http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/786.html
Tweet |
2012年2月17日、午後3時43分頃、訓練校の手書き製図制作教室付近にて、電気設備科の若いごろつきにまたしても因縁をつけられた。これはいつもの人物ではなく、別の人物である。私が担当教官に対して相談した時に、他にもいろいろと不愉快なことを言う奴がいるから気をつけるように言われていた。しかし、そのときにはなんのことかわからなかった。これも同じく10月入所組である。とにかく平然と、侮辱的な発言を行う。しかし、面と向かって喧嘩をする度胸はないようだ。女の腐れのようにいつもつぶやいているし、これまた暴言を吐き続けている。ここには常に教室でもどこでも帽子をかぶりつづけている者がいる。それも作業用の帽子ではなく、ファッション的な帽子である。頭が禿げているのを隠したいのか、それともそれほどまでに帽子が好きなのかよくわからない。この人物も教官の指示命令には従わず、いつも好き勝手なことばかりしている。他にもいつもニット帽をかぶっている者もいる。ヒッピーのような服装の者もいる。これにはあまり気がつかなかった。最近になって、やたらに挑発行動をするようになったのは、例の人物がおとなしくなってからである。本当に今までに働いてきたことがあるのかわからないが、ものすごく傲慢であり、威張り腐っており、これまた横柄で、平然と昼寝をする。そして、やたらと強がりを言う。何をそんなに怖がっているのかわからないが、やたらに強がる。強がるし、いきがるし、とにかく結果を売ってくるのだが、いつも逃げ腰である。仕掛けてくるのはいつも向こうであり、私はなるべく避けているのだが、とにかくやたらに注目を浴びたいようだ。ここの訓練校に入校することはお勧めできない。こういうごろつきやチンピラが集結しており、まったく統制が取れておらず、いかなる正常な訓練も行われていない。形だけでの表面的なものだ。とても本気で、技術や技能、学問をしようという気配は感じられない。常に退廃的であり、無気力であり、非常に険悪で、治安が悪く、常に陰口悪口が蔓延している。規律とか、規範とか、倫理、良心、道徳心、向上心は全く感じられない。普通の人にとっては退屈だろうし、真面目な人には苦痛だろう。ここはゴロツキが集結する危険地帯である。もちろんまともな人物もいる。それが私だとは言わない。もちろん私自身にも問題があるのだが、それにしてもここは全くいかなる配慮もなく、全て完全に放任主義なのである。いかなる規則もなく、規律も、ルールも何もない。若いからといっても、過去の職場において、まったく地位や役職もなかったとは言えず、それなりの責任ある地位にいたのかもしれない。だが、この連中の日頃の言動や、雑談の違法行為の自慢話や、因縁つけの手口等からすると、とても責任ある地位にいたとは思えない。もしもこの連中が再就職ができたら、本当に奇跡だとしか思えない。だが年齢が若いのであれば、就職ではできるだろう。この毎日因縁をつけてくる、例の人物以外のいじめ常習犯については、まったく相手にしたくないし、逆に相手にすると、指導員に怒られてしまうが、どうやら何としても、私に認めて欲しいようだ。私が認めるかどうかがどうしてそんなに重要なのかわからない。そもそも他人の陰口悪口を言いたい放題、毎日言い続けておいて、友達になりましょうとか言うのは全く変であり、異常であるとしか思えない。未熟であることは、当人も気がついているようだが、そんな卑怯者に対しては、何も意見は述べられない。少なくとも、他人に意見を述べるときは、まずは自分お氏名を名乗るべきであるし、また、群衆に紛れて背後から言うべきではない。そういうことに熟練しても、誰も褒めてくれないし、それで出世することもない。国会では、ヤジ将軍などもいるが、それで成功した人はいない。なんともやっていることは女の腐れのようなことであり、どうにもこうにもならない。その上、それを追求すると、とぼける始末で、結局は、自分の発言にいかなる責任も取らず、知らぬ存ぜぬととぼけるだけで、まさに自分から志願して幽霊になったようなものである。こういうのはまったくつかみどころがないし、どこの誰なのかもわからない。こういう幽霊が今後どのように生きようとも、それは自由だが、自分が不正行為をしてきたのに、それを誰も親切に注意してくれなかったなどと言わないで欲しいものだ。またそういうやり方で、仲間を増やすことは難しい。この人物は、特定の同じ10月入所組に対しては、やたらにゴマすりをして、授業中でも私語を続けている。どうも何か勘違いをしているようであり、自分が偉いと錯覚しているようだ。確かに頭は悪くないようだし、器用でもある。不思議なことに、こういう連中は、過去に工業高校を卒業したせいか、頭は悪くないし、器用だし、工業技術系の知識とか、経験も豊富である。確かに仕事のやり方は知っているようだ。ただ共通しているのは、文化的なものは一切ない。何か知的なというか、文化的な、芸術的な高尚なものはなく、神や仏を信じない傾向がある。もちろんそれは個人の自由である。ただし、自分が偉いと思い込んでいるうちは、絶対に本当の友人はできないものである。それに、何か自分の好きな文化的な、知的な趣味を持つべきである。パチンコとか、競輪、競馬、競艇等の賭け事ではなく、何かもっと芸術的なことだ。本を読むのもいい。要するに、今までの荒廃した、すさんだ人生観ではなく、何かこうもっとNHK的な、要するに、一般教養を習得すると、管理職向きとなる。いつまでも、毎日のように、他人に暴言をはき、陰口悪口を言い続けて嘲笑し、他人のゴシップだけで雑談を終了させるのではなく、もっと知的な文化教養度の高い会話をするべきだ。他人に因縁をつけるのではなく、普通の挨拶をするべきだし、それが嫌ならせめて沈黙するべきだ。私が教養があるとか、知的であるということではない。もしもそうであれば、今頃は公務員になって威張っている。訓練生ではなく、所長になって、一日中パソコンで遊んでいる。全て部下に任せて自分は部屋に閉じこもって昼寝をしている。いくら自分の間違った人生観を他人に押し付けようとしても、そんなものは通用しない。訓練校の指導員も大変だ。こういうのを相手にしないといけない。まったくどうにもこうにもならない。ただこの連中の嫌がらせの手口はかなりのものである。しかし、その手口を褒め称える気にはなれない。むしろとてつもなく悲しいし、情けない。若いとはいえ、もうすでにそれなりの年齢であるのに、やっていることは小学生程度である。小学生でもしないかもしれない。まずなによりも悪いのは、卑怯であることだ。自分の安全を確保しつつ、何の関係もない他者を陰湿に攻撃し続け、それを得意としている。反省もないし、罪の意識もない。まったく進歩向上する気もなく、堕落しているのをかっこいいと勘違いしている。再就職しても、相当に苦労するだろうし、逆に職場で相当にいじめ攻撃を受け、上司からもいびられるだろう。だが、巧妙に取り入って、ゴマすりをする技術はあるようだ。仲間とは何であろうか?普通の一般人は、犯罪者と仲間になりたいとは思わない。さらに不思議なことに、この人物は、やたらに警察の話をするようになった。あたかも警察は自分の仲間であるかのような話ぶりである。しかも授業中にその話をしている。休憩時間中は、誰も相手にしてくれないので、授業中に雑談をしたいようだ。こういう連中に共通していることは、とにかく常に誰かを嘲笑しているということである。よほど劣等感が強いのか、常に誰かを見下していないと安心できないようだ。しかし、まともに喧嘩をする度胸はない。そして自分の言ったことを決して認めない。常に堂々巡りであり、水掛け論であり、収拾がつかない。要するに何がしたいのかもわからない。べろべろに甘えん坊であり、まったくへろへろで女よりも女の悪い面が出ている。要するに会話にも筋が通っていない。それは私も同じだが、とにかくいつもぶーたれている。ダウンタウンのはまぐちのように、いつもぶーたれている。何か今までに苦労をしてきたという感じがしない。火星かどこかからきたかのようだ。ただし、他人が不愉快になることはズバリと決して逃さずに言いまくる。もちろん同じことは他の誰でも出来るが、あまりにもガキっぽくて他の人はしないだけだ。こういう連中は、本当に間髪を入れずに、他人を侮辱する方法を心得ているし、相手傷つく言葉を常に考えているようだ。それを武器として大量に備蓄し、常に使用する機会を狙っている。あまりにも悲しい。果たしてこんな人間が、責任ある地位を獲得できるのだろうか。そんなことで部下の信頼を勝ち取ることができるのだろうか?企業の星として、会社の重役として、あるいは、小さな町工場の社長としてであろうとも、そんなチンケな根性ではとてもなれない。そんなことをして、物が売れると思っいているのだろうか?私もいろいろな店を知っているが、確かに店員のなかには、客に対して陰口悪口を言う者がいる。しかし、そういう店員はすぐにいなくなってしまう。長続きしないのだ。それどころか、店そのもがつぶれてしまうことも珍しくない。客に対して、そういう態度をする店が繁盛するわけがない。私がどうしてこのようなことを述べるのかというと、それはこれからここに来ることを計画している人に、実態を知ってほしいからだ。もちろん他の訓練校でも問題はあるだろう。バラ色の訓練校等はないと思うかもしれない。しかし、私は、こういう問題がいつまでも長く続いたということばかり記憶しているのではない。決してすべての訓練校が、こういう状態にあるわけではない。過去にどういう実績、経験があろうとも、謙虚な気持ちは捨てないで欲しい。それを捨てたら人間は終わりだ。傲慢になり、威張り腐り、もう自分は何でも知っているとか、他者よりも作業が早いとか、そんなことは、自慢にも何もならない。それはそれで素晴らしいが、現場で活躍して自慢するべきことだ。それにどんなにそういう技能が優れ、知識があり、早く作業を終わらせられても、他人に因縁をつけたり、侮辱し、嘲笑し、からかい、陰口悪口を言って面白がるなら、そんな人間は、たとえどんなに若くても、有害な存在であり、どんな職場でも必要ではない。会社としては、作業が完了しさえすれば、それでいいのかもしれないが、一人ですべてをやるならともかく、協力してやらねばならばならない時には、そういう態度ではだめだ。またそういう人間に友人はできない。独立行政法人 高齢・障害・求職者雇用支援機構 となっているが、障害というのはどういう種類の障害になるのか不明だ。身体障害者をさすのか、精神障害も含むのか。また、どうして高齢という文字を入れたのかも不明だ。ただの訓練校ということでは、生き残りが困難とみて、ディサービスに該当する社会福祉行政からの支持も得ようとしているのだろうか。確かに明らかに訓練生の性質が変異している。本来の職業訓練というものではなく、障害者の自立支援という形になっている。厳しい教育指導ということではなく、社会的に不適合な脱落者、障害者の保護のために運営しているという形になっている。ここは、一般的な規律とか、規則はなく、いかなる制限もない。自由といえば自由だが完全放任主義だ。授業妨害行為等に対しても、厳しく叱責するとかではなく、逆に媚びへつらい、ごますりをして、おだてて指導するということになっている。他の訓練生が、注意したりすることは許されてない。ただし、不良訓練生が、全く的外れに他者を注意することは、問題とされていない。授業流の私語についても、ほとんど注意はない。完全に放置されている。訓練よりも、再就職をすることが優先されており、面接等があれば、何度でも、いくらでも訓練を休んだり、欠席することが許されている。ただし、全体の8割以上の出席が求められており、8割以下になることが確実になると、その時点で退所処分となる。これは強制退学であり、雇用保険を受給していれば、その時点で支給打ち切りとなる。つまり、訓練校からも追い出されるが、給付金も打ち切られることになる。しかし、就職が目標とはいえ、訓練を受けるために来ているのに、それで途中で消えるということでは、一体何のための訓練であったのかということになる。それも正社員で、待遇がそれなりに良い場合なら別だが、どうでもいいようないつでもすぐに解雇されそうな非正規雇用労働者の、パートアルバイトとして就職するというのは、とても躊躇する。もちろんそれでも就職できればいいほうだし、贅沢は言えないが、悲しすぎる。再就職して、訓練校を出て、すぐに解雇されたら踏んだり蹴ったりだ。もちろん何の生活保障もない。とにかく日本の労働者はあまりにも酷い扱いを受けているのだ。他の先進国と比較しても、日本の労働者は完全に冷遇されている。公務員は別である。公務員は全世界の中で、日本ほど優遇されている労働者はいない。発展途上国と比較しても、日本の労働者の地位は低いほうである。他の発展途上国においては、どんどん労働者の地位は向上してきており、権利意識も高まっている。法改正もさかんだ。日本の場合には、何といっても、労働組合の存在感はない。公務員は別である。本来、公務員は労働組合を作ることは許されていないが、堂々と勤務時間中に労働組合活動をしている。日本は労働組合に加入する労働者が少なく、未加入率は上昇していて、労働組合の弱体化、形骸化が進んでいる。大企業では、完全に労働組合は、経営者側の支配管理下にあり、単なる幹部の出世コースとなっている。労働運動もただのパフォーマンスだ。それに日本では、正当な労働運動に参加することが、あたかも犯罪行為であるかのようにみなされている。西欧諸国では、堂々と、労働運動を行い、それが民主主義活動の一環であることが認められている。ところが日本では、怠け者による反政府主義活動、テロ活動、反乱分子の破壊行為、左翼ゲリラ活動、とにかく騒動を起こしたいだけのお祭り騒ぎ好きとみなされている。労働運動をすることが悪事であると決め付けられている。こういう状況なので、日本の労働者の地位は向上するどこか、どんどん低下しており、惨めな状態だ。労働基準法違反も、不当解雇も職場のいじめや嫌がらせ、セクハラ、パワハラも増えるばかりでほとんどが泣き寝入りである。そもそも正社員に対して、非正規雇用労働者の待遇が悪すぎる。賃金はほとんど最低賃金であり、厚生年金や会社の健康保険にも加入できない。これは基準を満たしていても、加入出来ない。社会保険庁に労働者が個人的に申し出ても、受け付けない。社会保険事務所は、会社側の保険加入を前提としているからだ。さらに恐ろしいのは、日本の労働者に対する重税である。少しでも働くと、たちまち即座に重税となる。消費税だけではない。所得税として給与から天引きされた上に、さらに住民税も支払う必要がある。国民健康保険の加入税率もどんどん上昇する。これは健康保険を使用しなくても、支払わねばならない。もちろん家賃以外に公共料金の支払い、車に対しても、税金がかかる。消費税率がどんどん上昇すると、それだけで大変な負担となる。その一方で、なんとか生活したとしても、高齢になれば、社会保険に未加入なので、いかなる生活保障もない。国民年金には加入最低年月がある。これに満たないと、たとえ支払い続けていたとしても、受け取ることができない。しかも将来的には年金制度は破綻する予定だ。既に実質的には破綻している。日本は民主主義国家ではなく、官僚主義国家であり、ほとんど社会主義国家となっている。それも公務員だけが優遇された、官僚主導の変な社会となっている。資本主義の影もあるが、それは見せかけだけのことで、日本経団連がすべてを支配している。日本に正義はなく、いかなる正当性もない。日本には民主主義はないのである。日本の政治、経済、文化には民主主義の面影はない。そういう状況の中で、訓練校が果たす役割は、微妙となっている。若者の多くが、一部のエリート以外、既に日本を見放している気配がある。すでに絶望感を超えて、ある種の虚無感、恐怖感、何か非人間的な、反社会的とも違う呆然とした雰囲気が満ちている。人間的な感覚が失われつつあり、すでにその魂は、別次元をさまよっているかのようだ。まったく目的意識がなく、ゲームとか、ギャンブルとか、薬物かに没頭している。日本に全く正当性がなく、正義も倫理もなく、何か全てを失いつつあるという印象を受ける。もちろんそれが全てではなく、頑張っている一部の少数派もいる。ものすごい差別を受けながら、とてつもない貧困状態で、絶望的な生活をしながらも、希望を失わず、人の道を外れることなく、悪に走らず、たんたんと、生きている人々がいる。結局は、このような若者が、管理者となるだろう。いかに巧妙に悪賢く生きようとしても、常に素早く迅速に動き、他人を騙し続けて生きようとしても、そこには限界があり、また世の中には上には上がいるものだ。常に他人に対して陰口悪口を言い続け、嘲笑し、侮辱し、からかい、因縁をつけ、とにかく他者の妨害行為しかしない者は、その全ての報いを受けるだけでなく、すべての行為の理由を問われる。たとえ転機が訪れて、成功し、出世し、金持ちになったとしても、それはいつまでも問われ続ける。自分が間違った生き方をしていないのなら、常に他人の顔色を伺っている必要もないはずだ。どんなにいじめの技術が向上して、完璧ないじめ職人になったとしても、それで表彰されるわけではないし、誰からも褒められない。自分でも自分を軽蔑するだろう。もしもまともな人間であれば。もちろんまともな人間はこんなことは述べる必要もない。私のような人間が述べる必要もない。なるほど訓練校に集まる人間の中にはいろいろな人がいるものだ。さすがに長年のいじめ常習犯、本格的な悪人ともなると、一筋縄で対応できるものではない。だが、いくらこちらが関わりたくないと思っていても、向こうからしきりに挑発してくる。それにしても完璧に人をだまし続けている。ものすごい豹変ぶりであり、変わり身が早い。そして徹底的に芝居を続けている。常に周囲をきょろきょろと観察しており、少しも落ち着きがない。権威のある人物に対しては、媚びへつらい、ごまをすり、完全にだまして自分の味方にしてしまう。そして優雅に嫌がらせ行為を継続して面白がるということだ。それをゲームのようにしている。だが、こういう連中にとっては、授業等は退屈なものであり、苦痛なのである。本人自身が、考えることは嫌だと述べている。ところが、悪事は常に考えている。すごい情報網をもっており、非常に素早くどんな人間の個人情報も入手し、徹底的に弱点を暴く。そして弱みを握ったらそれを武器とする。この連中の芝居は大したものであり、思い通りに周囲人間をだますことができる。相手を侮辱するときにも目立たないように優雅にやる。決して単純な攻撃はしない。教師は完全に手玉に取られるか、お気に入りとなる。敵は全くいない。全てを自分の味方にしておいて、攻撃対象だけを狙う。黙ってそれに耐えて、知らぬふりを続けていても、しつこく攻撃をするだけである。怒って歯向かってきたら、それはチャンスとなる。それをネタに今度は、表立って攻撃する。相手が被害を訴えたら、被害妄想にする。全ては計算ずくである。そのようにして今まで生きてきたのだ。こういう連中にとって、普通の一般人等は、まったく何も考えていないのんきな生き物である。自分たちがいかに巧妙で、すばやく、優雅に他人を破滅に追い込むかを常に訓練している。こういう連中にはいかなる夢も希望もなく、ただ破滅だけが待っている。信じるものは何もなく、全てが空虚である。ただ悪事のみに熟練し、そして犠牲者が増える。この連中には善悪の判断はなく、ただ己の欲望のままに生きている。他人が真剣に真面目に授業を受けているのが、がまんならない。何としても邪魔してやろうとする。それを楽しんでいるし、それだけが生きがいだ。もちろん正義感等は微塵もなく、ただひたすらに悪を追求する。取り巻きの仲間はいるが、本物の友人等はいない。すべてを裏切るし、自分だけが大切だからだ。この者には、信念もライフワークも何もなく。未来も何もない。ただ人をだまし続けるだけだ。裏切りと破壊行為の果てには何も得るものはなく、そしてますます自分を限りなく、破滅に追い込む。他人だけでなく、自分自身も世間に埋没し、誰も振り返るものもいない。正義を知らず、真実を知らず、神も仏も信じることなく、ただひたすらに悪事を繰り返し、混乱と破壊と、偽装工作の挙句、全てを失う。他人を常に嘲笑し続けなければならない。それは自分自身が嘲笑されないためだ。それに嘲笑すると、誰もが振り向いてくれる。このなんの価値もない私に。という風にいじめ常習犯は考えているようだ。しかし、それは間違っている。過去の悪事は消せないとしても、今後は変わることができる。神や仏を信じ、人を信じ、悪事でなく、良いことをやり、ただひたすらに善行に励めば、必ず人々からの信頼も得られ、それほど華々しい人生ではないにしても、それなりのささやかな幸福は得られるはずだ。なによりも悪事で成功するよりも、善行で失敗するほうが、かっこいいではないか。それはオシャレな服を着るよりも、派手な車に乗るよりも、素敵なカバンを持ち歩くよりも、かっこいい。神や仏や人を信じて、それで何も得られなくても、それが普通である。だが、信じないのはまずい。神や仏は信じなくても、人は信じなければならない。ただしそれを悪用すると結局自分も信用されなくなる。いろいろ小細工をするよりも、まずはまともに訓練を受け、授業を受けて、そして普通の生活を目指すべきだ。他人にあれこれ危害を加えたり、なんのかんのと陰口悪口を言って面白がるのではなく、その間に別のことをしていれば、ほとんどの用事は完了する。いじめ常習犯というのは、本当にいじめをやめない。いじめに対する執着性というのはすごいものがある。私が今までに見てきた限りにおいて、自主的に、いじめは悪いことだと気がつき、反省して、自分からいじめをしなくなるという事例は皆無だった。家族か、教師や上司等から何度も注意されて、いじめをしなくなったという事例はある。だがそれは非常に少ない。一時的には反省するふりはする。そしてしばらくはいじめをしないが、またいつの間にかいじめを開始する。人間だからいじめをするということではなく、いじめをする人間と、しない人間がはっきりと分かれる。どうしてそうなるのかわからない。いじめをするのは自分を守るためだとする者もいる。自分がいじめ攻撃をうけないようにするために、他の者をいじめるということだ。一時期は日本でもいじめがマスコミで話題となり、凶悪事件も多発して、大問題となった。その後は、あまり報道されなくなった。それでいじめ問題はなくなったのかというと、そうでもない。より巧妙にわかりにくいいじめがはびこるようになっただけである。ただ、日本人の意識も変化してきており、いじめに対する対処方法も変わってきた。日本国内におけるいじめに関する書籍は、相当なものであり、研究者も増えた。ただ、相変わらず教育機関においては、いじめをなかったことにする傾向があり、基本的に泣き寝入りによる解決が多い。いじめには中毒性や習慣性があり、いじめを継続しやすい。世間には上には上がいるので、いじめ常習犯もいじめの対象にされることが多い。日本ではいじめを苦にした自殺が多発しているが、西欧諸国では、いじめの被害者が加害者を銃で射殺する事件が多い。いじめ問題の解決方法は、残念ながら確固としたものはない。何かをすれば必ず解決するということはない。ただ、いじめ加害者が望む通りの戦術にはまると、本当に自殺まで追い込まれることがあるので、注意が必要である。基本的にいじめは犯罪であるので、他の犯罪者への対応と同じで良い。まず、いじめ常習犯は、いじめの証拠が残るのを恐る。それで、いじめの証拠を残す。これは日記等でも良い。客観性がないのではないかと思うかもしれないが、記録は役に立つ。それからいじめ常習犯は証言者を恐る。ただし同じいじめ仲間がいじめの証言等をしてくれるはずがないので、中立的なものか少なくともいじめ主犯格以外の証人を確保する。それからいじめ常習犯は、組織の管理者にいじめの告発がされることを恐る。そんなことをすると、それ以後のいじめがやりにくくなる。ただし、これもあまり期待しない方が良い。そもそもいじめがはびこるのは、管理者がいじめに対する認識力がないからであり、無能であるからだ。そういう状態では、いじめ問題に対応するどころか、隠蔽するだろう。そして組織外部の人にいじめが知られることをいじめ常習犯は恐る。これが非常に重要である。どうしても組織内部の人間はいじめを隠したがる。結局何もしないことが多い。全て被害妄想のせいにする。いじめ攻撃を受けていることを公表することは、悲しいし、みじめなものである。それは決して被害者が悪いわけではないのだが、何かまるで被害者の方が罪人であるかのような罪悪感が出てくる。さて、ここが最大のいじめ常習犯の狙いである。こういう卑怯者は、相手の弱みにつけこんでくる。相手が罪悪感を抱くなら、それが理不尽でもとことん利用するのだ。本当はいじめ常習犯が、不当な嫌がらせ行為をしているのが悪いのに、いつの間にか被害者の方を悪人に仕立て上げてしまう。ここが狙いである。非常に巧妙なものだ。日本ではこういう問題の対策がものすごく遅れているが、アメリカ等の先進国では、いじめ対策がかなり進んでおり、かなりマニュアル化している。そこでの見解では、いじめ問題を解決しようと躍起になって取り組むよりも、まずは、いじめ被害者の告発の自由を確保し、いじめがあることを告発することで、別のいじめや差別や迫害を受けないようにするということだ。あとは個別のいじめ問題に対して、専門家なり、PTAなり、地域社会とか、それぞれが解決策を考えるということである。つまり、いじめ問題の解決策とは、直接的にいじめの被害者とかに押し付けないということである。いじめ常習犯の狙いというのは、集団の力で不当に嫌がらせを行い、被害者個人が、一人で悩み苦しむことを希望しているのだ。そうなると、どうしても、多勢に無勢であり、卑劣ないじめ集団が勝利することになる。そうではなくて、いじめ被害者が一人で思い悩むでのはなく、他の者にも協力を申し出るということが最良の策であるとしている。いじめが深刻化する背景は、集団と個人という数の戦いで悪でも数が多い方が勝利してしまうということにある。ただし、それが本当の勝利と言えるのか疑問だ。多くのいじめ常習犯は、その後、悲惨なことになっている。たとえそのときには罪に問われることなく、いじめをやることができたとしても、それで何の利益になるのかわからない。もしもそれが本当に楽しいということであれば、もうすでに人間とはいえないのではないか。もしもそういういじめ常習犯も結婚して家庭を持ち、子供が出来たら、その子供が同じ目に遭わないという保証はない。それともいじめの手口を伝授するつもりなのか。また、いじめを繰り返していると、卑怯な性質が習慣化し、その結果、いかなる幸福も逃げてしまうことになる。いじめ常習犯は、必ず、自分の家族に対してもいじめをするし、それどころか自分までもいじめるようになり、理性を失う。また確実に天罰が下り、確実にあらゆる不幸が襲い掛かってくるだろう。少なくとも、私はいじめ常習犯が、幸福な老後を過ごしたという話は聞いたことがない。いじめをしていても、いじめはしていないと嘘を言い続けると、それも習慣化し、そのうち、自分自身が自分の言葉を信じられなくなる。すると、発言力もどんどん低下し、誰からも信用されなくなるし、就職も難しくなる。たとえ再就職できても、すぐに解雇される。神や仏を信じないで、いじめの力だけを信じて生きるなら、いじめの奴隷となり、いじめの召使となる。やがていじめが主人となり、個人の自由は失われる。いじめを武器として生きることは、いじめに人生を支配されることを意味する。いじめは自分の正体を隠してやるものなので、いじめに熟練すると、もはや公式の人間になることは出来ず、常に闇の中で隠れるしかない。もしも光の中に出ると、過去のあらゆるいじめが暴露され、そのために責め続けられてしまう。自分だけでなく、身内まで犠牲になる。あらゆるいじめの責任はすべて詳細に渡るまで、問いただされる。いじめはしていないと嘘を言い続けるなら、その人物の言葉を誰も信用しなくなる。の電気設備科担当教官に突然呼び出された。そして、1月27日の件について問いただされた。そして、午後5時40分頃まで、文書に署名捺印をするように強要された。その文面とは、授業妨害を二度としませんという内容のもので、私が全くやってもいないことが書かれており、そして言ってもいないことが書かれていた。それは、1月27日に例によって例の如く、xxxxが授業中に騒いでいたので、注意したところ、それを逆恨みして腹いせに嘘の証言をしたものらしい。私てっきりこのxxxxの方が厳しく注意されているものと思っていたが、それはとんでもないことだった。担当教官はまったく何も知らず、当日も別の教官が担当していた。私としては、正常な授業状態にするべきだと判断して注意したものである。ところが、何と、注意した側が悪いとうことになり、嘘ばかり並べられている虚構の書類に強引に署名捺印をすることを強制されたものである。こういう汚いやり方にも怒りを感じる。そもそも担当教官がきちんとした対応をしないためにこのような事態に陥ったのに、隠蔽工作のため、地位保全のため、とにかく何事も無かったかのように済ませようというやり方である。それも2時間以上も嘘の証言に署名捺印することを強制した。これは明白な犯罪行為である。他の者による授業妨害を放置しておきながら、それにを指摘し、正常な状態にしようとする者を罪に陥れようとしている。騒ぎを起こしている者は、注意されても、笑っているだけであったのに、それは考慮されていない。この件について、ハローワークの職員と、警察官に相談した。すると、ハローワークでも警察でも、そういう虚偽の始末書に署名捺印するべきではないという回答だった。しかしながら、普通の人間であれば、2時間以上にわたり、狭い場所で、署名捺印するように強要され続ければ、ついそのようにしてしまうかもしれない。そもそも疑問なのは、どうして本当に授業妨害をしてる者が放置され、野放し状態のまま注意もされないのに、そのものに対して注意することが許されないのだろうか。そして2時間以上も身に覚えのない虚偽の内容が明記された書類に、署名捺印をするように強要するというのはどういうことなのだろうか。本当に恐ろしさを感じる。それにナンバーを取り外したままの車は現在も毎日のようにここの駐車場に出没している。そういうことに対しては何もしない。私はこの事勿れ主義の恐ろしさを感じる。全てを隠蔽し、正しい行為をする者を悪人に仕立て、虚偽の不正な文書に署名捺印させるとはあまりにも恐ろしい。こんなことがまかり通るのが日本なのだろうか。訓練校のすべてがいい加減であるとは限らない。特に認定訓練校の場合には非常に厳しい。認定訓練校とは、専門学校など、民間組織を訓練校として認定しているものだ。認定訓練校は、資格取得を第一目標としているが、それだけでなく、本気で、就職を目指している。ただの取得だけでない。独立行政法人の訓練校は、完全に公立ではない。だが完全に民間組織でもない。独立行政法人の訓練校は、資格取得を推奨はしているが、義務ではない。また期間が短いので無試験で資格取得できるようなものは少ない。もちろん講習会を受講すると自動的に取得できるものもあるが、種類が少ない。独立行政法人の訓練校に通う訓練生でも、勉強熱心な者もいるし、高度な資格試験を独自に受験して、独立開業した人もいる。ただし、いくらでも怠けようと思えば、怠けられるのが独立行政法人だ。民間委託の認定訓練校は就職率が高いので、人気があるが、かなり競争が厳しく、入学できないことが多い。独立行政法人の場合でも、面接や適性検査があり、たとえ定員未満でも入所できないことがある。また住宅リフォーム科などの人気が高い科目は、希望者が多くて、入所できないことがある。訓練校も昔は国が運営していた。そのときは非常に良かったのである。しかし、独立行政法人がやるようになってから、急速に腐敗が進んだ。すべての人が失業保険目当てではなく、中には、自腹を切って、自前で通学している人もいる。授業料は無料だが、テキスト代とか、制服なども購入しなければならない。ただし作業服についてはすでに所有しているものを着用してもいい場合もある。つまり、純粋に技能と知識を獲得するために、自費で通学している人もいるのだ。ただしこれも、雇用保険受給者優先なので、場合によっては入所できないことがある。民間の認定委託の訓練校は、かなり授業内容が厳しく、いい加減な気持ちで入学することは避けたほうが良い。怠けているとまったく授業についていけなくなり、嫌になって、途中脱落することもある。そのかわりほとんどの人が受験に合格するし、就職率も高い。民間委託の認定訓練校の場合には、ノルマ達成の義務があり、試験合格や就職率しだいでは認定取り消しのケースもある。しかし、独立行政法人の場合には、天下りが支配しているので、絶対に消滅することはない。それで腐敗と堕落が進行する。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。