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日本もブータン化しているな
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日経ビジネス オンライントップ>アジア・国際>ブータン公務員だより
キレるブータン人に驚いてはいけない
「いつも自信満々」彼ら、彼女らの感情の扱い方は
2011年7月28日 木曜日
御手洗 瑞子
ある時、ソナムというブータン人の友人と車に乗っていました。彼は、もともとブータンの財務省におり、今はブータンのスポーツ振興委員会に委員長として出向しています。日本の国立大学院に留学して政治学を学んでいたことがあり、日本についても詳しいです。
そんな彼と、「日本人とブータン人、見た目も雰囲気も似ているけれど、どこが一番違うと思うか」について話していた時のこと。
祭り見物に来ていた子ども
路地で走り回っていたガキ大将風の小学生。カメラを向けるとポーズ
彼は、笑いながら言いました。「ブータン人は、いつも自信満々なんだよね」
なるほど。たしかに、それはある気がします。
ブータンでは、小さな子どもから、おじいちゃんに至るまで、実に堂々としています。自信に満ち溢れ、物おじせず、しっかりと相手の目を見据えて話す。
例えば私は、ブータンで人見知りをする子どもをほとんど見たことがありません。「こんにちは」と声をかけると、こちらを振り向き、きちんと目を合わせて「こんにちは」と返してくれる。カメラを向けると、恥ずかしがることもなく、堂々とカメラの方を向く。
「自信満々」なのは子どもだけではありません。
ブータンで会議に出ていると、唖然とすることがよくあります。
ブータンの人たちは、いつも堂々として、きりっとした雰囲気を漂わせながら会議に出ています。しっかりと背筋を伸ばし、キラキラした目で席に着く。それは、偉い人から新人まで、ほとんど変わりません。しかし、いざ会議の内容になると――。
まだブータンに来たばかりの頃、こんなことがありました。
キリッとした表情で言い訳
ある会議の最中、議長がみんなに向かって聞きました。「この取り組みは先週までにできているはずだったと思いますが、どうなっていますか。進捗あります か」。するとその取り組みの担当者が、姿勢を正し、キリッとしたままこう答えました。「いえ、特に何も進んでおりません」
(えっ。何も進んでないの…)
少し呆然としてしまった私に構わず、彼はその爽やかさを崩さぬまま、立て板に水のように言いました。「先週、先々週と○○や△△などで忙しく、全くそれ どころではありませんでした。加えて私自身も体調があまりよくなかったもので、無理もできず、先週はやりませんでした。今週やろうと思います」。そしてま たキリッとした表情で議長を見つめ返しました。
(いや、そこ、キリッとするところではないのでは…)
議長は黙ってその話を聞き、そして言いました。「分かった。しかし、みんなで合意した期限は先週だったんだ。これが進まないとほかの人にも迷惑がかか る。次からはしっかり期限は守るように。またこれに関しては今週中にやっておくように」。一応、期限は守るようにと「建前上」言った、というような雰囲気 です。担当者は「承知しました!」。また爽やかに返事をし、その場は終わりました。
会議後、彼と一緒に会議室を出る時も、彼は相も変わらず堂々としていてジェントルマン。ドアを開け、「お先にどうぞ」とにっこり。そしてカジュアルに「どう? 最近仕事は忙しい? あんまり無理しないようにね!」とポンと肩をたたき、爽やかに去って行きました。
その心遣いはうれしいものの、彼の仕事が進んでいないので、私も含め周りがけっこう大変なのです。やるべきことができてなかったことに関して、もう少し 負い目を感じたり、怒られたことに関してへこんだり、反省して「次こそは!」と思ったり、しないのだろうか…。そう思わずにはいられませんでした。
しかし、ブータンでしばらく働くうち、「ブータンの人は、ミスをしたりやるべきことをやってなかったりしても、あまりへこんだり反省したりしないものな んだ」と気づくようになりました。(そして同時に、会議の場でキリッとしているからといって、仕事ができる人とは限らないのだ、ということも学びました)
失敗を「仕方がない」と割り切る文化
なぜブータンの人はいつも自信満々にしているのでしょうか。そして、失敗してもへこまないのでしょうか。
1つの理由は、ブータンの人の「割り切り力」であるように思います。
ブータンで仕事をして暮らしていると、そもそもブータンの人々は「人間の力では(または自分の力では)がんばってみてもどうにもできない」と思っている範囲が日本人よりずっと大きいのではないか、と感じます(参照『「この人は、もうすぐ死ぬんだし」えっ!』)。
自然の力、という意味だけではなく、運や縁、運命なども含めて、「まぁ、なるようになるよ」というスタンスが強いように感じます。
「がんばってもどうにもできない」と思っている範囲が私たち日本人より広いため、何か失敗をしてしまった時、やるべきことができなかった時、ブータンの人は自分を責めるのではなく、「まぁ、仕方なかった」と割り切ることが多いように思います。
もう1つ、ブータンの人が、物怖じせず、どんな時も堂々としていられる背景と思われることがあります。それは、ブータンでは失敗や間違えは「許されるもの」であることです。
例えば、約束したことができなかった時。ブータンでは、あまり謝りません。「こうこう、こういう事情で、できなかったよ〜」とだけ言い、聞いた方も「そうか、じゃあ仕方がないね」で済ませます。
「約束したんだからきちんとやってよ!」などと相手を責めたりすると、むしろ、人を許すことができない徳の低い人、と見なされる傾向すらある気がしま す。このため、約束が守られなくても、失敗があっても、ミスがあっても、相手を責めることはあまりない。お互いに、受け入れ合うのです。
このため、約束した方も気が楽なもので、「できたらやる」ぐらいにしか思っておらず、あまり気負ったりプレッシャーに感じたりしません。そして、できなくても、あまり慌てたり謝ったりしません。
失敗は許される、「許す」のが徳
もちろんこの文化にも、良い面と悪い面があるように思います。
まず良い面。どんな時にもお互いに許し合い受け入れ合うことで、過度なプレッシャーが発生せず、気楽にしていられるように思います。うまくできなかった らどうしよう…、とか、自分はダメなのではないか…、といった不安や焦燥感も生まれにくい。これは、ブータンの人がいつも堂々としていることにもつながっ ているかと思います。
次に悪い面。失敗しても反省して学ぶことをあまりしないため、同じ失敗を何度も繰り返します。また、何ごとも「確定させる」のが難しく、「予定」や「計 画」が立てにくい。「あいつに頼んだけど…、まぁどうなるかわからないなぁ」とか、「今年の夏までに、あの地域に空港ができるって航空管理局が言っている けど、実際はいつになるだろうねぇ」など、常にみんな不確定の中を生きている感じです。
これは、ブータンの社会だけで完結しているうちは、みんなが了承している社会の前提のようなものなので特に「悪いこと」でもないのですが、外の世界と交流した時に摩擦を生むように思います。
例えば、「今年、××に空港ができてブータンも国内航空線ができるって発表があったから、大型ツアーを組もうと既に色々手配しちゃったけど、空港なんてまだ基礎工事してるじゃないか! どうなってるんだ!」と海外の大手旅行会社からクレームが入る、など日常茶飯事です。
内心「いや、あの…、そもそもブータンで物事が予定通りに進むことはまずないので…。あまり情報は当てにしないでください…」と思いつつも、もちろん平謝りです。
約束守らず怒られると、びっくり
また、観光客との間で摩擦が起きることもあります。
例えば、朝の集合時間が9時と言われたのでロビーで待っているのに、その時間を言ったガイド自身が来ない。30分後に何食わぬ顔でやってきて、特に謝るでもなく、さわやかに「さぁ、出発しますかぁ!」とみんなに声をかける。
そんなガイドの態度に違和感を抱きつつ見過ごしてくださるお客様もいらっしゃいますが、もちろん、お叱りになる方もおられます。それでも、こうしたガイ ドの場合、怒られても、キョトンとしたり、「すみません。でもフェイスブックをしていたら友達にチャットで話しかけられたので…」と言い訳にならない言い 訳をしたり、きちんとお叱りを正面から受け止められないケースも多いのです。
これは彼らが、本質的には、自分がなぜ怒られているのか分からないためだろうと思います。ブータン人同士ではそれでいいかもしれないけれど、外の世界で は約束を守ることがもっと大切なんだ、と分かっていない。さらには、「約束を守れずに怒られる」ということ自体に、びっくりしてしまう。
もちろん、こうしたことがあれば旅行会社がガイドを指導しますし、そもそもこうしたことが起こらないよう、ブータンの観光産業全体としてガイドの教育なども強化していこうとしています。しかし、文化の違いによる摩擦を完全になくすのは、なかなか難しいものでもあります。
ブータン人にストレスをかけてはいけない
「ブータン人に、一定以上のストレスをかけてはいけない」
これは、ブータンで働いている外国人の間で、半ば常識になっていることです。自分自身の経験からこれを知っている人もいるでしょうし、職場の先輩同僚などから教わった人もいるでしょう。
私の場合、ブータンに来てまだ2か月ばかりの頃、ある外資系ホテルのブータン人マネジャーに教えてもらいました。彼は、外資系ホテルに勤め、海外で研修 を受け、帰国後は外国人の上司を持ちながらブータン人の部下と働いています。このため彼は、ブータン人でありながらブータン人の働き方を客観的に見る目線 も持っています。私にとって良きアドバイザーです。
ホテルのラウンジでお茶を飲みながら、彼は言いました。
――ブータンの人はねぇ、やりたいようにやらせておくうちは、本当にスイートな人たちなんだ。善意の人たちで、人に喜んでもらえることが好きだしね。だ けど、ブータンの人はすぐに「まぁ、このぐらいで大丈夫だろう」と高をくくってしまう。だいたい、ブータン人の「大丈夫」って、周りから見るとそうじゃな いんだよね。
ガイドがちゃんとお客様をお迎えに行っているか、客室の備品はすべて整っているか、ディナーのテーブルはきちんとセットされているか…。現場のスタッフが、自信満々に「万事OKです!」と言っても、大抵何かができてない。
でもブータン人はプライドが高いから、上から指図されるのは嫌いなんだ。それに、失敗しても反省しないから、何度でも同じ間違いをしてしまう。
例えばガイドの遅刻1つ取っても、頭ごなしに怒らないようにしている。きちんと丁寧にフィードバックしなくてはいけない。すると、ブータン人は「分かりました」とにこにこ聞く。でも、5回も10回も遅刻が続いたら、さすがに怒らなくちゃいけない時もある。
でも強く怒ると、どうなると思う?
ブータンの人は、逆ギレしちゃうんだ。自分がやることに関して、強く注意されたり怒られたりしたことなんて、ほとんどない人たちだから――。
そして、彼はこんな例を教えてくれました。
あるレストランに、アメリカ人のシェフが指導に来ていた時のこと。ブータン人の見習いコックは、野菜の下ごしらえなど基本的なことでよくミスをした。指導に来ていたシェフは穏やかな人だったので、いつも丁寧に教えてくれていた。
しかし、ある時、お客様がたくさん入って忙しい時に、また見習いコックが注意不足からミスをした。さすがにアメリカ人シェフも「何度言ったら分かるん だ!」と怒鳴ってしまった。見習いコックは驚き、しばらく下を向いて肩を震わせていたかと思うと、突然、右手で持っていた包丁で自分の左手を刺してしまっ た。
本人ではない誰かの話として伝える
これは極端な例かもしれません。しかし、あまりに何度も同じミスを繰り返すので叱ったところ、普段は穏やかなブータン人が逆ギレして、暴力まで振るって しまったという話は珍しくありません。さすがに政府の庁舎内で暴力沙汰はありませんが、ものすごい剣幕で怒っている人を見ることはたまにあります。
穏やかで優しいブータンの人も、失敗を責められたり怒られたりすると、慣れていないため突然キレてしまう。外国人である私たちが見ると、「え、そんなところでキレてしまうの?」「それは怒られても仕方ないのでは?」と思うことが多いのです。
だから、ブータンで働く外国人の間では、「ブータン人に、一定以上のストレスをかけてはいけない」が半ば常識になっているのです。
もともと、プライドが高く、血気盛んでもあるブータン人です。ブータン人同士でも、飲み屋などで「メンツをつぶされたこと」が理由でケンカが始まり、暴力沙汰に発展してしまうこともあります。
では、ブータンの人に言動を改めてもらいたい時は、どうすればいいのか。
1つのコツは、それを「本人ではない誰かの話として伝える」ことだと思います。
例えば「私は昔、こういう失敗をしてしまったことがあって、ずいぶん人に迷惑をかけた。それ以来、気をつけるようにしているんだよね」と自分のことのよ うに話す。あるいは、「最近、こういうことをする人がいるらしいけど、よくないよね。私たちは気をつけようね」と他人事のように話す。
そうすると、ブータンの人は「うんうん、それはよくないね」と聞き、その失敗をしないように気をつけてくれるようになります。
これも、ホテルのマネジャーをしているブータン人の友人に聞き、とても役に立ったアドバイスでした。
よく笑い、よく怒る
日本では、ブータンは「幸せの国」と知られていることもあってか、「ブータンの人はいつもにこにこしていて、穏やかで、決して怒らない」というイメージがあるように思います。
でも、そんなことはありません。ブータンの人は、喜怒哀楽を、とても素直に、しっかり表現します。そしてよく笑い、よく怒ります。ブータンの人は、逆ギレ以外にも、実はよく怒るのです。
目の前の、顔の見える相手の失敗については受け入れる文化であるものの、その場にいない人や、自分が直接知らない人のことについては、「あれは本当におかしいよね!」とよくプリプリと怒っています。
(陰で怒るくらいなら、直接言えばいいのに…、と思うのですが、当人を前にすると何だか許せる気分になってしまうようです)
大きな身ぶり手ぶりで正論を振りかざして絵に描いたようにプンスカと怒り、しばらくするとけろっと忘れて笑っている。ブータンの人にはそういうところがあります。
ある日、私が仕事をしていると、女性の同僚が私の席の隣に椅子を持ってきて座り、「ちょっと聞いてよ〜!」と一方的に話し始めました。彼女はしょっちゅう怒っているので「またかぁ」と思い、半分聞き流しながらうんうんと聞くことにしました。
あまりに見事な怒りっぷりなので、途中から彼女が何だか微笑ましく思えてきました。そして、つい笑いながら、こう言いました。
「ねえ、知ってる? 日本の人たちはさ、幸せの国に住むブータンの人たちは、聖人のように穏やかでにこにこしていて、決して怒らない人たちだと思っているんだよ」
すると彼女は、一瞬驚いた顔をした後、爆笑して「あはははは〜、そんな人いるわけないよ! 人間なんだから、笑ったり怒ったりするのは当然でしょ〜!」と言いました。そして、とても楽しそうに笑いながら去って行ったのでした。
人間らしく、誇り高く
許し合い、認め合うことで、いつも堂々と自信を保っていられるブータン人(そのおかげで、なかなか失敗が直らなかったりもするのですが)。
プライドが高く、お互いのメンツを大切にするブータン人(そのおかげで、プライドが傷つけられた! と思ってキレてしまったりもするのですが)。
よく笑い、よく怒り、ストレスをためないブータン人(そのおかげで、時に派手な喧嘩もしているのですが)。
こうしたブータンの人々の感情の扱い方は、ブータンの人が、いつもすっきりとした顔をし、人間らしく、誇り高く生きていることの秘訣になっている気がします。
ただし、小国であるブータンは、生き残っていくために国際社会との交流を今後、深めていくことが避けられません。その中で、こうした「ローカルルール」とも言える彼らの感情の扱い方は、相手にうまく理解されず、誤解や摩擦を生むこともあります。
いつでもどこでも「俺流」でコミュニケーションを取ると、時に摩擦を生んでしまう。一方で、何でもグローバル化してしまうと、自分たちのよさを失いかね ない。何をグローバル化し、何を「俺流」のローカルルールとして残しておくべきなのか。どこでバランスさせるべきなのか――。
これは、私が仕事をしている中で常に考えさせられていることでもあります。
そう、バランスだね、難しいね
先のブータン人のホテルマネジャーの友人とは、よくお酒を飲んで仕事の話をしたりしています。ある日、そのホテルのラウンジでレッドパンダというブータン産の地ビールを飲みながら、彼はこんなことを言いました。
「ブータン人ガイドへのお客様からのクレームって、やっぱりまだまだある。ちゃんとエスコートできてないとか、気が利かない、などの指摘が多い。お客様 の足が泥沼にはまってしまった時『大丈夫ですか!』と心配するのではなくて、ケラケラ笑っていた、とかね(苦笑)。産業として、やっぱりトレーニングを強 化していかないとね」
それに対して、私はこう応えました。
「うん。でも、ブータン人らしさがよかったっていうお客様もいるよね。言葉遣いや態度は粗野なんだけど、古くからの友人のように心温かく接してくれてい るのが分かる、とか。ガイドが自分の実家に連れて行って大家族全員を紹介してくれてうれしかった、とか。どこの国でもあるエレガントなエスコートだけが目 指すべきものではないかもしれないよね」
「そう、そうなんだよね」「バランス、かな」「うん、バランス。難しいね」
こんな話題で今日も夜が更けていきます。
ブータン公務員だより
ブータンを「夢の国」として扱うわけでもなく、また「幸せの国と言っているけれど、こんなに課題があるではないか!」とあら探しをするわけでもない。「多 くの課題を抱えながら、『国民の幸せ』を最大化することを目指すブータン政府の国づくりの知恵」「いやなことだってあるけれど、『結局は、幸せだよね』と 言ってしまうブータンの人々の幸せ上手に生きる知恵」を紹介する
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御手洗 瑞子(みたらい・たまこ)
ブータン政府 Gross National Happiness Commission (GNHC)首相フェロー東京生まれ。マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、2010年9月より現職。ブログは「ブータンてきとう日記」。好きなものは、温泉と公園とおいしい和食。
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