投稿者 小沢内閣待望論 日時 2010 年 2 月 18 日 12:16:16: 4sIKljvd9SgGs
http://www.janjannews.jp/archives/2580644.html
参院選後に3つに分裂? 自民党のゆくえと政界再編2010年02月10日政治・政党 さとうしゅういち
自民党は、日本社会党が1995年の参院選後に3分裂したのと同じように、参院選後に3分裂するのではないか、と思います。
自民党は、そもそも、「冷戦と高度成長を前提に、反共を旗印とした利益分配団体」と位置づけられます。しかし、高度成長は1973年のオイルショックで陰りが見え、1980年頃には終了していた、とみなせます。そして、1991年のバブル崩壊以降はまさに低成長、マイナス成長時代だった。
冷戦は、ご承知のとおり、1989年に終結しました。従って自民党の存在意義は、遅くとも1990年前後にはなくなってしまった。1989年に自民党が参院選で惨敗したのは消費税やスキャンダルもありましたが、農業の自由化で農村の反発を買ったこともありました。このころから、自民党の利益配分団体としての機能が怪しくなっていたのです。
共産党に秋波送る「農協」と歴史的必然としての「自民党消滅」
http://www.janjannews.jp/archives/2326707.html
■先に沈没した社会党
1980年代は、世界的には新自由主義が欧米を席巻していました。サッチャー(イギリス)、レーガン(アメリカ)などなど。しかし、1990年代に英仏独で相次ぎで社民党ないし労働党が政権を奪還しています(ただし、政策の中身は社会主義ではなくブレア英首相が提唱していたような、いわゆる「第三の道」でした。)そういう意味では、日本は1990年代には、社会党が自民党に取って代わるべきだった。
しかし、残念ながら、日本社会党は、ソビエト的な社会主義の残滓を引き継いだ政党でした。日本共産党が中国ともソ連とも北朝鮮とも険悪だったのと対照的に、社会党内には親ソビエト派が多かった。インターネット上で若手自民党支持者の方々が、社民党について、昔から韓国よりだと勘違いし罵倒しているのを見かけますが、日本社会党は、ソ連・北朝鮮寄りでした。その上、支持基盤の労組も新しい状況に対応できていなかった。だから、ソ連崩壊後、自民党よりも先んじて社会党が低落してしまったのです。
■過去の遺産と社公両党との連立で延命も・・・
一方で、自民党は政権政党ですから、過去の遺産を食いつぶしながら延命した。「与党のうまみ」で人々をなんとか引きつけたのです。そして、自民党は、1993年にいったん野党に転落したものの、翌年すぐに日本社会党を引き込んで政権に復帰。それは、当時の自民幹部が「野党では自民党が空中分解する」と危機感を抱いたからです。
その先頭に立ったのが、森喜朗さん、亀井静香さん、小泉純一郎さんらでした。(21世紀に入り、亀井さんが小泉さんに自民党を除名され、旧田中派出身の小沢さんと組んで自民党を倒すことになったのですが。)
自民党は社会党の生き血を吸い尽くした。社民党は吸い尽くされた状態で1998年連立を離脱。参院で自民党は過半数を割ってしまった。1999年には公明党を連立政権に引き込み、その後10年間、政権を維持し続けたのです。その間、小泉純一郎さんに「自民党をぶっ壊す」などと叫ばせるなどして、人々をひきつけた。
さらに末期には、派遣法の緩和(労働コストの低下)、アメリカ国債購入、円安誘導などでトヨタをはじめとする製造業大手による対米輸出を支えることに血道をあげた。これにより見せかけの好況を演出したが、2008年9月のリーマンショック以降、破綻しました。
かくて、自民党は、ついに2009年8月30日の衆院選で陥落したのです。
■野党転落で「末期日本社会党化」する自民党
政治と金の問題を追及すれば、民主党の足を引っ張ることにはなります。では自民党の支持が伸びるかといえばそれは疑問です。
日本社会党の末期にも、自民党側では、金丸信(副総裁・1996年没)を巡る佐川急便疑獄など、疑獄事件は多かった。しかし、それによる自民不信は、社会党の票にはだんだんならなくなり、1993年総選挙では、日本新党などが獲得したのです。
現代の自民党は、国政では政治と金の問題を追及していますが、正直、経団連企業からたくさんお金をもらっている自民党にはその資格があるのか疑問視されるでしょうし、国会審議が混乱すれば有権者の目も厳しくなります。
地方議会でも、自民党議員は利益誘導のすべを失いました。まるで、職員や教員の悪口(政策ではなく単なる感情論)くらいしかやることがないような人もおられますが、だんだん呆れられていくでしょう。
■社会党を見習い、3分裂?
わたしは、自民党は数年後に以下のようになると思います。
1.多くは新自由主義新党(みんなの党)へ合流?
旧日本社会党の議員は1996年衆院選直前、多くが民主党へ流れました。それと同じくらいの割合が流れ込むでしょう。主に、若手・中堅クラスで、みんなの党に勢いが出ればここに合流する。衆院第二党を結成する可能性もあります。
菅原琢・東大准教授は「みんなでみんなの党へ」と提案しておられますが、まさにそれと同じことが起きるかもしれません。
2009年総選挙分析(2)みんなの党の得票構造に見える自民党の未来(ザ・選挙)
http://www.senkyo.janjan.jp/senkyo_news/0909/0909260820/2.php
そうなると、民主党を中心とする政権に対して、新自由主義寄りから「みんなの党」が対抗します。それに対して、左から日本共産党が牽制。公明党がつかず離れず、という構造になるでしょう。
2.自民党に残留=「右の社民党」?
そうはいっても、いまさら自民党を捨てられない人も多い。一般有権者でも、高齢者を中心に、「何が何でも自民党」という人も一定数おられる、と選挙取材を通じて感じています。
日本社会党で1996年の衆院選以降も、民主党に行かずに社民党に残った議員や党員に相当します。土井たか子さんがその好例でしょう。村山富市さんも残り、1996年衆院選では小選挙区当選しました。
大物議員だと、少数政党でも議席をしばらくは維持するのではないでしょうか? たとえば社民党党首の土井たか子さんでも、少数政党に転落した1996年、2000年の衆院選でも小選挙区の議席を維持しています。辻元清美さん(ただし、彼女は日本社会党の経験はない)も2000年、2009年に小選挙区当選しています。
それに相当する現象が、自民党の大物でも起きるのではないか? 具体名を挙げれば、今回の大逆風でも生き残った安倍晋三さん、河村建夫さん、麻生太郎さん、小渕優子さん、小泉進次郎さんらは自民党が少数政党になっても名前だけでしばらくは小選挙区当選を果たしそうです。ただ、若手の小泉さんについては、みんなの党に行く可能性もあるでしょう。
3.「右の新社会党」を結成するグループ
極右政党を結成するグループもあるでしょう。日本社会党は1996年1月、社民党に改称しましたが、その直前に小森竜邦さん、栗原君子さんらが離党し、「新社会党」を結成しました。既に前年(1995年)には新党護憲リベラル(→平和・市民に改称)、さらにそこから「憲法みどり農の連帯」などが社会党から分かれていました。そして、「農の連帯」のメンバーらも新社会党に合流しています。
新社会党
http://www.sinsyakai.or.jp/
新社会党は、(賛否は別として)原理主義的な社会主義政党です。ですから、自民党の解体過程においても、「原理主義的な右派イデオロギー」を掲げる政党ができる可能性があります。
個人名をずばり挙げれば、平沼赳夫さん、稲田朋美さんあたりが核になる可能性がある。女性の稲田さんを党首にすえれば、比例区で一定の票を確保できる可能性はあります。
外国に目を転じても、2009年のノルウェー総選挙で、極右の進歩党が女性を党首にして(第一党にはならなかったが)ウケました。
ノルウェー総選挙女性議員39%でも「少ない」
http://www.news.janjan.jp/world/0909/0909170335/1.php
新社会党の場合、キャラが立つ人が失礼ながら余りいなかったが、「右の新社会党」なら結構「キャラが立つ人」は出てくるのではないでしょうか? この「右の新社会党」を西村修平さんの「主権回復をめざす会」、桜井誠さんらの「在特会」など「行動する保守」が、「右の中核派」ないし「右の第四インター」などととして支えることになるのではないか、と思われます。
◇記者の「ブログ」「ホームページ」など
広島瀬戸内新聞ニュース
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