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つれづればな
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より転載
- 2011/12/11(Sun) -
島国日本に生まれ育った者にとって「国境」を意識することは少ない。四方の海が我が国の稜線を描いてくれているからだ。
しかしそれは最後の数千年に限ったはなしで、太古の先祖たちは食料を求めて世界中を移動しながら生きていた。気候が変われば海流も植生もかわり動物と人がそれに続いたのだ。そして気温が下がれば海から陸が現れた。今の地球とて一つの瞬間をとらえた姿を見せているに過ぎない。
更新世と呼ばれる約180~1万年前は氷河期に相当する。海面は低く、日本列島は大陸と地続きかそれに近い形であった。動物を追って大陸から幾度にもわたりやってきた人間が、原日本人となった。
民族の源流を辿る作業はある種の危険を孕んでいる。人間たちが血で血を洗う争いの中で虚構を築き、騙し、覆い隠してきたものを覆すことになり兼ねないからだ。だが、自らを熟知することは行き先を見失った今日の日本人に最も必要なことと確信している。
人類学や考古学のみならず、言語、動植物、鉱物、金属、地質、医、農、遺伝子その他あらゆる分野の学者のたゆまぬ研究があってこそ先史時代への眺望が開かれる。そしてそれに対し敬意を惜しまない。しかし「学会」という大矛盾が研究者たちのえりくびを掴んで離さないのだ。世界中に言えることだが、学会の意向に沿わない研究には研究費がつかない。学会のお墨付きがなければ世に出ない。へたをすると命の保障がない。世の中がそんな体たらくであるからこそ、学者の立場にない素人の我々が審美眼を得るべく心がけては如何だろうか。
今回の記事を書くにあたって以下のサイトを参考にし、そこに筆者の考察を付け加えた。本来なら引用と考察を分けて書くべきところであるが煩雑にならぬようにと敢えて混載したものであることをお断り申し上げる。
「日本人の起源」http://www.geocities.jp/ikoh12/index.html
膨大な資料と多種の学説を比較しながら「日本人論」を展開させたサイト、ぜひご覧いただきたい。
何処からどんな民族がやってきたのだろうか。人類遺伝子学研究の松本秀雄氏によるGm遺伝子の研究成果からろいろなことが解ってきた。
日本に最初に足を踏み入れたのが誰であったのかは諸説あっても定説はない。ここでは前後関係をゆるく解釈して書いてみる。
ロシアのバイカル湖周辺に3〜2万年前までに到達した人類は細石器の使用を体得し、そこからアジア各地へと広がった。細石器とは木や骨で作った刀身に溝をつけ、そこに石のへき開性を利用した剃刀のような「石刃」を埋め込むという手法からなるもので、刃こぼれをおこした時に刃を取り替えて手入れが出来るという「進んだ」石器であった。我が日本にもその細石器をたずさえ樺太を経由しやって来た。彼らをバイカル湖系東日本縄文人と呼ぶ。
そのころの関東以北にはそれ以前から半円錐形細石刃石器群をつかう集団が分布していた。原縄文人とする。
そして同じころ、あるいは数万年遅れて黄河流域の文化圏から華北人が南下し、北九州側からやってきた。彼らもまた違う細石器をもたらした。彼らは華北系西日本縄文人である。
バイカル湖系東日本縄文人、原縄文人、そして華北系西日本縄文人みなともに原日本人である。
日本人の先祖や渡来人のことを議論するときに陥りやすいのは日本列島の姿が変化し続けていることを忘れ、大陸と完全に切り離して考えてしまうことだ。1万年前に完新世に入り海面の上昇は日本を大陸ら別けた。この後も大陸とは航海をして行き来の絶ることなく、また長江下流文化圏から稲作と共に江南人がやって来た。
ここで是非強調したい。これらを全て渡来人、或いは大陸文化と呼んでいたのでは日本は渡来人の集まりということになり、それこそ大陸の辺境でしかなくなってしまう。そんな解釈でいいのか。
バイカル湖は、寒い。バイカル人は寒冷地に強い遺伝子を得ていたことに違いない。以前の記事で江戸っ子が寒さに強かったと書いたが、これもバイカル人の血を引いているからかもしれない。彼らは大型動物を追いかけて樺太を越えて来たものの、その動物が減ってゆくに従い不足した食料を木の実やイモ類で補わざるを得なくなった。そうしてアク抜きや調理に必要な土器が現れた。世界で一番早いとされる土器の出現である。またお家芸の細石器の材料も、細石器とするにはこの上ない、大陸では稀な黒曜石という石を見つけ出し加工している。世界一の「モノつくり」である日本人には、この東の祖先の遺伝子が生きているのだろう。
北九州でも、先にいた華北人と後から現れた江南人とは争った形跡、つまり槍の刺さった人骨などが見られないという。通婚し、融和していったのだろう。近年、縄文時代の地層から籾の痕跡が多く見つかっている。稲作は思いのほか早く始まっていたらしい。
まだ陸稲が主流だったにちがいないであろうが、縄文中期以前の水田跡も発見が相次いでいる。ある時点で水稲がもたらされたのだ。
水稲耕作は恐ろしく手間のかかる農法である。それに加えて灌漑や備蓄のための労力も必要になる。水田でコメを作るためには、狩猟・採取の縄文生活を半ば棄てることになるだろう。それを覚悟で水稲に転ずるには縄文人たちのそれなりの理由が必要だ。人口が増え耕作を可能とするだけの労働力ができ同時に食料が必要になったのか、あるいは気候の変化が採取に依る食糧事情を変えたものと推測される。いずれにしても大陸人が突然大量に押し寄せて水田を作ったという類のはなしではなさそうだ。
海の民にとって、北九州と大陸はお互いの庭のようなものだったであろう、絶えず行き来するうちに、その目で見た水稲の技術に驚き日本に持ち帰り根付かせた縄文人がいた。そんな西の先祖の遺伝子は、世界中にトンネルや橋梁をつくった土木の棟梁たちに受け継がれているのだと強く思う。
そして言語。
大陸の北、南、或いは半島から民族たちがそれぞれの母語を携えてこの島に集まったのだから、日本語の源流を一つに絞ることはできない。日本語は異言語が出会い、融和したことで生まれた言語といえる。道具を作り、使い、集団で狩猟生活をしていた彼らはすでに高等な言語を以って意思の疎通をし合っていたに違いない。
アルタイ語族の中に数えられるツングース語というものがある。膠着語であること、母音調和をすること、語順が主語→目的語→述語であること、これが日本語の特徴に通じていることから我らの祖語の一つと考えられる。このツングース語この流れを汲む言語は日本語のほかに満州語、朝鮮語、モンゴル語、テュルク諸語などがある。この分布は先に記したバイカル人の足跡を辿っている。アイヌ語やエスキモー諸語、北米祖語にもその片鱗がみられる。
南太平洋を囲む地域に見られる言語群をオーストロネシア諸語という。遠くは南インド発祥のタミル語やオーストラリアのアボリジニ語、インドネシア、ポリネシア諸語などを指すのだが、日本語は語彙の面でこの南方の言葉に大きく影響されている。特に稲作を巡る語彙群に多く見られる。
この二つが日本語の原型をかたどる大きな要素であろう。文法はツングース語に拠り、語彙の一部はオーストロネシア諸語から来た。そして列島の中で生まれた語彙とともに暖められた原日本語「やまとことば」に、中国語が漢字とともに流入し奈良時代までに出来上がったのが「上代日本語」である。
ツングース語の担い手たちが散った先々に共通して見られるのはシャーマニズムである。人間界と自然界の仲立ちをするシャーマンがおり、両者の調和を保つことで霊の守護を受けるという古代からの信仰をいう。
オーストロネシア諸語のある地域には、あまりいい言葉ではないがアニミズムが存在する。人、動物、山、海、森、石、この世の森羅万象すべてに霊が宿ることを信じ崇拝の対象とした信仰であるが、西洋人が侮蔑をこめてつけた名前がアニミズムである。
日本の島はこの二つの自然信仰が出会うべき約束の地であった。
この島に引き寄せられるように集まった我々の先祖は海というゆるやかな国境に守られながら共同体を育て、そうして日本ができた。霊を畏れ、お互いを助け、侵し奪うことを戒める社会ができた。いま我々が日本史として捉えている最後の二千年余りの土台にはその千倍はあるであろうこの長い営みがあった。
「遺伝子」という言葉など知られぬころ、子が親の素質を受け継ぐのは「血―チ」のなせるわざと解釈していた。血は争えないと知っていた。筆者にも、読者の皆様にも、遠いバイカルの地、そして黄河、長江、あるいは南海の島々からこの島を目指して旅をしてきた先祖の血が流れている。ただの酸素を運ぶための体液でしかなかったはずの「血」が世代を越え時を越え今に伝えたものは何か、それは「霊―チ」であった。血を忘れ霊を軽んじた末がいまの日本の姿であろう。
関東より南には意地でも動かなかった東日本縄文人たちも食料の事情があったのであろう、観念して南下を始め、水稲耕作の生活へやっと移行した。生き方を大きく変えることが自らを取り巻く霊たちの怒りを買う、それを恐れたのであろうか。やはり東の縄文人たちの危惧のとおり、時代は弥生へと移るのであった。
ここで思い出されるのが、スサノオノミコトとオオナムチ(大国主)だ。
いずれ書いてみようと思う。
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