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1985年8月12日午後8時30分頃、JAL123便の墜落現場が特定されない時刻に既に、上野村山中にいた二人組が民間の捜索隊によって目撃されている記述が、菊地定則著『遺恨御巣鷹』にあるので、以下に引用します。
「上野村に入って……一服しようと、オートバイを停めて、木の株に腰掛けようとしたところ、どうも人の気配を感じます。おかしいと思って、先方を見透かすと、そこに人が立っています。二人、よくわかりません。懐中電灯の光の光度の具合からして、かなりの距離のように感じます。……歩いて進んでいると、別な方角から、『誰ですか』という問いがありました。『あれッこんなところにも人か』と思って、そちらを向いたら、谷の方からあがってくるやはり二人の人です。
『上野村の人ですか。これ以上はのぼれません』と小さな声で話しかけてきました。
『あなたたちはどなたですか。何をしているんですか。飛行機事故のようですが、この先の山ではありませんか』。一気にしゃべったが、返事はありません。
……『ニュースを見て、驚いて飛んで来ましたが、あなたたちは、何をしているのですか』。やっぱり、沈黙です。……やはり密命をおびた特殊部隊員と推定しました。と思った途端、その一人が草を掻き分け、ちょっと近寄って来て初めて声をかけました。 『地元の方ですか。もうこれ以上は進めません。お帰り下さい』。丁寧に言葉をかえしました。しかし、極めて威圧感を持つ言葉でした。これも彼の経験からして、特殊任務を持っている部隊だと確信しました。……ニュースを見て直ぐ飛び出してきたのですから、[1985年8月12日]20時30分頃か。気にかかることがたくさんありながら、帰途につきました」。