★阿修羅♪ > 昼休み33 > 862.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%B6%B4%E5%9F%BA%E6%88%90
大鶴基成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
大鶴 基成(おおつる もとなり、1955年3月3日[1] - )は日本の検察官。東京地検特捜部部長などを務めた。大分県佐伯市出身[1]。
目次
1 経歴
2 おもな担当事件
3 捜査手法
4 脚注
5 参考文献
6 関連項目
[編集] 経歴
実家の近くには名門の佐伯鶴城高校があるが、大鶴は鹿児島県にあるラ・サール中学校・高等学校に中学受験して進学した[1]。真面目に勉学に励むタイプだったという[2]。
大鶴は高校時代から検事になることを夢みていたという。1974年に発覚した田中金脈問題や1976年に発覚したロッキード事件の影響も大きかったとされる[2]。
東京大学法学部卒業後、1980年4月に念願の東京地検の検事に任官した[2]。しかし、その後は、1981年に福岡地検、1983年に大阪地検、1985年に釧路地検とそれほど恵まれたコースを歩んでいたとは言い難く、上司からも地方周りで終わるのではないかと危ぶまれていたという[3]。
そんな大鶴にも転機が訪れ、1992年4月、検事になった者なら誰でも憧れるという東京地検特捜部へ異動[3]。交通部長を経て、2005年春には特捜部長に就任した[4]。
その後、函館地検検事正、最高検察庁検事とキャリアを重ねている。
[編集] おもな担当事件
ゼネコン汚職事件
第一勧業銀行総会屋事件[5]
日歯連闇献金事件
ライブドア事件
[編集] 捜査手法
大鶴と一緒にゼネコン汚職事件で特捜検事として働いた元同僚は、「あらかじめ決められたストーリー[6]に沿って『こういう供述を取って来い』と命じられると必ずやり遂げる男だった」と証言している[7]。一方、大鶴の元上司だった高検検事長経験者は、自分の内面の弱さを隠すために権力を笠に着て取り調べ、事件を作ってしまうという大鶴の捜査手法を何度もたしなめたと証言している[1]。