★阿修羅♪ > 昼休み33 > 493.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
2010/01/21(木) 15:12:24 ID:3s35zwf/
昼過ぎ、スタジオを出た筆者の元に検察庁担当の社会部記者から電話が入った。
「お前まずいぞ、(検察側の)実名を出しただろう。『調子に乗りやがって』と、検察は怒っていたぞ。心配
して言ってんだ。本当に、気をつけた方がいいぞ」
彼の話によると、本気でやろうと思えば、痴漢だろうが、交通違反だろうが、あらゆる手段を使ってでも、
狙われたら最後、捕ってくるというのだ。たとえば道を歩いていて、他人の敷地に間違えて足を踏み入れ
ただけで不法侵入の疑いで持っていかれるかもしれないということだった。
繰り返すが、小沢幹事長も公人であり権力であるが、検察も同じく公的機関であり国家権力なのだ。その
一方を大々的に実名で報じておいて、一方を隠し、守り通す。
記者クラブの持つその精神の方が、明らかにアンフェアだと筆者は思うのだが、日本の報道界ではそう
した意見は聞き入れられないようだ。
戦前の過ちから学ばない新聞ジャーナリズム
組織同士の共生関係は、外部からの攻撃に対して、強い耐性を持つ。単体では弱い組織体も、お互いの
弱点を補うことでより強固な権力構造に生まれ変わるのだ。
たとえば米国の「軍産複合体」もそうだ。軍部と産業が手を握ることで強力な権力構造を作り、お互いが
利権を補い、利権を享受している。
過去の日本もまた同様であった。戦前、軍部と新聞が共生関係にあったことで戦争の惨禍に国民を引き
摺り招いた。本来、権力をチェックすべき新聞ジャーナリズムが、権力に寄り添ったために起きた悲劇で
ある。
:2010/01/21(木) 15:14:02 ID:3s35zwf/
果たして、そうした教訓は活かせたのだろうか。現在の検察と記者クラブメディアの関係をみると悲観的
にならざるを得ない。本当に、新聞は戦前の過ちを反省しているのだろうか。
つまり、いまだ「大本営発表」は存在するのだ。
国が破れ、何百万人という日本人の尊い命を犠牲にした先の戦争の悲劇の責任はひとり軍部の独走だ
けに帰すべきではない。批判精神を忘れ、権力に寄り添ったメディアが一体となって不幸な戦争に突き
進んだ結果なのではないか。
報道は権力から独立しなくてはならない。
だが、日本では、今回の小沢金脈報道をみるように、再び同じ過ちを繰り返しているようだ。
捜査が順調な場合、検察は情報リークしない
石川裕知議員と小沢秘書ら3人が逮捕されると同時にまたもや供述内容がメディアに漏れ始めた。
〈「これ以上は小沢先生に相談しないと話せない」(中略)特捜部の聴取には涙ながらに、「親分」の承認
なしに真実を口にできないかのような供述をしていたという。〉(産経新聞)
果たしてこうした捜査情報はどこから出てくるのか。密室であるはずの取調室の会話が即時に新聞紙上
に踊るのだろうか。なぜ、検察からのリーク情報は止まないのか。
:2010/01/21(木) 15:14:53 ID:3s35zwf/
そもそも捜査が順調な場合には、検察は絶対に情報を洩らさない。筋のいい事案を追っているときは、
たとえば朝刊に「きょう○○を逮捕へ」という具合に、結果が出た段階で初めて世間に知らされる。
ということは、事前にメディアに捜査情報が漏れる場合は、捜査が芳しくない状況にあるか、あるいは
「死に筋」であったりする。つまり、リークによって局面を打開するためにメディアを利用するのだ。
この1年弱の小沢報道も同様の可能性が高い。贈収賄、斡旋収賄、脱税などの文字が躍り続けているが、
現時点では、元秘書と現職秘書の政治資金規正法違反にぎすない。
とりわけ石川議員の逮捕は、検察による立法府への挑戦と受け止めてもおかしくない内容である。
なぜなら、公職選挙法でもない事案で、しかも秘書時代の政治資金収支報告書の不記載という違反に
よって、現職の国会議員を逮捕するということは異常以外のなにものでもない。民主主義の根幹である
選挙を無視したものである。仮に逮捕するというのであるならば、百歩譲って、国会開会中、逮捕許諾
請求を取ってから行うべきではないか。
さらに、国権の最高機関である立法府の一員を逮捕したというのに、検察は何一つ説明を果たそうとして
いない。また、記者クラブメディアも説明を求めていない。
検察の暴走を報じない日本の新聞・テレビなどの記者クラブメディア。日本は再び、「大本営発表」が蔓延
る、あの戦前の暗黒時代に戻ろうとしているのではないだろうか。
http://diamond.jp/series/uesugi/10110/