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現在インフルエンザに似た症状でダウンしている
仕事は当然休んでいる
頭が割れそうであるが食欲は普段より在ると言える
胃腸も問題は無い
過去にもこのような事例があったので私は穏やかである
ある日仕事中こんな所にお不動様が在ったのかと思って
下車して手を合わせた
その晩の事である
その時は突然嘔吐と下痢がはじまり
その時は熱を出してもう何がなんだか分からない状況であったが
翌日は仕事にでた
当然仕事にはならなかったが事情があったのだ
それは確か2008年の大晦日ではなかったかと思ったが
年越しの休み連休は酷いものであった
何のバチが当たったかとその後考えたがわからない
そして現在もまたこのような事態にある
私はインフルエンザなど予防などもしていない
普通の風邪すら罹った事は無いからである
私の考える風邪とは
症状としては咳が出て熱がでて悪寒がして腹を下すという所だろうが
そうしたものに罹るのは
成長期の骨が伸びる時や
大人になってからは
おおよそが肉体や精神疲労を原因とした
筋肉疲労による骨の歪みである
腰から来る肩や首筋の凝りと偏りによる歪みである
ほっとけば当然悪化する
私は悪化させたのかも知れない
咳を強くする様になるのはその力で
骨の歪みを矯正しようとする自然現象的働きであると知る
故に私は医者にかからないし
薬も飲まない
在る時は咳が止まらず死ぬのかと思った事も在ったが
逆に新入社員の研修の如く大声で挨拶の練習をするようにして
咳を積極的にしていたら逆に気分爽快で
10日目にはいって突然けろっと治ったりした
また咳の象徴とするものは「古いものを吐き出す」ということにある
下痢は「受け入れられない」という感情の象徴らしい
ということでなんらかの身体の悪化は
すぐさまイベントのひとつとして捉える事にしている
怪我をしても何かが起きると云う楽しさがすぐに湧く
私は階段を背中で滑り落ちながら
「何か良い事が起きるかも知れない」と瞬時に考える程の人間である
大体は肩甲骨の間の背骨の歪みが原因であり
精神的疲労の蓄積から来る肩や首筋の張りがその痛みを包み隠してしまう
よって首の凝りを解すと次は肩の痛みが明確になってくる
首筋や顔の筋肉の強張り及び眼精疲労や鼻のつまりなども全て
原因はウイルスなどだけではない
私は何度も言うが薬も飲まないし
インフルエンザにも罹ったことはない
どんな重度の患者が目の先に居ても罹らないものは罹らない
私はそれほどのことで感情を動かす優しい人間ではないのである
よって風邪の症状を緩和させたいと感じたら
まずは自身の当たり前のストレスを感じる環境を
変えなければならない
さて本題はこれではない
2009年の七月12日の朝方
私は産まれてはじめて台東区の浅草寺に見物にいった
あさは6時ちょっと過ぎであったがあまり人陰は無く
うらぶれたおじさん方がコンビニの前で酒盛りしており
散らかし放題であったことにショックを受けた
始めて見た浅草の景色だった
見れば浅草寺の周囲は非常にゴミが目立っていた
私の感覚からして寺社の中にタバコの吸い殻が落ちている事など
あり得なかった
それほど異常な情景であったのですぐに拾い出した
拾っても拾っても歩く一歩事にゴミが目に飛び込んでくる
朝6時から拾い始めて目につくゴミはすべて拾い尽くした
時計を見ると既に三時間が過ぎていた
9時をまわっていた
随分日が昇って熱くなったと思ったら
いつのまにか考えられない程の観光客でごった返していた
取りあえず一回りしてすべて拾いきったと感じた後に
私は冷房の強く利いた浅草寺の礼拝堂に涼みにいった
観光地なのだからそのようなものかとも考えたが
中では一人の地元の方であろうか御婦人が熱心に
座して祈っていた
私の母よりも五つか10上だろうか
いやもっと上かも知れないが真剣に何かを祈っている
大概は自身の家族の事だろうか
何を祈って居られるのか興味を持って
その方から離れた所に座ると目の前には
珍しいことに愛染明王の象があった
これはまた珍しいと思い暫く眺めていた
私はその前に煌々とゆらめく蝋燭の炎に目を留めつつも
先程の御婦人に目をやれば
まだ熱心に祈って居られる
毎朝の様に来る肩ではないかと直感したが
このような喧噪の場所でこうして心静かに祈ることが出来る場所が
この都会の真ん中にも私の住む田舎の様に在るのだと知って
非常に有り難い事だと感じた
またこのように精神を祈りによって休ませられる場所があるということは
とても有り難い事であるとその時改めて痛感したのである
私にはわずかな夢が在ったが
それは地元の寺の有志を集めて本堂を借り
子供たちにそのようにして肉体を通して
自身を見つめる事での効用を広めることを通じて
心の学問を世の中に普及させる事であった
また街のど真ん中にも心から静まって瞑想出来る空間が
屋外に在れば良いだろうなと感じていた
図書館のようなマナーを必要とする屋外の場所である
それは年配の方から若年のものまでが共に
心をひとつにして何かを祈ったり単に静かに呼吸を整えたりと
一時心を休ませられる場所である
さて話を戻して
その本尊の裏手には位牌堂が在り
私はそこにちいさな観音像の姿をみつけた
そして私はその前に座ると
その蝋燭が突然触れ幅の大きな揺らめきとなって
あたかもそれが笑い声であるかのようだと感応してしまい
なんともこらえきれない程の感情がこみ上げて来て
溢れる涙を止められなくなったのである
それは自身にとっても始めての経験であったが
なんと有り難い事であるかと考えたが
そこは慎ましく感情を懐にしまって
私は其所を後にして外に再び出た
そこの住職であろうか外をうやうやしく歩いて居たので
目の前のタバコの吸い殻に手を伸ばすのかと期待した
だがすっと足下をも観ず通り過ぎていった
その後ろを子供連れの家族が離れず歩いていたが
その親もまたそのタバコの吸い殻を手に拾う事はしなかった
私はそれを誰かが拾う事を期待していた節もあるが
何の事は無い
私が拾えばいいだけの事だった
私が動いてそれを拾う姿を「誰か」が
期待しているかも知れない訳であるのだから
勿論私が自身にそれを期待しているのである
それ以外答えは無かったのである
境内の外に一歩踏み出すととても平然としていられない程臭かった
腐ったゴミの匂いである
よくここに住居を構えて居られるものだと思った
もし私がここに住んでいたらどうであろうか
環境は人を変えるかも知れない
しかしそんな事を認めてることは単なる言い訳に過ぎない筈だろう
気づいて尚それをしないのは抑圧をただ自身に植え続けるだけだろう
なんという所にこの神社仏閣は祀られているのだろうと驚いたが
しかし境内に入るとやはり不思議と空気が違う
そのような匂いは外壁から外だけであり
侵入している匂いが一切しないのは不思議な事だった
その日は太陽の周りに彩雲が被さって居り
私は警備員と目が合ったのでにこっと笑ってその雲を指差した
しかし私の手の先に目を向けるものは誰一人としていなかった
私は暫く手をかざしながら太陽を見つめていた
境内には浮浪者の様な人々が昼寝をしている
どんな手助けが欲しいのだろうかと考えた
その横には平然と家族客が弁当かなにかを食べている
私がテレビなどで目にしていた浅草とは
随分と違った印象だった
寺としての格式は素晴らしいものだった
ただしかし其所に居る人々をみた時
多くの片付けられるべき課題が山積していることが理解出来た
帰りがけ私は電車に乗って帰って来たが
そこでいつものように思う事は
これだけの数の人間が集まって何かひとつの事をやれたら
とてつもなくすごい事が出来る筈なのにと
全く目も合わせずに乗り降りしていく乗客をみては
そればかり考えていた
そのように考え出すと体が抑えきれない程の力が漲ってくるものだ
基本的な事をひとつお話しすると
いま流行りかどうかは知らないが
次元上昇的話題にでてくる
上位次元と私たちが現在生活している次元とは
すべて「接点」というもので結ばれている
グリッド
球体を立体で表現する時に
少ない点と線で表現された世界が今の我々の居る世界だとすると
次のステップの世界では今よりやや多めの点と線で表現される事になる
その二つの次元間を結ぶ接点というものが存在する
昨今はやりの言葉で云うところのパワースポットとして
個々では認識して"構わないかも知れない"
それは場所によって全くそうではない場所も大いに在るだろうから
格子状に下の次元は上位に包括されている
私の言わんとする事が多分にすぐに理解されていれば
そのようにしてあなた方は今すぐに自身の最寄りの
接点を探し出しそこを奇麗にすることで
あなた自身を浄化するということが可能である
あなた方の本心を其所で解放すれば
願いが叶うと云う事はそう言う事である
出来ない事や望まない事を望むのではなく
依存心を強化するのでもない
多くは語るまでもないがあなたは其所で
何か心からすべきことと思えるものを見つけだせるかもしれない
またそうした主要な接点に迄出向かなくとも
空間をワイヤーフレームで表現し
密にグリッド化し自身の居る居住空間の
最寄りの「接点」を訊ね当てる事は出来ないことではない
「各空間」の中にブラックホールとホワイトホールがある
そこからあなたの細胞が絶えず作り替えられている様に
目に見える物質もまた常に作り替えられている
それにはあなたの直感や感性が関わってくるが
あなたが自然と出向きたい場所や
居心地の良い場所ならそこが適している
感覚的なあなたの知られざる知覚を鋭敏な迄に磨こうとする事は
あなたにとって新たな発見の連続を生み出す事だろう
あなた方の社会ではそれを重要視せずとも
そのスキルは人間的本能から無くなる事は無い
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