01. 2012年6月01日 22:29:38
: U3yN6c6aqg
投稿主様、こんにちは。先日は国鉄について書かせていただき、ありがとうございます。今回はベトナム戦争ですか。ベトナム戦争というと、当方は小学校に通っていた頃でした。当時は太平洋戦争が終わって20年以上が経過していましたが、兵隊に行ってアメリカと戦った元軍人が結構、あちこちにおられました。農家のおじいさんとか、農協の偉い人とか。彼らは言いました。「アメリカは野蛮や。あいつら、昔と同じことやっとる。」明らかに国際法違反の、非戦闘員に対する無差別爆撃がボーイングB29からB52に代わり、機銃掃射がノースアメリカンP-51からF-100に代わっただけで、大量殺戮が繰り返されていました。当方は分かりませんでした。どうしてジェミニ計画やアポロ計画で、宇宙ロケットを打ち上げるほど進んだ国が、戦争をするのか。子供の疑問です。これに答えられた大人はいなかったと思います。ベトナム戦争はアメリカの暗部と知っていたのか、テレビは話題をそらそうと楽しい番組を次々と放送していました。今じゃ全く見なくなったテレビですが、昔はよく見ていました。朝から夜までかじりついていました。アメリカのテレビ映画が多かったです。そのためか女性の好みが、金髪美女になってしまい、未だに当時を引きずっています。アメリカを批判する割に、洗脳が解けませんな。 それから何年か経って、海外短波放送を受信する、BCLと言う趣味が日本中で大流行しました。世界各国から日本に向けて日本語放送が行なわれている。当方も短波の聴けるラジオを両親に買ってもらって、いろいろな放送を聴きました。すると、北ベトナムから日本に向けて放送されていると言うではありませんか。25メーターバンドを外れた12020kHzあたりで聴けました。当時の短波ラジオは大抵、75メーターバンドの3.9MHzから25メーターバンドの12MHzが守備範囲でしたから、辛うじて聴けたことになります。話は変わりますが、これより高い周波数の19メーターバンド(15MHz帯)を使用していた西ドイツのドイチェ・ヴェレは、なかなか聴くことができませんでした。 驚くなかれ、北ベトナムからの日本語放送は、日本が連合国に降伏し第二次世界大戦が終了した直後に、独立の父ホーチミン氏が独立宣言を出して間もなく開始されたと言います。ベトナムは昔から日本を大切な友好国と思っていたそうです。 第二次世界大戦前、ベトナムはカンボジア、ラオスと共にフランス領でした。第二次世界大戦が始まり、フランスがナチス・ドイツに敗北し、ドイツの傀儡政権であるヴィシー政権が発足します。ドイツは日本の友好国ですから、そのルートを使い日本陸軍のベトナムへの進駐をヴィシー政権に要請すると、簡単に認められました。1940年から日本陸軍はベトナムに進駐したのです。 1945年に日本が降伏すると、日本陸軍の扱いが問題になりました。ヴィシー政権は倒れ、ドゴール将軍率いるフランス臨時政府が統治することとなり、日本陸軍はすみやかに本国に引き上げることとなりました。ところが、大東亜共栄圏の教育を受けていた若い日本の軍人は、これを無視してベトナムの独立戦争に加わりました。この現象はインドネシア、マレーシア、ビルマなどでも見られたと言います。日本政府は戦勝国のフランスとの関係を荒立てたくないことから、早期の引揚げを勧めましたが、日本陸軍の若い軍人たちは、フランスからの独立を目指すインドシナ戦争で果敢に戦い、戦死した人もいました。日本陸軍が大量に保有していた武器弾薬が、ベトナムの力となりました。ベトナムから見て、日本は特別な国なのです。 しかしフランスも勝手だねえ。ナチス・ドイツに占領されると、祖国奪還の戦いを正義の戦いとしたくせに、植民地の独立を認めないとは二枚舌もはなはだしい。結局、フランスは第二次世界大戦を終わったのに、再び本国から遠く離れた極東の地で意味のない戦いを強いられ、国の経済の復興どころではなくなったのです。フランスは「病める大国」と呼ばれ、徴兵で送り込まれる若い兵士の士気はないも同然。独立に燃えるベトナムの若者に勝てるわけがなかったのです。 フランスは第二次世界大戦で国土が戦場となり社会基盤を破壊され、経済の再建が迫られているのに再び戦争に深入りして、8年後に敗北して無残に撤退しました。その後第二次中東戦争でも敗北し、アルジェリア独立戦争で軍部の不満が高まり、コティ大統領は自分の力では無理だと、退役していたドゴール将軍に政界復帰を要請します。年老いて年金生活を送っていたドゴール将軍は首相になり、第五共和政憲法を起草し、自ら大統領に就任しました。彼は植民地の独立を認め、1960年にフランス領サハラが多くの国に分かれて独立。アルジェリアも1962年に独立しました。 フランスがインドシナから撤退した後に入ってきたのがアメリカです。彼らは当時、世界が震撼した「ドミノ理論」を信じ、共産主義が世界中に広まると考えていました。共産主義の拡大を中国、北ベトナムで止めようと、民衆弾圧で国民の支持を得ていない南ベトナム政府を支援し、大量の兵器と軍人を投入したのです。アメリカ軍は連日、B52爆撃機による「北爆」を行ない、F105サンダーチーフ戦闘爆撃機でナパーム弾や、枯葉剤で攻撃しました。これに対し北ベトナム軍は、ソ連から供与された旧式のミグ17やミグ19戦闘機の他、最新のミグ21を使い、アメリカの爆撃機や戦闘爆撃機を次々と撃墜していきました。これを見た、今は亡くなっているおじいさんは「北ベトナムには、大和魂がある。」と褒めていたそうです。インドシナ戦争でベトナム側に立って参戦した日本の若き軍人の多くが、現地に残って現地の女性と結婚し、そのまま老人になって亡くなったと言います。その意味で、ベトナムは日本を特別な国だと思っているそうです。 数年前、ある店に電気製品を買いにベトナムの若い娘さんが来ました。研修生として働きに来ているとか。日本語が分からないので、いろいろ助けてあげました。思ったものが買えて当方に感謝してくれましたが、当方は思わず言ってしまったのです。 「仇を取ってくれて、ありがとう。あなた方は日本が負けたアメリカに勝ってくれたのだから。」 |