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足利尊氏の弟、直義と尊氏の執事である高師との対立から起こった足利幕府内の争乱のことを、世に「観応の擾乱」と呼ぶ。
11月29日(火)、例のごとく午後になってから「観応の擾乱」時の古戦場、加東市滝野町にある光明寺をオートバイで訪ねてみた。
<参照>
観応の擾乱(Wikipedia)
光明寺では、足利尊氏と直義方の石塔頼房(足利一族の武将)がそれぞれの大将となって戦い、石塔頼房の軍が勝利を収めた。石塔頼房が光明寺本堂裏に本陣をおいたので世に「光明寺合戦」という。
宮本武蔵の養子、伊織がその社殿を再建した泊神社前を西に向かって加古川に出る。あとは主に堤防を川上へたどると、加東市滝野町に着く。播磨中央公園の北側にある舗装林道を上っていくと光明寺である。駐車場からの眺めはなかなかのもの。
この山の上に光明寺がある
歩いて急傾斜の参道を本堂に向かう。
途中に塔頭がいくつかある。
仁王門が見えてきた。
このお堂の向こうに本堂がある。
ここが本堂。
その裏に石塔頼房の本陣跡がある。足利氏の家紋である二つ引両が飾ってある。
光明寺を降りて、麓の播磨中央公園に行く。ここに四季の園があるので散策をと思ったのだが、あいにくの休園日だった。
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