黒人であるエリアルが自由になりたい理由は奴隷解放のために戦いたいという思いがあるからだし、冒頭でプロスパーが逮捕されるのも奴隷を守ろうとしたことが発端です。このあたりの人間的な心情や絆がしっかり描かれているため、最後プロスパーとエリアルの別れのシーンがより一層感動的なものになっているのです。 プロスパー 「これでもうお前は自由だ。ただしもう鳥のようには飛べんぞ」 ・・・泣けました。エリアルがとってもいい味を出しているんですよね。ミランダとの交流もさりげなく描かれており、外の世界の男性に興味を示す彼女に対して「きっとどこかに君にピッタリな人がいるよ」とやさしく声をかけたりするのでした。とってもいい奴! この作品を観て思ったのは、『テンペスト』はプロスパー(プロスペロー)、エリアル(エアリエル)、ミランダらの成長の物語なんだなあ、ということです。外界との接触を遮断し育ててきた娘が恋をしたことにより、娘の成長に気づくプロスパー。自由を手に入れるエリアル。結婚を決意するミランダ・・・登場人物がそれぞれ一歩前に進むことにより、物語は完結するのでした。改めてこの作品の力強さを感じました。 ◆ なぜかSF映画になってしまったのが『禁断の惑星』です。舞台は23世紀、20年前に消息を絶った宇宙船を探すためアルテア星を訪れる宇宙連邦船。生存者の言語学者モービアス博士、娘アルタとロボットのロビーを地球に連れ帰ろうとする船長だが、クレルという目に見えない怪物が突然現れ、乗組員が次々と殺されていきます。しかし実はその怪物とはモービアス博士の潜在意識が呼び寄せたものであり、博士の決死の行動によりアルタや船長たちは星からの脱出に成功します。そしてアルテア星はモービアスの計らいにより爆発するのでした・・・これって、言われなければ『テンペスト』の翻案ものだなんて絶対わからないんですけど(笑)。誰もいない場所でひっそり暮らすモービアスたちはプロスペロー親子と通じる部分はありますが・・・古い作品にしては特撮シーンがよくできている作品ですよ。 父親以外の男に出会ったことのないアルタは、地球から来た乗組員たちに騙され彼らと次々にキスをしちゃうのでした。単に欲求不満の乗組員たちのはけ口にされているだけ、という感じです(苦笑)。あとファーマン中尉という登場人物がいまして、ファーディナンドに似た名前の響きからアルタと結ばれるのは彼かと思いきや、彼はあっという間に怪物に殺されてしまいました(笑)。結局アルタは船長とくっついたようです。なんじゃそら。 ◆ 舞台『テンペスト』はとても素晴らしい出来でした。曲線を用いた舞台、そこに映し出される嵐や炎の映像、楽器を使わず全てアカペラで表現される歌の数々。僕は今までそれほどこの作品に対して思い入れはなかったんですが、一気に好きになったほどです。ミランダやエアリエルを黒人俳優が演じるというオリジナリティ溢れる内容、プロスペローを演じるフィリップ・ヴォスの温かさ、また半裸で熱演したキャリバン役の俳優など見どころいっぱいでした。 やっぱり舞台はいいですよね。文章を読むだけではわからない笑いのツボや、笑わせ役のキャラクター(つまり道化役ですね)がよくわかりますから。それぞれの人物の存在している意味がはっきり見え、無駄な人物などいないことに今さらながら気付かされます。 さらに舞台終了後、私服に着替えた俳優たちが再度舞台に現れて30分ほどのワークショップがありました。俳優たちそれぞれの作品への思い入れや理解を存分に聞かせてもらい、大満足。シェイクスピアがまた一歩身近に感じられる内容でした。 ただ1つだけ。英語での上映だったためイヤホンで翻訳を聞いていたのですが、その翻訳の女性の喋り方があまりに棒読みでかなり舞台の雰囲気を邪魔するものとなってしまいました。感情を微塵も込めずに淡々と「ヤッホー。自由だ」なんて言われても困るでしょ?『リチャード2世』の時はちゃんと人物ごとに声の違う声優さんが演じていてくれたんだけどなあ・・・うーん残念。 http://www.sol.dti.ne.jp/~takeshu/Tempest.htm
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