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米国防省がイラクで1兆円の札束を紛失 管理は「ザル」状態、暫定政府の混乱ぶりが明らかに
2011.07.15(Fri) 石 紀美子
「政府が管理する5000億から1兆4000億円の現金が消えた」と聞いたら、まず何を考えるだろうか。
大半の人は、額が大きすぎてピンとこないかもしれない。
およそ7000トンから2万トンほどもある、100ドル紙幣の膨大な札束が誰にも気づかれずに消えた──、盗まれた可能性があると聞いたら、いかにとんでもない大事件かが分かるだろう。
にわかには信じられないような話だが、イラクで米国が管理していたこれだけの現金が、いまだに行方不明のままだということが分かってきた。
先月、この問題を7年間調査してきた米国の政府機関が、この現金のほとんどが盗まれた可能性があるとメディアにリークした。
一体誰がどうやって? その現金はどこから来て、誰のものだったのか?
ようやく明らかになってきたこの現実離れした事件の概要は、米国がイラクに侵攻した直後の想像を絶する混乱と無策状態をよく物語っている。
ニューヨーク連邦準備銀行に眠っていた「イラク開発資金」
米国がイラクに侵攻し、サダム・フセインが失権した直後、米国主導で暫定政府の「連合国暫定当局」(CPA)が設立された。CPAの責任者は米国人で、米国防省の管轄だった。
CPAは「独裁政権崩壊後の混乱を最小限に食い止める」ため、イラク人に発言権をほとんど与えなかった。
しかし間もなく、この米国主導の施政にイラク人政府関係者や聖職者らが不満を露わにしだした。給料や様々な資金の遅れが、彼らをさらに怒らせた。
少なくとも政府で働くイラク人の給料と年金を支払い、緊急のインフラ整備や復旧プロジェクトなどを進めるため、まとまった資金がすぐに必要になった。しかし、米国議会で予算を通す時間はない。
そこで目を付けたのが「イラク開発資金」だった。
フセイン政権下の経済制裁や、国連の石油食料交換プログラムで得られた収入、没収されたフセイン一家の不正資金など、巨額の資金が「イラク開発資金」という名前の口座で、ニューヨーク連邦準備銀行に眠っていたのだ。実際の額は知られていないが、最低でも200億ドル(およそ1兆6000億円)はあったとされている。
2003年5月にホワイトハウスの承認を得て、メディアのアンテナに察知されないまま、当時のCPA代表、ポール・ブレマーは、正式に「イラク開発資金」を自由に使う権限を得た。
米国史上、最高額の現金輸送が行われた
国防省の職員らは、大型の「C-130」ヘラクレス貨物便を使えば、100ドル紙幣を真空パックして2億8000万ドル分(およそ225億円)を運べると計算。現金でパンパンになった大型貨物便をバグダッドに飛ばすことを決定した。
その様子は想像するだけで、ハリウッド映画さながらである。ニュージャージー州にあるニューヨーク連邦準備銀行の要塞さながらの現金保管倉庫から、トレーラートラックで運び出された2億8000万ドルの現金は、メリーランド州にあるアンドリュー空軍基地に輸送された。現金と木箱を合わせて、総重量は363トンあったという。
基地からC-130に乗せられた現金は、バグダッドの旧フセイン邸を使用していたCPA事務所の地下金庫と、米国軍基地の金庫に運び込まれた。
これだけの現金を戦場に空輸すること事態が正気の沙汰ではないが、この後13カ月間にわたり、同じように同じ額の現金を20回以上も輸送したのだ。
ほんの一部は形式上、イラク中央銀行に入れられたが、ほとんどがCPA本部に運び込まれた。最低でも120億ドル(およそ9600億円)の現金が、連邦準備銀行からバグダッドに空輸されたことが分かっている。もちろん、史上最大額の現金輸送であった。
ほとんど「ザル」状態だった現金管理
そしてたった13カ月で、この巨額の現金はどこかへ消えてしまったのだ。
もちろん当初は目的通り、イラク人の政府職員の給料や年金、緊急復興プロジェクトなどにも使われたが、CPAはほとんど会計の管理をしていなかった。
混乱に乗じて、多くのCPA関係者や、米軍が契約する様々な民間会社の職員らが、現金をバッグに詰めて持ち運ぶような状態が続いていたと当時のCPA職員は語っている。
2003年から2004年にかけて、ネット上では、イラクで働く米国人契約社員らが、真空パックされた100ドル札のブロックでフットボールをやっておどけている映像や、目の前に山積みになった100ドル札ブロックの前でピースサインする米国人契約社員の写真などが数多く出回って話題になったことがあった。
当時は誰もそれらが本物の現金だと思わなかったし、写真や映像はタチの悪い冗談だと受け取っていた。だが、今振り返ると、あながち嘘だったとは言えないようなのだ。
それは、先月最終報告をし、この問題を7年間調査してきたイラク復興特別監査局(SIGIR)が議会で証言している。
代表のスチュワート・ボーエン監査官は、大手の会計会社KPMGなどと協力して調査してきた結果、侵攻直後の混乱したイラクで、CPA関係者や米軍関係者、米国政府や軍と契約していた民間会社の社員は、緩い会計管理下でかなり自由に現金を手にし、報告義務もないに等しいまま湯水のように使っていたというのだ。
誰がいくら使ったかという記録が残っておらず、しかも使用されるべきだった相手に渡っていないことが分かっているという。だとすれば、不正に流用されたか、盗まれたかということになる。
この7年の間、ボーエン監査官らは8万以上の関係資料を分析し、500件以上の調査を行った。消えた現金のうち、3億4000万ドル分(およそ273億円)ほどの使途不明金については、800の納入業者が不正に入手したと確認し、悪質な27件については、法的手段を取っている。
現金を盗んだ単独犯も多くいる。ブーツに詰められるだけの現金を詰め込んで米国に持ち帰ったり、強者は箱詰めにして宅急便で送ったりしている。
ブレマー代表は何を知っていたのか
しかし、これだけの時間と労力を持ってしても、消えた現金のほんの一部しか追跡できていない。
しかも、当初はイラク人がほとんど盗んだと考えられていたが、調査が進むほどに実は米国人がかなり関与していたことが明らかになり、議会や国防省の協力が得にくくなった。
ここでもう一度額の大きさを考えてほしい。いくらブーツや箱に詰め込んでも、業者がキックバックで盗んでも、とうてい数千億円以上という額には及ばない。重さだけでも前述したように、運ぶだけでも相当な組織力が必要なのだ。
資金の管理責任者は、CPAのブレマー代表だった。
KPMGの会計士たちも、SIGIRの監査官らも、再三ブレマー代表やそのスタッフへの面会を申し込んだが、無回答だったという。
また、KPMGがバグダッドのCPA事務所に半ば強制的に会計監査に入ろうとした直前に、ブレマーは突然辞任している。当時は、テロリストを避けるために辞任の日程を秘密にしていたと説明していたが、KPMG側はいまだに首を傾げている。
議会で説明を求められたブレマー元代表は、自分は会計監査にも協力的だったし、何も隠すことはないと弁明したが、消えた現金については納得のいく説明をすることができなかった。
結局、真相はうやむやに
まったく根拠のない余興だが、仮に「陰謀説」をとってみると、どうなるだろう。
イラク侵攻前に、誰かが連邦準備銀行に眠る巨額の「イラク開発資金」について知っていたら? イラク侵攻を計画し、戦争とフセイン政権崩壊の混乱に乗じて、その資金を手にしようとした者がいたら?
そして、その「誰か」が政府内の権力者だったら?
イラク侵攻そのものが、まったく異なった意味合いを帯びてくる。
しかし、現金の行方も謀略があったかなかったかも含めて、我々は永遠に事実を知ることはないだろう。ブレマー元代表が管理責任者として何かを知っているのは想像に難くないが、全貌を知っているかというと疑問に思える。
かくしてこの問題はうやむやになろうとしている。イラク政府は独自に調査を行い、消えた額はおよそ170億ドルだとしている。そもそもイラク人の金なので、国連に綿密な調査報告書を提出し、米国にこの金額を返還するように要請してほしいと申し立てをした。
CPAのブレマー代表は、イラクを去る直前に、イラク政府はいかなる状況でも米国人や政府を訴追できない協定を無理矢理結ばせているため、国連の介入以外にこの問題を解決する方法はないのだ。
ちなみにブレマー元代表は、イラクを離れてから引退し、風景画を専門とする画家となった。たまにテレビでコメンテーターとして出演したり、講演をしたりしているようだが、彼の名前を憶えている米国人は今ではほとんどいないだろう。
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