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2010/01/24(日) 17:33:37 ID:AHxsfSLy
捜査の途中情報をじゃんじゃん紙面等で流した結果、例えば、菅家さんの事件や鹿児島の志布志事件
では、どういう報道が行われたか。そういうことをきちんと考えなくてはいけない。仮に「供述」が事実であ
ったとしても、その供述は取調官からの威圧や誘導などを受けた結果ではないかどうかを考えなければ
ならない。以前にも書いたが、捜査の途中経過情報を記事にして、結局、それが起訴状にも冒頭陳述に
も証拠採用された調書にも登場しなかった事例は、山のようにあるはずだ。しかし、どうしてそういう結果
になったのかという反省と検証は、日本の報道界では(完全に冤罪が確定した菅家さん事件のような一部
の例外を除き)ほとんど行われたことがない。そうした延長線上に、今回の問題もある。
読者からの少なくない疑問に対しても、「現場の苦労話」を回答とするのでは、本当に、何というか、なん
だかなあ、である。読者と取材者の、ここまでの乖離を見せつけられると、逆に、袋小路に入り込み、完全
に出口を見失った新聞の現状を改めて見せつけられたような気がしてしまい、溜め息の連続である。
どうも日本の報道機関は、とくに警察・司法当局とは二人三脚で歩みたがる。どうして、もっと距離を置け
ないのか、と思う。あらゆる取材対象の中で、捜査・司法当局に対する従順度はトップクラスではないか。
「あの先輩記者は警察幹部に情報をぶつけ、その顔色で記事を書けるかどうかを判断していた。すごい
記者だった」みたいな、牧歌的な風景や伝説に心酔している雰囲気は、今でもある。
http://newsnews.exblog.jp/13562517/