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水牛健太郎 :日本語学校教師、評論家
理想的な制度と思いますが、だからこそ、かんたんに導入できるものではないで
しょう。現実的かどうか、疑問を感じます。
ベーシックインカムを巡る問題は、山崎さんが言われる通り、「働かざる者食うべ
からず」という言葉をどう考えるか、ということだと思います。日本国憲法は国民の
義務の一つとして勤労を挙げています。そして国民は勤労を通して生活の糧を得るこ
とが期待されていますが、現実には心身の状況から働けない人もいますし、失業する
こともあります。そこで「健康で文化的な最低限度の生活」を保証するという生存権
の趣旨に沿って、生活保護その他の福祉制度がある。現在の制度はこう理解できます。
ベーシックインカムの導入はこの枠組みを改めて、まず生存権を優先することを意
味します。その上で、働くことは国民の義務であるという規定も生きていますが、働
かなければ福祉に頼らない限り生活できない、という前提は取り外すことになります。
単純化して言えば「働かざる者食うべからず」ではない、ということです。
「働く」ことには実に多様な形があります。工業における作業、営業や事務、専門
職といった典型的な働き方はその一部に過ぎません。最近では対価のない家事労働を
「働く」に含める考え方が主流になっています。対価を得る働き方にも、労働時間を
提供するほかに、時間と関係なく出来高で対価を得る専門職や芸術家もいます。これ
らは量以上に質が問われる仕事でもあります。身体を動かす仕事もあれば、身体より
も精神的な配慮などに重きを置く仕事(「感情労働」と言われます)もあります。現
代では多くの仕事が「感情労働」化しているとはよく言われることです。
また、ある人が会社の事務所で働いていて、仮に事務のスキルが低く失敗ばかりし
ていたとしても、周りの人を和ませる能力が高く、職場になくてはならない存在に
なっていれば、これも十分働いていると言えるでしょう。会社員の仕事でさえ、数量
で評価できない部分は意外に大きいものです。
その上で、どんなに定義を広げてみても「働いている」とは言えない人も存在しま
す。障害で寝たきりの人などはこれにあたるでしょう。しかし、たとえば精神科の臨
床医の著書などを読むと、こうした人が家族の絆の中心となっている例もよくあると
いいます。経済的な価値を生むことはできなくても、かけがえのない家族の一員とし
て生き、周囲の人たちに大きな影響を及ぼしています。
それでは誰にも必要とされず、社会の除け者になっている人には何の価値もないの
かというと、そんなことはありません。民俗学や宗教・民話などの世界には、ふだん
共同体に加わらない神がかりや乞食などが突然予言をしたりして、共同体の危機を救
う話がしばしば見られます。19世紀までのロシアで放浪をしていた「聖痴愚」といわ
れる人たちは、現代の定義で言うならば精神異常に限りなく近い人たちですが、人々
は彼らが神に近い存在と信じ、食物を恵むなどしていました。私は宗教の信者ではあ
りませんが、こうした考え方が迷信だとは思いません。普通の意味でまったくの無価
値とされている人々が、ほかの人たちに見えない大きな価値を担っていることはあり
うると思います。
世界的に広まっている宗教はほとんどの場合「神の前の平等」をうたいます。現世
の表面的な秩序を超えた世界では、人間の本来の価値は全くの平等であるというのは、
現実には決して実現されない理想ではありますが、同時にある種の真実を示している
と私は考えます。そして人類の歴史は、非常におおざっぱに言えば、現実の世の中に
おいても平等を促進する方向に進んできました。
かつては一方に奴隷とされた人々がおり、片方に皇帝や王たちがいました。しかし
奴隷は、原則としてはいなくなり(一部の発展途上国ではまだ、政府の手の届かない
ところで奴隷とされている人々がいると言われていますが)、皇帝や王は少なくなり、
かつてよりはるかにつつましい暮らしをするようになりました。
このような観点から見れば、経済的な生産性とかかわりなく人々が平等に扱われる
べきだということは根本的に正しく、また人類史の発展の方向にも見合っているので
はないでしょうか。ベーシックインカムはそうした理想を体現したアイディアだと思
います。
しかし、それが理想的であればあるほど、実際に導入する際は慎重である必要があ
ります。ひょっとしたら現状からは進み過ぎた「よすぎる」制度ではないかという疑
問があるからです。
たとえば民主主義は優れた制度です。私は民主主義の価値を信じています。しかし、
第二次大戦後に民主主義が導入された多くの発展途上国では、うまく制度が機能しな
かったのも事実なのです。そうした国では政治が極端に不安定化し、独裁者や軍部に
よって権力が簒奪されました。その後深刻な人権弾圧やジェノサイドが発生した国も
あります。歴史の流れを見れば、その国の政治文化が一定水準に達するまでは王政の
ような権力の集中が行われた方が国民にとっても幸せなのではないかと思います。民
主主義はこれらの国にとって「よすぎた」のです。
また、たとえば死刑廃止の問題があります。人が殺された時に、遺族が犯人の死刑
を求める報復感情は、どちらかと言えば「古い」感情であることは確かでしょう。あ
るいはそうした「不合理な」感情はやがては乗り越えていくべきものなのかもしれま
せん。
しかし、今の日本では、死刑廃止はほとんどの国民が反対です。犯罪者への憎しみ、
遺族の報復感情は非常に強いものがあります。もし無理に死刑を廃止すれば、国民の
不満は高まるでしょうし、「それでは自分の手で犯人を殺す」という人が出てくる可
能性もあります。死刑廃止が仮に「正しい」ことだったとしても、今の日本で死刑を
廃止することは、「正しくない」ことだと私は考えます。死刑廃止は、今の日本に
とっては「よすぎる」のです。
「ベーシックインカム」についての私の判断はこれに近いものです。ベーシックイ
ンカムはおそらく正しい、理想的な制度ですが、今の日本でそれを導入することは、
正しい結果を生むとは考えられません。ほとんどの国民は「働かざる者食うべからず」
という言葉を正しいと信じており、勤勉に働くことが道徳や人生観の基礎になってい
ます。働かなくても収入が得られる、多くの人が「恥」と見なす福祉の世話になると
いうことではなく、正々堂々と収入が得られるということが、今の日本人に受け入れ
られることなのかどうか。それが現実になった時に、ベーシックインカム自体はいく
ら少額であっても、国民の勤労意欲は保てるのかどうか。(正直に言えば私自身、最
低限衣食住がまかなえるのなら、あまり働きたくないのです。他の寄稿家の方々のよ
うな勤勉な人間ではありません。そして私のような人間は、皆さんが思われる以上に
たくさんいます)
残念ながら人間はそれほど美しくも理想的でもありません。現実の制度設計を考え
る時には、現実の国民の姿を見なければなりません。ベーシックインカムの導入は、
今の日本では怒りや嫉妬の感情を巻き起こすばかりで、決していい結果にならないと
私は考えます。ベーシックインカムは、今の日本にとっては「よすぎる」制度なので
す。
日本語学校教師、評論家:水牛健太郎
(私のコメント)
BIによる生存権を国が保障してあげることは必要でしょう。最近高齢者の餓死が増
えています。こういう閉鎖的な社会になると福祉も利用できず、買い物にも行けず
餓死するしかないという人が増えると思う。何とか人間的な生き方、終わり方を
させてあげるのが人間社会の理性だとおもう。それにしても家賃が払えず、電気、水道、ガスを平気で止める仕組みは酷い。これを止めさせるにはBIしかないでしょう。
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