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つれづればなhttp://turezurebana2009.blog62.fc2.com/blog-entry-77.htmlより転載
- 2012/03/11(Sun) -
70年に東京で生まれた筆者はフクシマの原発電気に浸かって育ったことになる。実際に被害に遭うどころか日本にすらいなかった筆者にとって、その居たたまれなさは容易には書ききれない。
「大震災」から、そして「大人災」から一年経ってしまった。亡くなられた方々のご冥福を、残された方々が少しでも早く心安らかな日々を取り戻すことができることを、心からお祈りいたします。
原発は直ちになくさなくてはいけない。そして事故を起こし、対処の機を逃し、隠し、被害を最大級にまで拡大した東電を、なおも責任を認めない東電をこの世からなくさなければならない。
産業界と政界の特殊な関係と、世界の原子力産業界の権力が東電を守っている。だから原発が存在している限りは東電は倒せない。逆も真なり、東電が生きている限り原発は電気を作り続ける。
恐ろしく遠回りになるが、世界中が原子力から足を洗うのが正しい手順だろう。それに先行するのが代替エネルギーの「実用化」「普及」である。それの「開発」はもうだいぶ進んでいるのだろうが、原子力産業界とその息がかかった各国政府が実用化を必死に阻んでいる。脱原子力を旨とする技術研究をしようものなら大変な目に遭うのである。論文はこき下ろされ、大学の研究室には研究費が下りない。「と」と呼ばれ学会から阻害される。それどころか脅迫、誘拐、醜聞、処刑、何をされてもおかしくない。脱原子力のみならず心ある研究者は必ずこうした憂き目に遭う。
この世で「カネが欲しい」と思うのはのは人間だけである。カネを媒体とした社会に住む人間だからこそ喉から手が出るほどカネが欲しい。しかし人間以外にカネなど必要ない。私腹を肥やすために生きているのはせいぜいケチな政治家や官僚までで、上で述べた原発産業界や世界金融の頂上に巣食う面々にとってカネなどはただの印刷物に過ぎず、あってもなくても良い。なくなればいくらでも刷ればいいし、たまに退屈しのぎに騙し取ればいい。
つまり、彼らはとうに人間から脱している。
彼らの目的はこうである。人々を賭け事や投資に溺れさせ、快楽を売り買いさせ、医療はもとより学歴も結婚も育児も老後もすべて商品にされた。美辞麗句で飾り立てられたその商品に刺激された欲望は人を喰う。これだけの産業が、資源が、物質が動いていても誰一人満足できない、そして奪い合う。彼らの目的はカネを道具に人間を狂わせることにある。欲望を追いかけて人と人が、国と国が喰いあうさまを眺めることにある。そして時折その汚い手の内をわざと垣間見せ、気付いて刃向かう者があれば虫けらのように踏み殺すことで悦に入る。それを見せ付けられた人間は無力を感じて諦め口を閉じるか、喰い合いの獣道に戻ってしまう。彼らは我々とは違う生き物であるからして我々の思考の外にあって当然、だから彼らの大義名分が掴みきれないのである。
話を東電にもどせば――
政府の庇護下にある東電を法的に締め上げることは徒労である。何かのはずみで政府が東電を見放し解体されることがあったとしても頭部をすげ替えただけの「第二東電」が現れるのは必定、時間と労力の無駄に終わる。
つまり「東電」は掴みどころのない像のようなもので、消しても消しても幾らでも代わりが現れ実体を潰さない限り終わらないのである。無論ほかの電力会社も同様、さらに言えば、医療の世界、教育の世界、マスコミ、流通、凡そ思い浮かぶもののほとんどが実体を同じくする立体映像だと考えていい。そしてその実態とは「人間を脱した者」と冒頭で記したものである。
これはこの一年で我が国でもよく知られるものとなった「陰謀論」のさわりである。「世界政府」という影の存在が人類を操縦するための申し合わせがもとよりあって、戦争、紛争、イデオロギー、伝染病、ひいては自然災害までもがその筋書きに沿って「起こされて」いるという、世界の人口を減らし自分たちとその「奴隷」だけが生き残るよう仕向けているという普通に暮らしてきた善良な人間にはにわかには受け入れ難い論である。
テレビが世論の舵を握っているがため、この陰謀論が国民の関心をひきつけ大きく議論されることはこの先もないだろう。北野武氏の番組などで取り上げられたりもするがそれは事の陳腐化を狙う「冷やかし」にも見えるし、「仄めかし」ともとれる。どの国でもテレビは世界政府の使い走りである。
逆にネット上では歴史の中に埋もれた事実を結果論的に立証し、西欧社会主導の陰謀を白日の下に曝す作業が高い次元で行われている。
だが、「陰謀論者」の皆様にぜひ申し上げたい。世に言う「陰謀論」とは陰謀を行う者の側に立って陰謀の手法を説きその成功例を列記するところで膠着してしまっている。我々を無力感に陥れる危険な言論の域に入り込んでいる。これでは陰謀の後押しである。世界政府の途方もなく邪悪な陰謀は事実だろう、その上で我々に何が必要なのかを探してゆく議論へと早く昇華させて欲しい。
「東電」、いやその実体たるものに対し無力感に陥る前に、我々のやるべきことはいくらでもある。これ以上彼らを喜ばせぬよう彼らが望む世界の逆をいくのがよい。
まずはむやみに電気を使わないことである。
電気がないとどうなるか。エレベーターがとまる。電車がとまる。会社にいけない、行っても仕事にならない。冷凍食品が解ける。冷房がとまる。回転寿司が回らない。便座が冷たい。パチンコがフィーバーしない。もはやこの世の終わりか?いや、まだある。工場生産は停止する。商店から商品がなくなる。給水所のポンプがとまり水が出ない。冷凍ピザを調理しようにも電子レンジが使えない。仕方がないので宅配ピザをたのもうと思ったが電話の充電が切れた。もう生きてゆけないのだろうか。
人を殺すにゃ刃物はいらぬ、三日電気をとめりゃいい。こんな世間に誰がした。
「電気使い放題」を前提にこの社会を作り上げてしまったのが失敗なのである。我々は何を根拠にそれを信じているのか、誰がそんなことを言い出して、誰が責任を取ってくれるというのか。
建物を高層にするからエレベーターが要る。家が職場から遠いから毎日電車に乗る。これは都市に無理やり集中しようとするからである。「都市集中は経済効率を良くする」という常識に騙されずに、散ればよい。
なぜなら。「経済」のごくごく僅かを除いた全部は「無駄」なのである。家庭から、都市から出るゴミの山がそれを物語る。すし詰めの電車で通勤し、汗水たらして企画・生産したもののごく近い将来はゴミであり、残飯であり、産業廃棄物であり、使用済み核燃料である。
建設業者たちの推奨する建物を建てなければよい。都市型の住まいは落とし穴が多い。コンクリートの建物は気密性が高すぎるため電気的に空調・換気せずには居られたものではなく、断熱性の低さは化学物質での断熱を余儀なくしている。体に悪いのである。建築基準法にもとづき構造計算された耐震性のあるコンクリート造建築は、建てるのも壊すのも莫大なカネがかかる。そして後に残るのは、産廃の山と業者の笑顔である。そしてフクシマの瓦礫…。
冷たい便座に座りたくなければ「洋式」をもてはやすのを止めればよい。日本人の足腰が弱くなったのはこの「洋式」のせいである。
テレビを見なければよい。この世にありもしない、他人を虐げることで初めて手に入るようなものばかりを欲しがるように食べたがるように見せて誘うからである。そうして誘われた子供たちの要望にこたえ続けるため毎日の食卓を皿で埋め尽くす必要などないのである。親の負担の半分は残飯となるか肥満となる。職を持つ母親は冷凍食品やレトルトの助けを借りたくなる。電子レンジで調理して節約した時間は余暇を楽しむことに回せる、それは明日の活力をもたらすだろう。ただしその活力は電気料金を支払うことで相殺される。子供たちが将来「我が家の味」と思い出すのは冷凍ピザかもしれない。
事は電気に限らない。「電気使い放題」の後ろには資源の押し売りがある。「売る側」が更なる無駄使いを煽るのは当然である。電力の援護により程度の低い石油製品は大量に作られ、買われ、棄てられる。土には還らない。太古の植物や微生物の屍骸が永い眠りを経て石油と変わり、遥か遠く中東から長い旅をしてきたそれは、子供だましの雑貨になり三日と待たずにゴミになる。石油が湧いて出る国の子供たちがその利権争いのために血を流していることを判っていただきたい。爆撃機も戦車も石油で動く。
過剰包装、過剰梱包、時間短縮、便利、使い捨て、これら「使い捨て経済」の上に成り立つ企業は自らの戦士たちをも使い捨てにするようになった。人を都市に集中させる磁力であった「職」にもはやその力はない。ならば人は自力で都市にしがみつかねばならない。できるのか。
電気がする仕事、それはものを持ち上げたり早く動かしたりすること、ものの温度を変えること、文字や音や像を信号として送ることである。人間がやっていたのでは骨が折れる仕事を電力でまかなうのである。
電気を人が作ってみるとどうなるか。
自転車をこいで一時間に発電できる電力量を平均70whとする。
その70whでいったい何が出来るか。60wの電球を一時間と十分点灯できる。
五時間こぎ続けると、一回洗濯ができる。風呂を一回沸かすには84時間こぎ続ける勘定になる。
その程度である。電気とは素晴らしいものなのか、空しいものなのか。
どのみちむやみに使ってはいけない。電気大量使用の前提を覆さなくてはならない。電気を使い出してたかだか百年、使い方が拙かったのである。反省し、道を正す。これも人間にしかできないことだ。冒頭の「陰謀論」の真偽に関わらず我々のとるべき道は変わらないはずだ。
トカゲの尻尾きりであろうと尻尾は尻尾で裁きにかけねばならない。東電が政府の気まぐれで倒産させられた暁には社長を始め重役、そして大株主である東京都の知事も逮捕し刑に処さねばならない。その場合、普通の刑罰では償いきれないので発電刑がよい。それぞれに1万kw程度の実刑を与え、発電しきるまで塀の中で自転車をこぎ続ければよい。
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