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(Sakhalin memories: Japanese stranded by war in the USSR: BBC NEWS ASIA-PACIFIC)
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-pacific-14278362
2011年8月3日最終更新00:26 GMT
サハリンの記憶:戦争のためにソ連に取り残された日本人
記者:ダニエル・サンドフォード
BBCニュース、ユジノ−サハリンスク
「母は、子供たちを日本に返して、日本で生活させたいと、いつも言っていた」と、61歳のフリハト・フミコ氏は語る。彼女の家族は第二次大戦の終結時にソ連領内に取り残された。
フリハト氏は、現在、日本の都市・札幌に住んでいるが、父や母のことを語り出すと、決まって涙が溢れ出す。
彼女は人生の大部分をサハリン−日本が戦争の結果としてソ連に譲渡した、全長1000km(600マイル)の島−で過ごしてきた。サハリンの南半分は、1905年から1945年まで日本に属し、帝国の入植地として栄え、数十万人の日本人がこの地に根を下ろした。
フリハト氏の父はサハリンの灯台で働いていた。1945年8月、ソ連軍が侵攻したとき、父は仕事のために残らざるを得ず、家族は最後の船の出航に間に合わなかった。
「父は最初、完全なショック状態だった」と、フリハト氏は話す。話す間、彼女はむせび続けた。
「父は明らかに、日本をとても恋しがっていた。父はいつも日本語のラジオを聴いており、涙を流しているのが私には見えた。しかし、私は母に対して本当にすまなかったと感じている。母は8人の子どもを育て上げなければならず、ロシア語を学ぶ十分な時間さえなかった。」
1940年代末、ソ連がサハリンの支配を固める一方で、取り残された日本人市民の生活は困難を極めた。フリハト一家は古い兵舎の一室に住んだ。
日本政府は協定に基づき、取り残された市民の引き揚げ船を時折出したが、フリハト一家がその出航に気づかないことはよくあった。
あるとき、船の話がやっと家族に届いたが、子どもの一人が不都合にも脚を折り、旅立つことができなかった。フリハト氏の母親・ヨー氏は、家族全員が残るべきだと決めた。
「私が大人になってから、母はある時、家族が先祖の地に戻れず、サハリンで育たなければならなかったことを、本当に申し訳ないと話していた」と、フリハト氏は語る。
ソ連が崩壊した時、彼女は日本への帰還を果たした。彼女は現在、ウクライナ人の夫・2人の娘とともに、北海道の主要都市・札幌の小さな公営住宅に住んでいる。
北海道とサハリンは、最も近い場所で40kmしか離れていないが、自分が育った島に、彼女は一度も帰っていない。
明るい未来は閉ざされたのか?
日露関係において、サハリンが発火点となることはもうない。しかし、ほど近い千島列島のいくつかの島々をめぐる相互不信に満ちた紛争のために、両国はいまだに身動きがとれない。この紛争が、サハリンの未来にとって大きな足かせとなっている。
日本とサハリンを結ぶ交通はほとんどない−飛行機が週2便と、夏季限定のフェリーが週2便だけだ。この地域の貿易も限られたものだ−その大部分が日本向けのロシア産天然ガスと、古い船に高積みされてロシアに送られる日本の中古車だ。
宗谷海峡を横断する船旅の所要時間は−こざっぱりとした北海道の港町から、かつて栄えた漁船の船団が錆びた船体を浅瀬に浮かべる、荒れ果てたロシアの波止場まで−約5時間だ。
1905年から1945年まで、日本人が樺太と呼んだサハリンの南部に、日本は多額の投資を行った。日本は鉄道を敷き、パルプ・製紙の大工場などさまざまな工場を建設した。しかし、狭軌の線路を除いて、日本人がいたという証拠はそこにほとんど残っていない。島の主要都市・ユジノ−サハリンスクに残る目立った日本建築は、地域の博物館だけだ。
ユジノ−サハリンスクは人口18万人を擁する、サハリン最大の都市だ。モスクワから飛行機で8時間の、典型的なソビエトの都市で、何本かの広い通りと、閉所恐怖症になりそうなアパートが詰め込まれたように立ち並ぶ、数百もの住宅区画がある。そこのインフラは貧相で、沖合にガスが豊富にあるような気配はほとんどない。
その都市は完璧にロシア風だが、湿気がちな太平洋の気候と、青々としたサハリンの樹木の葉はアジアに似たものを感じさせる。都市を出ると、サハリンは灰色の雲の下に原生林が広がる。夏は、河川は産卵に帰る鮭で一杯だ。
第二次大戦の終結があと数週間早ければ、ユジノ−サハリンスクはいまごろ、光溢れるざわめいた日本の都会になっていた可能性は十分にある。サハリン南部も、近代的な鉄道や道路が縦横に走っていただろう。
日本の再登場
そのような発展が決して起こらないにしても、この島での日本人の物語は続いている。日本帝国陸軍が撤退した時に置き去りにされた日本人の一部は、まだサハリンで生活している。
67歳のイリーナ・コン氏は、ユジノ−サハリンスクの日本レストラン「フルサト」の店長だ。サハリンで再開し始めた、新たな日本資本によるビジネスの一つだ。
彼女の母は1930年代にサハリンに渡り、ある韓国人と結婚した。戦争が終結した時、夫は日本への入国が認められず、夫婦は現地に留まりソ連の市民権を得た。
サハリンなら夫は安全だと夫婦は思っていたが、それは間違いだった。1946年、夫は拘留されてシベリアの収容所送りとなり、1953年に釈放されるまでそこにいた。
コン氏はその時のことを、生々しく覚えている。「学校では本当に辛かった。母が日本人で、父が政治犯だったから。」
母の叔父が遠路日本から来て、家族を家に呼ぼうとした。しかし、母はサハリンを離れるのを断った。夫がまだシベリアで囚われの身だったからだ。
「母はある時、父を監獄に置いたままサハリンを離れていたら、私たちの生活は全く違っていただろうと、私に言った。3人の子どもを養いながら、母は本当に苦労して生き続けた」と、コン氏は語った。
コン氏は今まで、自分の物語を話すことはなかった。
「家族についてのこうした秘密を話そうと、考えたことはなかった。私は怖かった。生まれてからずっと、私はただただ怖かったのだ。」
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(Memories of Russia's Sakhalin Island: BBC NEWS WORLD)
http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-14383923
ロシア・サハリン島の記憶
2011年8月3日最終更新06:42 GMT
http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-14383923
(上のリンクをクリックすれば、フラッシュプレーヤーによる動画記事をご覧になれます。)
日本が極東ロシア・サハリン島で採掘される、ロシア産のガスへの依存を強めるにつれて、日露経済は相互の関係を深めつつある。
サハリン南部は戦前の日本帝国にとって重要な地域であり、多くの悲しみと損失の物語がそこにある。それを、BBCのダニエル・サンドフォードが報告する。
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(投稿者より)
モスクワ駐在のBBC記者による、サハリンのレポートです。誤訳があるかもしれません。ご容赦下さい。
ユジノ−サハリンスクは、かつては豊原(とよはら)と呼ばれ、樺太庁が置かれた都市です。樺太は1943年に内地に編入されていますので、豊原は県庁所在地ということになります。
動画記事の一部に、札幌と豊原の描写があります。それぞれの通りをそれぞれの車が走る。それだけの、それぞれたった数秒のカットですが、二つの都市が迎えた運命の決定的な違いを、象徴的に示しています。
南樺太が日本に留まっていれば、あるいは、日本人の引き揚げがもっとうまく進んでいれば、取材を受けた方々の人生は別のものになっていたかもしれません。その一方で、記者は日本の存在によって、サハリンが再び繁栄を取り戻す可能性を見いだそうとしていますが、現状確認という以上の成果は得られなかったように、私には見えました。
国境は本来、交易で繁栄するものです。そうなっていないのは、何かが間違っているのでしょう。
上の記事で記者が言及した、中古車とガスの貿易について、動画記事がありますので、下に付しておきます。
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(Russians buy used cars from Japan again: BBC NEWS BUSINESS)
http://www.bbc.co.uk/news/business-14229270
ロシア人は日本から再び中古車を買う
http://www.bbc.co.uk/news/business-14229270
(上のリンクをクリックすれば、フラッシュプレーヤーによる動画記事をご覧になれます。)
2011年7月21日最終更新 03:50 GMT
日本の中古車を、隣接するサハリン島のロシア人に売る貿易が、再び活発になりつつある。
これは、北日本の小樽港で働く労働者には吉報だ。
しかし、この貿易について、ロシア市場ではちょっとした困った問題が存在する。それを、BBCのダニエル・サンドフォードが説明する。
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(Russian gas exports help keep Japan's lights on: BBC NEWS BUSINESS)
http://www.bbc.co.uk/news/business-14244840
日本が明かりが消えないよう、ロシアのガス輸出が助ける
http://www.bbc.co.uk/news/business-14244840
(上のリンクをクリックすれば、フラッシュプレーヤーによる動画記事をご覧になれます。)
2011年7月22日最終更新00:34 GMT
福島原発の大事故のために、日本は発電能力の大幅な不足に直面している。
しかし、ロシアのガス輸出業者が、その解決を買って出た。
BBCのダニエル・サンドフォードが、ロシア・サハリン島から報告する。
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