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江藤淳「南洲残影」を五年程前に読んで、その後、本を無くしてしまったので、今日買って来ました。文春文庫(499円)
本の前のほう59ページぐらいまでが好きです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−以下引用
西郷とともに薩摩の士風が滅亡したとき、徳川の士風もまた滅び去っていた。瓦全によっていかにも民生は救われたかもしれない。しかし、士風そのものは、あのときも滅び、いままた決定的に滅びたのだ。これこそ全的滅亡というべきものではないか。
ひとつの時代が、文化が、終焉を迎えるとき、保全できる現実などはないのだ。玉砕を選ぶ者はもとより滅びるが、瓦全に与する者もやがて滅びる。一切はそのように、滅亡するほかないのだ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−中略
私の脳裡には、昭和二十年八月の末日、相模湾を埋め尽くすかと思われた巨大な艦隊の姿が甦って来る。日本の降伏調印を翌々日に控えて、敗者を威圧するために現れた米国太平洋艦隊の艨艟である。あれだけ沈めたはずなのに、まだこんなに多くの軍艦が残っていたのかという思いと、これだけの力を相手にして、今まで日本は戦って来たのかという思いが交錯して、しばしは頭が茫然とした。しかし、だから戦わなければよかったという想いはなかった。こうなることは、最初からわかっていた。だからこそ一所懸命に戦って来たのだと、そのとき小学校六年生の私は思っていた。
その巨大な艦隊の幻影を、ひょっとすると西郷も見ていたのではないか。いくら天に昇って星になったと語り伝えられた西郷でも、未来を予知する能力があったとは思われないというのは、あるいは後世の合理主義者の賢しらごとかも知れない。人間には、あるいは未来予知の能力はないのかも知れない。しかし、国の滅亡を予感する能力は与えられているのではないか。その能力が少なくとも西郷隆盛にはあり、だからこそ彼は敢えて挙兵したのではなかったか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−引用終了
まるうつしな投稿ですが、私本人の呆け防止にはなります。
「艨艟」の文字が大変でした。
あと、57頁の「おそらく西郷は、こういいたかったに違いない。」以下も入れたかったけど、疲れちゃった。
江藤淳さんの本は、これ以外は、ほとんど読んでない。
ほかの人の本で引用されていたので、読んでみた。
また来年もよろしくね。
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