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欧州諸国はイギリス的な暴動の危険を持っている・・The Voice of Russia 
http://www.asyura2.com/10/kokusai5/msg/830.html
投稿者 稲垣勘尚 日時 2011 年 8 月 11 日 10:28:56: Je/tdYZdw47GA
 

http://japanese.ruvr.ru/2011/08/10/54467012.html

ロシア議会上院、連邦会議国際問題委員会、ミハイル・マルゲロフ委員長は、インターファックス通信に対し、イギリス各地で発生しているような暴動の危険性はほかのヨーロッパ各国でも繰り返される恐れがあるとの見解を明らかにした。
イギリスでの事件の主な原因としてマルゲロフ委員長は、多文化共存政策の失敗にあると見ており、これより先、ドイツ、フランス、イギリス各国の首脳がそのような政策が失敗したことをすでに指摘していたことを挙げている。
マルゲロフ委員長は、多文化共存と寛容の価値観は、ヨーロッパ人にとっても、移民達にとっても受け入れられないものだと指摘しており、移民達はヨーロッパ的価値観を認めず、尊重していないと語っている。
イギリスではロンドンを始め各都市で、警官と暴徒らとの衝突が続いている。警察側の資料によれば、最近4日間だけで、770名が拘束されたという。

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★ ロンドンは燃えさかり、トリポリは静穏に
http://rockway.blog.shinobi.jp/

ロンドンの大騒乱状態にイギリス警察も取り締まり強化を図っているようだが、リビアでイギリスがしたように、今度はイギリスで起きた「反乱」にリビアが武器の支援でもしたら、どうか? と指摘することで、欧米とくにフランス、イギリスなどのリビア戦争の急先鋒諸国に対する、対リビア姿勢の欺瞞性を明らかにしている記事が以下である。

既にこのブログでは、「彼らの足元から始まる(7月5日号「フランスは反カダフィ派に武器供与」)、と正に今回の事態がおきることを予想していたことを指摘しておく。もっともフランスではなくもう一方のリビア攻撃主要国のイギリスからだったが。自分達が行う事がやがては反射して自らに戻ってくるのがこの世界の原則である。そして今や時間の進み方が加速しているから、反射して返ってくるのにあまり時間を要しなくなっているので、すぐ結果が出るようになってきているのだ。

従ってこの分では、フランスで似たような事態が生じるのにもあまり時間は掛からないのではないだろうか?そしてサルコジ大統領の終焉は無残な結果となるだろう。

またリビアでは反乱組の指導者の将軍が殺害されたのも、反乱組そのものが雑多なグループに分かれていて、300億ドルのリビア凍結資産を誰が獲得するか、という点で仲たがいする可能性があったからだ。既にこのブログではそのような事情を示していた(7月5日号「フランスは反カダフィ派に武器供与」。

昨日のブログで指摘したように、最近の「アラブの春」は「中東の春」となり、やがては「ヨーロッパの春」、「アメリカの春」、「中国の春」、へと続いていく。ロンドンの通りで起きたことは今度はフランスのシャンゼリゼで、アメリカのタイムズ・スクウェアで、中国の天安門広場で起き出すのが遠い未来の話ではなくなるだろう。

(実際今月13日には、アメリカはハーレムでリビア戦争反対の100万人大行進が計画されている・・・これが今回のアメリカの経済・金融崩壊と相まってどんなデモに変化するか、場合によっては今回のロンドンのような事態が早くもニューヨークでも出来(しゅったい)する可能性があると指摘しておく)

 

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コメント
 
01. 2011年8月17日 21:43:39: 8sabVgpDK6
フランスは2005年、社会を揺るがす移民暴動が起こり、その鎮圧に半月以上を要した。西欧諸国は1960年代、奇跡の経済成長を謳歌し、耐久消費財の売れ行きは年々、倍々ゲームのごとく驚異的な伸びを示した。家電製品、自動車のメーカーは生産能力の不足に悩み、巨大投資を行ない、次々と最新鋭の工場を建設した。従業員の不足に悩んだメーカーの要望にこたえ、各国政府は大規模な移民を受け入れた。彼らは北アフリカやトルコなどのイスラム系であった。1980年代末の日本のバブル経済と同じ構図である。奇跡の経済成長は1973年秋の第一次石油危機で吹っ飛び、西欧諸国は未曾有の大不況に突入した。

これにより西欧諸国は、一挙に過剰な労働力を抱えることとなった。各国政府はイスラム系移民の受け入れを停止したが、大幅に増えたイスラム移民は、各国で無視できない勢力となった。彼らは言語が違うことから教育の程度も低く、貧困にあえぐこととなった。満足な職業にも就けないことから、略奪やレイプなど、犯罪の温床となり、西欧諸国は1960年代の負の遺産に苦しむことになる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/2005%E5%B9%B4%E3%83%91%E3%83%AA%E9%83%8A%E5%A4%96%E6%9A%B4%E5%8B%95%E4%BA%8B%E4%BB%B6

2005年のフランス暴動事件も、うっ積していたイスラム移民の貧しさから来る、社会への不満が爆発したものだと言える。これに油を注いだのが現在の大統領であるサルコジ。彼はイスラム移民を「社会のくず」呼ばわりして、これが暴動の激化に火をつけたのである。この発言が、治安を悪くしているのはイスラム系移民だとするフランス人の共感を得て、逆に大統領に就任する原動力になったのは皮肉だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%82%B8

サルコジは偽ユダヤ人と言われる、アシュケナジー・ユダヤ人である。福祉を重視する伝統的なフランス的価値観を持たず、新自由主義的でユダヤ資本にてこ入れしている。あのリビアへの戦争に積極的に参戦しているところに現れている。世界一品質がよく、欧州に近いリビアの油田を手中にしようと、国際金融支配勢力の意向に従い、戦争に加担した。しかし、これはアルジェリア戦争を終結させた、あのドゴール大統領と全く違う政治手法だ。

フランスは1944年6月のノルマンディー上陸作戦で連合軍が反撃に転じた後、同年8月のパリ解放でロンドンに亡命していたドゴール将軍が凱旋。フランス臨時政府が樹立され、戦後の再建に乗り出すはずであった。ところが植民地だったインドシナが独立を宣言し、ホーチミン率いるベトミンと泥沼の戦争に突入した。第一次インドシナ戦争は1946年から8年も続き、フランスは敗北して撤退した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%B7%E3%83%8A%E6%88%A6%E4%BA%89

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

続いてイギリスと共同所有していたスエズ運河を、エジプトが国有化宣言したため、これの奪還を狙ってイスラエルを含む3国で起こしたのが、1956年のスエズ動乱。エジプトは1952年にナセル率いる自由将校団がクーデターを起こし、親英のファルーク一世を追放した。これがエジプト革命である。当初はイギリス・フランス・イスラエル連合軍が優勢で、勝利も目前と思われていた。しかしアメリカのアイゼンハワー大統領が戦争に反対し、国連が停戦に乗り出したためエジプトの勝利に終わり、フランスはスエズ運河を失った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%AD%E6%9D%B1%E6%88%A6%E4%BA%89

フランスは北アフリカ一帯に広大な植民地を有し、フランス領サハラと呼ばれていたが、この植民地でも独立戦争が開始された。1954年11月に始まったアルジェリア独立戦争は、現地にフランス系住民が多いことから簡単に独立を認めることはできず、泥沼化していった。コティ大統領の下でアルジェリア独立問題は行き詰まり、弱腰の政府に業を煮やしたアルジェリア駐留軍は1958年3月、引退していたド・ゴール将軍の政界復帰を要求してクーデターを起こした。アルジェ駐屯落下傘部隊はコルシカ島を占領し、フランスは内戦の瀬戸際まで追い込まれた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E5%85%B1%E5%92%8C%E6%94%BF

パリのフランス軍中枢部にも決起部隊に呼応する動きが表面化したことから、コティ大統領はド・ゴール退役将軍に政界復帰を要請した。首相になった彼は新憲法を立案し、国民投票を行ない、1959年1月、フランス第五共和政が成立。、ド・ゴール首相は初代大統領に就任した。彼の巧みな経済政策でフランスは一転して高度経済成長を遂げ、後世から「奇蹟の15年」と呼ばれる時代を迎えることとなる。彼は沈滞ムードの社会風潮を打ち破るべく、通貨単位を変更するデノミを断行。1960年1月1日を持って旧100フランが新1フランになった。これにより物価は大幅に上昇したが、同時に各企業も空前の増益を記録した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%86%E3%82%A3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB

ドゴール大統領は民族自決の流れを理解しており、これまでのフランスの政治家と異なり、植民地の独立を認めたのである。これにより1960年にフランス領サハラは多くの国に分かれて独立し、アフリカの年と呼ばれた。アルジェリアは2年遅れて1962年に独立したが、石油を産するアルジェリアの独立を認めたことで、ドゴール退役将軍を担ぎ出した支配階級は、裏切られたと考え、ドゴール大統領を狙った暗殺事件が頻発。未遂も含めると31回も起こったとされる。しかし彼は暗殺されなかった。彼の乗っていたシトロエンDSは20世紀の名車を選ぶコンテスト、「カー・オブ・ザ・センチュリー」でベスト5に入った自動車である。当時、20年先の車と呼ばれ、驚異的な先進性を誇っていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%BBDS
http://fr.wikipedia.org/wiki/Citro%C3%ABn_DS

この歴史的なフランスの名車は、飛行機のパイオニアと呼ばれるガブリエル・ヴォワザン氏の愛弟子であるアンドレ・ルフェーブル氏によって開発された。彼は不世出の天才であり、当方は日本で唯一、この師弟の伝記をネット上に公開した事がある。当方はシトロエンの研究家であり、毎週どこかの掲示板で投稿しているので、興味のある向きは検索して欲しい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%82%A2%E3%82%B6%E3%83%B3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB

さて話をサルコジに戻すが、ドゴール大統領がなくなってからも、彼の側近として支えたポンピドー大統領は彼の方針を踏襲し、ドゴール主義の後継者となった。しかし彼は原子力政策を推進したことで天罰を受け、1974年4月に死去。これと同時に1960年代の巨額の投資で膨大な債務を抱えたシトロエンが倒産。戦後フランスの危機が訪れた。シトロエンは当時のシラク内相が東奔西走してプジョーが経営統合することとなって一服ついたが、これが自動車技術の進歩に役立たなかったことは言うまでもなく、自動車技術のリードはドイツ勢と新興の日本勢に奪われてしまった。(この内容は、当方の掲示板には書いていない。フランスに不利な内容は書かない方針なので)

ドゴールの弟子のシラク大統領は親日家で知られ、アメリカの起こしたイラク戦争に反対するなど師匠譲りのところを見せたが、今のサルコジは第五共和制の中で最低の大統領だと断言できるアホさを露呈している。全く、こいつはどうにもならない。フランスはドゴールの財産を失ったばかりでなく、カダフィ政権をも敵に回してしまった。この外交的失策は、いずれサルコジの失脚として現れるだろう。フランス国民よ、もうサルコジは駄目だ。国を滅ぼす。こいつを早く失脚させよ。大の親友として進言する。


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