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(マタイ18章21~22節)
そのとき、ペテロがみもとに来て言った。
「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」
イエスは言われた。
「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。」
(ルカ16章3~4節)
「気をつけていなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。
かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます。』と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」
このルカ16章4節の、『悔い改めます。』が、『罪を償います。』と記されていたなら、どれだけの良きキリスト教徒が泣き寝入りをせずに済んだだろうか。
どんなに悪いことをしても被害者から許されるのだから、悪いキリスト教徒にとっては都合のよいキリスト教の教義。
反省や謝罪だけでは済まない重罪などたくさんあるのに、キリスト教の教えでは「どんなに酷いことをされても相手の罪を許しなさい」が強制的になっている。
良きキリスト教徒はそのことから解放されないでいる。宗教に縛られているのだ。
「悔い改め」は「罪を償え」という意味ではないのか。と言う人がいるが、残念ながら、それはいちキリスト教徒の考えでおわってしまう。
なぜなら、一方で、権威あるお偉いさんのキリスト教関係者から、「悔い改め」は「反省や謝罪」までだ。と言われれば、それでおわりだからだ。
良きキリスト教徒は「泣き寝入り」から解放されない。
良きキリスト教徒はどんなに酷いことをされても、その相手を許さなければいけないからだ。
ルーテル教会
改革派教会
長老派教会
バプテスト派
聖公会
メソジスト
救世軍
ホーリネス教会
ペンテコステ派
これらの大きなプロテスタントの宗派の一つだけでいいから、
「相手の罪を許すも許さないも基本的にケースバイケースである」。
もしくは、「悔い改めとは罪の償いという意味も含まれる」。と書かれたカテキズムがあれば、どれだけの良きキリスト教徒が救われただろうか。
強制的に「どんなに酷いことをされても相手の罪を許しなさい」というキリスト教の教義。
そして、そのことから解放されない良きキリスト教徒。
泣き寝入りをさせられて、心の病気にかかるキリスト教徒。
被害は一次被害ではとどまらないのだ。
宗教はデメリットの産物である。
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