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http://www.the-journal.jp/contents/takano/2009/12/post_190.html
サンプロが終わって何が残るのか?
テレビ朝日は25日、「サンデー・プロジェクト」を来年3月末で終了し、同枠で小宮悦子をキャスターとする新番組を開始すると発表した。
サンプロは89年4月にスタート。早々から天安門事件、竹下内閣退陣、参院選大敗で宇野内閣も退陣、ベルリンの壁崩壊、冷戦の終結......と地球を揺るがすような大事件が相次いでたちまち波に乗り、とりわけ93年の宮沢内閣瓦解=自民党単独政権の終焉あたりからは、まさに日本の政治を左右するかのような代表的政治討論番組に発展した。
司会の田原総一朗への好き嫌いはあるだろうが、そういうことを超えて、この番組が日曜日午前中のテレビ世界を1個の「文化空間」とする上で先導的な役割を果たしてきたことの功績は計り知れない。日曜日の朝に早起きして、フジTV「報道2001」から始まってちょっとだけTBS関口宏の「サンデー・モーニング」に寄ってからNHK「日曜討論」を経てサンプロを観る(だからゴルフは出来るだけ土曜日に)----というのは全国的な地方人士のライフスタイルにまでなっていた。
そうであれば、その文化空間をどう育むかという観点から、サンプロを止めた後にどんな発展的な企画を提起するかの責任がテレビ朝日にはあるはずだが、そんな考慮は何一つないまま、朝日新聞出身の君和田正夫会長(前社長)の「田原嫌い」ゆえの番組打ち切り指令に、初のテレビ朝日生え抜き社長の早河洋は唯々諾々と従った。
早川は、伝説的な大プロデューサー=小田久栄門の直下にあって、「ニュースステーション」や「朝まで生テレビ」やサンプロを作ってきた張本人で、その意味では田原の歴戦の同志である。が、今回彼が田原に対して語ったことは余りにも情けない、ただのサラリーマン社長としての保身の言葉でしかなかった。
「申し訳ない。サンプロを止めろと言っているのは君和田だ。私は君和田に引き立てられて社長になった立場上、何も言えない。黙って受け入れてくれ」
だと......。世も末ですよ。加えて早川は田原に、25日の発表を受けて今日のサンプロで「番組終了の挨拶をしてくれ」と要請した。が、田原は「最後まで全力投球でやりたいから」とそれを拒否した。17日のサンプロ忘年会でそのエピソードを披露した田原は「最後の番組ではテレビ朝日が吹っ飛ぶような企画をやろうと思っている」と宣言した。
君和田が田原を嫌うのは分からないでもない。09年4月の「朝まで生テレビ」で田原が、拉致問題の被害者である横田めぐみ、有本恵子について「外務省も生きていないことは分かっている」 と発言したことに対し、家族会から君和田社長(当時)宛てに激しい抗議があり、田原と君和田が深々と謝罪をしなければならなかったという一件があった。この田原発言は事実認識としては全く正しいのであるけれども、取材源や根拠を示せと言われれば困ってしまうような事柄であって、平謝りするしか仕方がなかった。この一件で君和田が酷い目に遭ったことがサンプロ終了の引き金となったことは想像に難くない。「こんな面倒は二度とご免だ」ということだろう。
サンプロ終了は、テレビ朝日のみならずテレビというメディアの衰弱の象徴と言える。
投稿者: 高野孟 日時: 2009年12月27日 09:03 | パーマリンク
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