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つれづればな
http://turezurebana2009.blog62.fc2.com/blog-entry-63.htmlより転載
- 2011/11/22(Tue) -
かつて日本の国になかった物事が外の国から入り込んでくると、あたらしい言葉をつくらねばならなくなる。明治の世に西欧の思想を輸入するにあたり、新政府は多くの新語を登用した。
この「キライなことば」の連作で綴った「正義」「平和」「健康」などは全てこの新語にあたる。これらの言葉は我が国にはなかった。そのようなものがなくとも充分生きてゆけたのだから必要すらなかった。。病でない者に薬などいらぬのと同じだ。ところが故意に病原菌を撒き散らされた挙句に特効薬を押し付けられたのだ。この妙薬は口には素晴らしく甘いが知らぬ間に体中を蝕む。そして使い出すと止められない。
この新語を世に広めた、あるいは自ら造語したのは森有礼、福沢諭吉、西周(にし あまね)ら、すなわち啓蒙家と呼ばれた知識人たちの結社「明六社」である。彼らの目的は「国民に教育を広め先進国にふさわしく育てる」ことだが、言い換えれば祖先から受け継いだ心を否定し、国民を西欧の鋳型にはめて「改鋳」することだった。西は漢字廃止論者であったし、森に至っては英語を国語とすることを主張していた。
このような結社が新たに造語した言葉は軽妙浮薄であるに留まらず人心をたぶらかす「まやかし」をしたたかに秘めており、日本を呪う怨言であっても日本語などではない。
おりしも我が国に土足で踏み込もうとしているTPPを称して「自由貿易」とよろこぶ世論をみれば、明治の「呪い」がいよいよ身を結ぼうとしているかに思える。
日本で「自由」と訳されたのは共に異なる起源を持ち、今はほぼ同じ意味で使われている liberty と freedom の二語である。Libertyが拘束や恐怖などからの開放を謳う「〜からの自由」の意味合いが強いのに対しfreedom のほうは信仰や言論、恋愛など即ち「〜への自由」に近い。ただし手続き上は両者とも地続きである。
「西洋哲学においての自由」の議論は書籍でもネット上でも腐るほど為されているため本稿では割愛するとして、freedomの語源に注目すればそれは「我儘放蕩」に辿り着く。異教徒の国を侵略し、宝物は持ち帰り放題。近代以前の暴君の姿そのものである。Libertyの語源は「制限されない」で、民衆や奴隷として生まれなかったことの自由をいう。フランス革命以前の西欧社会では自由とは貴族や裕福層にのみ許された「特権」であった。そもそも全ての人が享受し得る言葉などではないのである。すなわち搾取される側が「自由」を手に入れた場合、それはすでに「特権」としての価値から逸脱したことになる。
「自由」のための革命の顛末はいかに。色と欲とにまみれて異臭を放つ特権階級の「自由」を一時的に破壊したのみに留まり、時代が変われば新たな階層が新たな搾取をはじめたではないか。ウォール街のデモを眺めて溜め息がでるのは筆者だけではないはずである。
さて、幕末より昔のわが国に「自由」はあったのだろうか。
現存する最古の書物「日本書紀」にすでに「自由」の文字がある。おそらくは「後漢書」をとおして漢語から輸入したであろうそれによると、神武天皇の子であった手研耳命(たぎしのみみのみこと)が父の崩御をうけその腹違いの兄弟たちを手にかけようとしたが、異母弟の神渟名川耳尊(かむぬなかわみみのみこと)が手研耳を成敗し天皇に即位した(綏靖天皇)。
ここで、手研耳命の性格の記述が「威nゥ由―いきおひほしきまま」とあり、それは明らかに傍若無人を意味している。
福沢らの啓蒙のお題目は日本を西欧と肩を並べ得る国にすることであったが、その手段に選んだのは西欧化そのもの、つまり西洋の思想、価値観をそのまま受け入れることであった。そのためには古代から幕末までの日本人が培ったすべてのものを過去の遺物かのように見せる必用があった。そこで何が何でも引き合いに出したかったのが絶対王政を打ち壊したfreedomとribarty であり、これを封建的な旧幕府体制の否定の道具に使う算段をした。そして古書をひっくり返して見つけたのが、この「自由」のふた文字だった。
「他人の妨を為すと為さゞるとの間にあり」
「学問のすゝめ」では「自由」と「我儘放蕩」の境目をこう記してある。
ところが「天の道理に基き人の情に従ひ他人の妨をなさずして達するべき」などというサラ金の広告まがいの注意書きが付いている。まことしやかに謳ってはいるが、人にそんなことが出来るなら警察も軍隊も法律も必要ないではないか、べらぼうを抜かすにも程がある。詭弁である。福沢らに続く改革派はだからこそ、「自由」をあたかも翼を手に入れたかのような輝く瞬間、それを共に享受する者たちと賛歌をうたい、恐怖や拘束から開放された喜びと安らぎを抱きしめる…と、学校教育と娯楽映画、そしてメディアを駆使して薔薇色に塗りたくったのだ。
しかしその実はどうだ、権力者の自由から解放され自由を勝ち取った民衆は自由の名のもとに富と力を手に入れた。障壁のない自由な世の中は流動する富と力をさらに加速させ、その激流に耐えうるものは増長し、そうでないものはかえりみられることもなく波間に漂う。そして叫ぶ。「我らに自由を!」
古代中国においての「自由」とて同様、漢字の成り立ちで一目瞭然である。「自」らが「由―よりどころ、わけ」を作り出してしまうのだから、今の世にはびこる自由などお里が知れている。
人は天の道理に常に拘束されている。水と空気のないところでは生きられず、子は親を選べない。そしてこうべを垂れて死を迎え入れるしかないのである。人とはもとより一時も自由などではないのだ。日本人は遠い昔からそれを知っていた。それに抗うことなく生きていた。浦島太郎は竜宮城を去り、竹取の翁は不老不死の薬を焼いた。
世に天の道理にそむき人の情を踏みにじり他国に妨げを為し続ける国がある。その国の御本尊は「自由の女神」と呼ばれている。
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