投稿者 小沢内閣待望論 日時 2010 年 2 月 07 日 14:41:36: 4sIKljvd9SgGs
252 :無党派さん:2010/02/07(日) 14:27:35 ID:WTj9vRnS
「小沢疑惑を広めたから特捜部の捜査は価値がある」のか?
産経新聞社会部長の近藤豊和さんは、1面に「ほくそ笑むのはまだ早い」と題する長文の論考を掲げている
(これはネットでも読むことが出来る、、、と書き、リンクしようと思ったら、
いつの間にか、MSN産経の当該ページはリンク切れでした)。
前半から中盤まではともかく、私が異様に感じたのは、末尾部分である。
<……小沢氏の不起訴の観測が一気に拡大した2日夜。
小沢氏側関係者たちは早くも「勝利宣言」をあちこちでし始めていた。
この日昼、衆院本会議場で鈴木宗男衆院議員とほくそ笑む小沢氏の姿を報道各社のカメラがとらえていた。
「疑惑の山」への捜査は継続されるだろう。そして、国民の注視もやむことはない。ほくそ笑むのはまだ早い。>
読む人それぞれに読み方は違うのだろうけれど、
私はこの末尾の部分が「捜査当局と一緒になって小沢氏の疑惑を追及していく」という内容に読めてしまった。
どうして、捜査当局と一緒になって、あるいはそういう気持ちで、報道を続けるのか。
なぜ、もっと捜査当局と距離を置き、捜査自体も突き放しながら眺めることをしないのか、と思う。
なんというか、新聞も「正義」を振りかざしたがる存在ではあるけれども、
強大な国家権力と二人三脚で「正義」を唱えることの危険性は、戦前の新聞人の行動から十分学んだはずではないのか。
検察・警察という強大な権力と一緒になって、「悪者」を徹底的に叩く報道のパターンは昔からあるけれども、
和歌山カレー事件あたりから一層ひどくなってきたと思う。
松本サリン事件で生じた、報道各社による集団的大誤報の反省もなにもあったもではない。
犯罪が犯罪であることの証明は、裁判所のみにおいて決着する。
そして、当然ながら、捜査も間違うことがある。
それらの前提を吹っ飛ばして、「悪者」をつくっていっせいに叩くパターンに、
読者・国民は、いっそう疑問の目を投げかけているのだ。
http://news.livedoor.com/article/detail/4591704/
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