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アメリカ支援のバーレーン政権に最後の鐘が鳴っている
島国バーレーン
◆2月25日
バーレーンのアメリカ大使はユダヤ系アメリカ人のジョセフ・アダム・イレリである。これを見ても、ユダヤ・イスラエル勢力の意図が分かろうというものである。対岸にはイスラエルの天敵のイランが存在し、バーレーンはアメリカ第五艦隊の基地になっている。
アメリカがユダヤ・イスラエル勢力に使役させられている構図がこうも象徴的に示されているところも珍しい。アメリカの若い兵士らは、ユダヤ・イスラエルの天敵であるイランと戦わせられる為に、つまりユダヤ・イスラエルの利益のために命をかけさせられているのである。
そのバーレーンでは、民衆の反乱がエジプト方式を採用し、意気軒昂である。著者が書いているように、このアラブの反乱は自国の為政者とそれを援助してきた欧米の、またそこに寄生しているユダヤ系の仕掛けるグローバリズムに対する反乱である。
「最後の鐘が鳴る・・・収奪者が収奪される・・・」
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●アメリカ支援のバーレーン政権に最後の鐘が鳴っている
http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=23348
【2月23日 by Finian Cunningham】
アメリカが支援する支配エリート達に対するバーレーンでの反乱は、危機的な大規模な様相を示し出した。このペルシャ湾の島国では22日、最大のデモ隊が繰り出した。20万人に上る大衆が首都マナマに通じる主要幹線道路に繰り出し、一斉に政権の追放を叫んだのだ。
彼らの抗議活動は、真珠広場を中心としてゆるぎないものになった。そこではテントが張られ数千人が夜を徹して活動を継続できるよう環境が整えられてきている。エジプトのタハリール広場の見事な模倣の中で、バーレーンのデモ隊は自分達の要求が受け入れられるまでは動かないと言っている。
男も女も子供達も恐れていない。7人が殺され、数百人が負傷した先週の国家による残虐な弾圧も反乱を鎮めることができなかった。今や人々は更に激昂し臍(ほぞ)を固めてアル・カリファ政権の打倒を要求している。
人々は自分達の叫びが、数十年間願ってきたこと、ペテン師の政権が追放されること、自分達の生活と島から追放する叫びとなっていることを知った。
バーレーン人は政権の起源とその性質に関する長い記憶を持っている。抗議する人々がアル・カリファの略奪の統治に飽き飽きしていたことを人は何回も聞かされるであろう。
十代の若者達の掲げる小さなプラカードには、「お客の訪問は終わった」とアラビア語で書かれていた。
100万人の人口の内60万人を占める土着のバーレーン人の多くの者たちの起源は「預言者イサ(=イエス・キリスト)」の」時代よりもっと前に遡る。
支配者であるアル・カリファ一族のことを彼らは、バーレーン人の寛容さを過去200年間悪用してきた何かペテン師のような者たちと見ている。サウジアラビアの真ん中から出てきた、背教者であり海賊として基地を求めてペルシャ湾を徘徊した元ベドウィン部族に起源を持つアル・カリファ一族について語る時には、これは決して単純化し過ぎた話ではない。
後にカタールとなるズバラから追放された後、アル・カリファ一族の者たちはバハレーンに落ちついた。イギリス帝国の援助で彼らはこの島の統治者となり、イギリスはその「保護」を請け負った。バーレーンは古代の貿易の中継地で、コスモポリタン的な土着の人々は礼儀正しい人々だった。彼らは漁師、農民、船大工あるいは職人だったりした。彼らは豊富な帯水層を含む島の豊かな資源を利用してそれなりの生活を享受していた。
彼らの新しい主人とその彼らの貪欲な生活様式、それに加えて決定的なイギリスの物質的政治的な支援で、土着の人々の自然なもてなしを利用して築いた王国は島を搾取の地にした。現首相であり王の叔父でもある人物は1971年にイギリスから独立して以来40年間その地位にいる。首相はマナマの金融地区に林立した多くの超高層ビルを所有している。その中には金融湾にあるツイン・タワーも含まれる。
国際資本を招来せしめ自分達の利益を上げるためにマナマの金融地区を創ろうとして、バーレーンの現在の土地が埋め立てプロジェクトのために広大な農地や海岸、暮らしが破壊されたことを、昨夜のデモ隊の中の45歳ほどのいささかだらしない格好の男性が語っていた。「自分が子供だった時には、家族はここで漁をしていたものだ。いつも充分に食べる分を得る事ができた。市場で魚を売ってもいた。今じゃ、仕事さえない」。彼はビルの立っている地面を指して、「ここは海だった。ここに我々は住んでいたのだ」
同じ話が多くのバーレーン人によって語られている。漁、真珠とり、農業、後期には石油などの資源が50人から100人の支配エリート達を富ます為に枯渇させられたのだ。
しかし何十年もの開発の後、バーレーン人はこの自分達から盗み、拘留し、拷問し、殺害し、自分達の海岸と資源を盗む「海賊達」に対する堪忍袋の緒がどうも切れたようだ。これら一切のことを援助してきたイギリスと、後になって第五艦隊をここに停泊させるアメリカ政府に対しても同様の思いである。
最後の一線は、先週ただ自分の国における公正な分け前を要求しただけの無防備の民衆に対し、政権側が銃撃を命令した時に越えてしまった。
流血は決意を固めた更なる民衆がデモに参加する事態を招いただけだった。
ある男性はプラカードにこう書いていた:人がいくばくかのパンを要求すると叩かれるので、彼は更にパンとバターを要求するだろう;彼が再び叩かれると、彼は更に大胆にパンとバターとジャムを要求するだろう・・・これがここで何十年、何世紀、行われていたのだ」
デモ隊の中には子供と一緒の若い母親達がいた。これらの母親達は全員、これらの子供達の未来のためにデモに参加したと語っていた。
「ここでは私達には生活がないのです。私達は自分達と子供達のために生活を守りたいのです。私達は自由を願っています」
これらがアメリカやヨーロッパも含むグローバル・キャピタリズムの下で奴隷化させられた国々で起きた客観的で絶望的な状況だ。大衆が自分達と子供達の生活がエリート的寄生虫主義(資本主義)のシステムによって否定されてきたことを理解し始めると、アメリカのウィスコンシン州で見るような、このシステムに対抗するために必要な戦闘的不寛容さに目覚めるだろう。
非常に基本的な物質的利益の闘争に帰着する:我々のエリート達の不当な冨は私と我々の子供達が食べていくことを阻止している。これがバーレーンとこの中東地域に起きている反乱の背後にある巨大な力強い動因である。歴史を作る動因であり、最終的には変化が起きるのだ。現代歴史が階級闘争から起きているというカール・マルクスが正しいと言えるかもしれない。多くの普通の人々はそのように見ないかもしれないが、突き詰めてみればそういうことだ。
しかし、ただエリート達に対抗するために立ち上がり彼らを追放するだけでは十分ではない。彼らのシステムの代わりに何を持ってくるのかを知らねばならない。我々は分析し、何を欲しているのかを明確にできねばならない。そうでないと、空白状態ができてエリート達は
不満を抱いている人々を変節させ分散させ気持ちを紛らわしてしまうだろう。アメリカ、イギリス、フランスなどの遅ればせの祝福を受けての、バーレーンその他どこでもなされているエリート達による「国民的対話」の呼びかけは、間違いなく政権をもっとましなものにし、引き締めようとする試みの一つである。
何らかの代替案が考えられねば、この動きが分散され社会主義的解決のための機会が失われる危険が存在する。バーレーンの抗議者たちの中で要求されているものは、今のところは結構な価値観に関する内容となっている:民主主義、自由、人権、平等などだ。しかし、彼らの望んでいることや必要を実現するためには時間が組織化された社会的、政治的、経済的計画を明確にする鍵となる。
バーレーンでは、先週の7人の死についてある犠牲者の恐ろしい写真がある。22日の火曜日、国家がデモを弾圧するため最悪の動きをした際に、その犠牲者は真珠広場で眠っているところを至近距離から撃たれているのだ。その写真は多くのデモ隊員らによって掲げられたポスターになっている。その男の頭蓋骨は吹き飛ばされている。それはグロテスクで人々もそれについて残忍であるわけではない。その写真は単に欧米の資本家のご主人達とこの政権の凶悪さを示すために掲げているだけだ。それとこの政権が今まで人々を排除してきた内容であり、排除するために準備していることを示すものである。
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2011/02/25 (Fri) 国際政治
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