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三度目の鎖国
つれづればな http://turezurebana2009.blog62.fc2.com/blog-entry-61.html より転載
- 2011/11/02(Wed) -
TPP加入が平成の開国と言ったのは何処のどいつだったか。
過去の人、菅直人氏による施政方針演説だった。
その演説で「平成の開国」に先立つ「明治の開国」「戦後の開国」はなにを意味していたか。
まずは「明治の開国」。
江戸幕府が開国して明治になったのだから「明治の開国」というのは明らかな誤用だ。それはそうと、黒船が突然やってきて開国したのではなかった。1700年代の終わりからロシアの商船や米仏探検隊の船がちらほらと日本近海に現れるようになった。最初に日本との通商を求めてきたのは女帝エカテリーナ二世のころのロシアであった。漂流の末にロシアに辿り着いた日本の商人・大黒屋光太夫を日本に送り届けたラクスマンによって通商希望の親書がもたらされたのが最初である。日本は十一代将軍家斉のころ、欧州ではフランス革命が起こった直後である。
その後もロシアとの通商はのらりくらりと断り続けた。それとは別に、国交のあったオランダという国がフランスに倒され消えててしまった。主を失った長崎のオランダ商館は存続の道をアメリカ商船に求めた。そしてアメリカ船が地図上から消えた国・オランダの国旗を掲げ長崎に入港し臆面もなく日本と取引をしたのだ。その後何故かイギリスまでもがオランダ船を装い長崎に入港するようになった。ほかにも難破をよそおい日本側に保護を求めたりなど列強はあらゆるインチキを画策し日本に食入ろうとした。北の海ではロシア船との小競り合いが絶えず、幕府はついに異国船打ち払い令を出して頑なに鎖国を通そうとした。
1842年に清国がアヘン戦争によって凌駕されると幕府も世界に対する意識を変えざるを得なくなる。このころから開国せねば武力行使も辞さぬという恫喝が浮き彫りになりだし、そしておよそ十年の後に、黒船はやってきた。
日本にとっての超大国、清を打ちのめした列強が艦隊を従えて「開国しろ」と詰め寄ったのだ。開国とは即ち欧米主導の国際枠組みに羽交い絞めにされ不平等条約を受け入れることを意味し、拒否をすれば国も民も焼かれ、残ったものは捕虜として生きることを強いられたであろう。
ここに締結された日米通商修好条約の改正は日清・日露戦争にすべての国力をつぎ込むことでとやっと実現した。教科書では外交努力などと書いている。この間にも世界は大戦へと歩み続け、欧米が描いた国際枠組みどおりに日本はその主役にすえられる。国際連盟を離脱、世界から孤立した。
「戦後の開国」とは。
ここでくどくどと書くまでもなく、二つもの原爆を落とされたあとでは降伏するほかなかった。原爆によって戦争が終結したのは人類史上これが最初で最後だ。戦後日本は完全にアメリカの傘下にはいり現在に至る。GHQは日本の産業・法制・教育すべてに介入し日本を「育て」なおした。核の脅威に守られ平和な社会のなかで経済成長を遂げる傍らこの小さな列島は原発だらけにされた。今も駐留する米軍には国家予算級の手当てを出し、紙屑同然の米国債をひきとり、石油、食料、その他何を何処から輸入するにもご機嫌伺いをせねばならない。日本が安くて良いものを作ると買うくせに怒る。いったいどうしろと言うのだ。
機械部品ひとつまともに作れない、しかもろくに働く気がないし何より満足することをを知らない連中は日常的に何をするか、横取り以外に思いつくことはない。屁理屈をこねくりまわしていたかと思うと突然攻撃しだす迷惑千万な蛮族である。一族郎党さっさと荷物をまとめて火星にでも行っていただけると誠にありがたい。
その蛮族の長がTPP・環太平洋パートナーシップなるものを引っさげてまた我々に詰め寄ってきている。日本ではその内容すら明らかにされないまま次元の高いとはいえない議論が展開されている。それも、ごく一部で。これは日本がのTPP加入が不可避であることの裏返しである。過去の二度の開国のように、拒否をすれば何をされるかわかったものではない。国難より自分の首が心配な政治家と財界人がTPP打ち払いなどを一瞬たりとも考えるはずがないのだ。フセインの最後、病床のムバラク、暴行をうけるカダフィ、世界を駆け抜けたこれらの画像は、ハリウッド映画に慣らされた市民の目にはその延長としか映らなかったであろう。が、各国の首脳とそのとり巻きたちは明日は我が身と青くなったに違いない。
万にひとつ日本政府がTPP加入を拒んだとしたら、それは「江戸幕府の鎖国」「国際連盟脱退」に次ぐ「三度目の鎖国」といえる。事態はそれだけ深刻なのだ。一蹴にしてしかるべき不平等協定をやむなく受け入れようとしているのだ。時間がかかっているのは震災があったのと、何か真剣に考えている振りをしているからだ。
しかしである。
TPPを抜きにして考えても「経済」には問題がありすぎる。資本主義はどだい人を幸せになどできないのだ。需要も利便性もとっくに飽和しているというのに新たな付加価値をこじつけて市場に出す。そうして生まれた「あぶく銭」はその字の如く泡沫となって消え去ったではないか、資本主義の限界と破綻がとうにやってきている証拠だ。こんな危ういものを追いかけていても先はない。
満足を知らない蛮族と先に述べたが、このままでは日本人もそうなりかねない。TPP加入は日本の国の内側の綻びに指を突っ込んで広げる行為と言える。もっと足元を見るべきである。TPP反対派が農・工業の危機を説こうと国内の農・工業従事者が減り続けている現状のほうがもっと重要ではないのか。
「経済」という浮気であやふやな目先の問題にとらわれていると大事なことを見落とす。TPPに加入すると非関税障壁の撤廃に因んでさまざまな要求を呑むことになる。遺伝子組み換え食品の表示撤廃、日本で禁止されている薬品や添加物の許可などがそうだ。これらこそが日本人の暮らしをじかに脅かすものだ。
そのなかに我々の言語たる日本語が含まれているとの予測がある。TPPに関しての明確な内容を政府が公表していないので予測でしかないのだがつまりは欧米人にとって日本語は極めて難解であり貿易の障壁と見なされ、そのために日本国内の公文書はすべて英語で作成されることになりかねない、のだ。こうなると、国語は日本語でも公用語が英語ということになる。
日本に生まれ育った我々が先祖から受け継いだもののひとつ、そして受け継いだすべての財産を理解するための道具が日本語である。この地に生きた先祖たち、そして森羅万象の霊が日本語の中に在る。日本語を切り捨てることは霊との決別にひとしい。
守るべきは命、そしてその根拠である霊だ。資本主義経済に毒された者には事の重大さがわからないのだろう、嘆かわしい。
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