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1983年の事です。
樺太沖で大韓航空機撃墜事件が起きたその年の秋、私は、当時「共産主義国家」だったチェコスロヴァキア(当時)の首都プラハを訪れる機会が有りました。
10日ほどプラハに滞在した後、私は、プラハを発って、鉄道でウィーンに向かふ事にしました。私が乗るウィーンへの国際列車は、プラハの中央駅から出発するので、私は、プラハの中央駅へと向かひました。
その際、少々荷物も有ったので、チェコ人の友人が、私をプラハ中央駅まで送ってくれました。そこから、私は、ウィーンの北に在るフランツ・ヨーゼフ駅へまで、国際列車で6時間ほどの旅をし、夜ウィーンに着く予定でした。
私たちは、少し早く中央駅に着きました。そこで、話をして時間を過ごし、やがて列車がホームに入って来ると、私は、その列車に乗ろうとしました。その時、そのチェコ人の友人が、私が乗る客車の前で、不意に動こうとしなく成りました。
私は、驚きました。彼女は、ホームに入って来た列車の前で、或る物を見つめて、動かなく成ったのです。
それは、その列車の行き先を書いた、列車のプレートでした。
Berlin→Praha Hlavni→Wien Franz Josef Bhf
(ベルリン→プラハ中央→ウィーン・フランツ・ヨーゼフ駅)
と書かれてあったと記憶します。その国際列車の出発地(ベルリン)と経由地(プラハ)、そして、目的地(ウィーン)を書いた列車のプレートを見つめて、彼女は、動かなく成ったのです。そして、彼女は、英語で、こう独り言をつぶやいたのです。
“Franz Josef Bahnhof....How sweet....”(フランツ・ヨーゼフ駅・・・何て甘いんでしょう・・・)
その時の彼女の悲しそうな横顔を私は、今も忘れる事が出来ません。それは、列車の外壁に掛けられたただのプレートに過ぎないのです。しかし、チェコ人である彼女は、その時(1983年)は、自分が一生行けないと思って居たウィーンのフランツ・ヨーゼフ駅の名前を目にして、そのプレートの前で、動けなく成ったのです。
あの時の彼女の悲しそうな表情と声を私は一生忘れないと思ひます。
「共産主義」を自称した当時のチェコスロヴァキア(当時)の政治体制がいかに抑圧的で非人間的な物であったかを、あの時の彼女の横顔と小さな声は私に語って居ました。
同時に、私は、その事と裏腹の或る事にも驚かずに居られませんでした。それは、チェコ人である彼女が、フランツ・ヨーゼフと言ふ、ウィーンの駅の名前にそれほど強い憧れを抱いて居た事です。
言ふまでも無く、オーストリアは、かつてチェコを支配して居たチェコの旧宗主国です。
かつてはチェコを支配し、その支配から脱し、独立を得る為に、チェコ人が立ち向かった相手である筈のオーストリアのフランツ・ヨーゼフ皇帝の名が、ウィーンの駅名に使はれて居るのですが、チェコ人である彼女が、そのオーストリア皇帝の名を冠したドイツ語の駅名を、それほどの思ひで見つめる姿に、私は、稲妻に打たれた様な驚きを覚えたのでした。
一体、チェコ人にとって、オーストリアとは何だったのでしょうか?
ハプスブルク家は偉大だった、と思はずには居られません。
2011年7月6日(水)
西岡昌紀
(小説『カフカの墓』)
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■ハプスブルク氏死去…冷戦終結に一役
(読売新聞 - 07月04日 23:05)
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ハプスブルク氏死去…冷戦終結に一役
(読売新聞 - 07月04日 23:05)
オーストリア・ハンガリー帝国最後の皇帝の長男のオットー・フォン・ハプスブルク氏が、4日、ドイツ南部ペッキングの自宅で死去。98歳。
1979年から20年間、欧州議会議員を務めた。89年、オーストリア・ハンガリー国境で東ドイツ市民が西側へ越境を求めて集まると、積極的に支援し、冷戦終結に一役買った。
4歳で父親のカール一世が皇帝に即位したことにより皇太子となった。ハプスブルク氏は第1次大戦後、帝国が崩壊した後は、ベルギーやスペイン、米国などを転々とした後、54年からペッキングに居住した。(ベルリン 三好範英)
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