http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/853.html
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私たちがものごとを考えるときは、まったく自由に考えるのではなく、何かを手がかりにする。
日常的な例としては、長年スポーツを行った人は、そのスポーツ競技のメンタリティを逆に自身に憑依させるということがあるように思う。サッカー競技者のメンタリティとラグビー競技者のメンタリティは若干違うように思う。また、団体競技者と個人競技者のそれも。
ある人が、自分自身を「〜主義者」であると定義したからといって、必ずしも、それを額面どおりに受け取ることはできない。むしろ、その人の思考を無意識に規定しているようなモデルがあり、そちらのほうが重要である。無意識であるからこそ、その人は強烈に規定されている場合がある。そのようなモデルを「構造」と呼ぶ立場がある。いわゆる構造主義である。
構造主義
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%8B%E9%80%A0%E4%B8%BB%E7%BE%A9
私たちは、奇妙な国に住んでいることを自覚しつつある。自国民を保護しない奇妙な政府、放射線被曝を拡大させる奇妙な政策。事実を報道しない奇妙な報道。
これらの奇妙さの原因が、端的に「対米従属及び構造的利権」に基づくものであることは、本サイトにおける報告・分析からもすでに明らかになったと思われる。
ここで、私が問題としたいのは、その奇妙さを隠蔽し、正当化を押し通す、政府当局らの思考・理論である。日本の学者、官僚などに固有の思考スタイルというものがあるならば、それを知っておくことは極めて有用ではないかと思う。
一言で言えば、「知識人はなぜこうまでバカなのか」、ということを考えたい。
その「バカさ加減」というものは、無意識に思考する私たち全体にもかかってくる問題である。
まずは、過去のスレッドにおけるやり取りから、浮上した「朱子学」という理論について
取り上げてみた。
朱子学
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E5%AD%90%E5%AD%A6
南宋の朱熹によって構築された儒学の体系。
<主な内容>
性即理説:
人間の本来の性質が理(天理)であるとする。自己と社会、自己と宇宙は「理」という普遍的原理によって結ばれており、自己修養によって「理」を把握することにより、社会秩序を維持することが可能とする、個人と社会を統合する思想である。
「性」とは人間が本来もつ、心の静かな状態であり、この状態へ戻すことを目的として、万物の理を極める「居敬窮理」を目指す。
<時代背景>
尊王賤覇:
異民族である女真によって建てられた「金」により、宋(南宋)は圧迫を受け、屈辱的経緯をたどる。そのような中にあって非文化人による武力政権を「覇」として賤しみ、正当なる中国王朝を「王」とする価値観。物事を善悪の二元論に分解し偏狭な大義名分論を、以後、構築する土台となる。
<私見>
私が、最も着目するのが「居敬窮理」という概念である。
「居敬」は心を引き締めて怠ることなく、慎み深い態度で日ごろの立ち居振る舞いに注意すること。内的な修養法。「窮理」は物事の道理をきわめて、正しい知識を得ること。外的な修養法。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/idiom/%E5%B1%85%E6%95%AC%E7%AA%AE%E7%90%86/m0u/
人は謙遜であるべきで、正しい判断を行うための根拠として物事の事理を極めていくべきである。まさにそのとおりである。この文言が、人をして行動に向かわせる「方向性」の指針として機能するならば問題はない。しかし、この文言が「現実にあるこの世のもの」の運営方法として解釈された場合はどうだろうか。
実際のところ人間知性に「窮理」などはできるはずはなく、ただ、事態の表層をそのときの分析用具にしたがってなでるだけだと思う。そのことは当時の識者らも実際のところは認識していたのではないか。
しかし、ある、一定の要件を満たしたものは、この「窮理」者とみなすシステム、つまり、科挙のような受験制度が存在することにより容易に、学説は社会的分配=支配の道具に成り下がることが予想される。要するに理念の形骸化である。
日本においては、朱子学の影響は多大であるとされている。江戸時代の正統学問として長く日本の武士階級の基本的教養とされてきた。そして、江戸時代末期に、窮理を渇望していた私たちの祖先は出会ったのである。「私はすべてを知っている」と言う狂人に。つまり、古典物理学を背景とした因果律的決定論である。
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